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人は決して、生まれてきたから、ただ生きるのではない。 必ずその人にしかできない何かがあり、その人にしか持ち得ない何かがあるのだ。 だが、たとえそうした何かがあったとして、それは果たして、万人を救い得る力となるのだろうか。 答えは否。 人は決して万能ではない。 だからこそ、時として、非情なまでの無力感に苛まれる。 そう、どんなに助けとなりたくても、力及ばぬ時があるのだ。 「ごめんなさい……。無力なわたしを、どうか許して……」 こんな自分でも、何かの助けになれるかと思い、救急箱を携えて来たものの、それが何の効果も発揮しないことは、わたし自身よくわかっていた。こんなもので、みんなの苦痛は癒せない。 だからといって、ただ見ているだけではいられない。 1人、また1人と、目の前で倒れていく大切な仲間たちに何かしてあげたい。 けどわたしには、何もできないんだ。 ああ、自分は何て無力なのだろう……。 そして今、新たに1人が苦鳴を上げて、目の前で倒れ込んだ。 それを見て、わたしは祈る。ただ静かに。 「勇敢なる若者が1人、新たに天に召されました。神よ、どうか彼の魂に、永遠の安らぎを……」 「勝手に殺すんじゃねえ……」 あ、生きてた。 わたしの目の前で地面に突っ伏していた桃は、こちらを睨みつけながら、弱々しく呟いた。 視線をこちらに向けるだけでもしんどそうだけど、意識を保てるなら、まあ大丈夫だろう。 それにしても……いやー、すごいことすごいこと。 死屍累々ってのは、こういう状況をいうのね。 大方のテニス部員が、呻き声を上げながら地面に倒れている様は、原因を知っているわたしが見ても、ちょっと怖い。 事情を知らない人はなおさらのようで、いつもなら女子生徒でにぎわうテニスコート周辺が、今だけはやたら閑散としていた。 人間は野生から遠のいた生物だけど、危険を察知する本能は、まだ生きているんだな。 「本能が告げるほどの危険物質かな?」 「本能が告げるほどの危険物質です。あ、乾先輩、それ持ったままなら、あんまり近づかないでください」 何しろつい最近、自分自身も、それが原因で倒れたからね。 苦情を申し立てるわたしに、乾先輩は「やれやれ」と言いながら、手にしていたそれを、背後にあったベンチに置いた。緑色の液体が、陽の光を受けてキラキラと輝く。 そんなわけで、大体わかると思うけど、屍同然で倒れてるテニス部員たちは、みんなこれの犠牲になった、哀れな人なのです。 それ――すなわち、新作乾汁。 なおかつ、特製中の特製らしい。 今日の練習は、試合形式だった。 それ自体は、別に珍しいものじゃない。 でも乾先輩は時々、思い出したように、そこに乾汁を持ち込んでくるんだ。 つまり負けた方は、自動的に乾汁の刑。 わたしがいつもの、休憩用のドリンクを作っている傍らで、いそいそと成分不明の飲み物を作る乾先輩は、そりゃもう楽しそうでした。 醸し出されるその楽しさが、逆にすっごく怖かったので、わたしは先輩のいる方を、一度たりとも見られなかった。 ゆえに何が入っているのか、一番近くにいたはずなのに、よくわからないのです。 「それにしても、今日のはひどい……。ひどすぎる」 「そうかな? まあ、ちょっとした刺激はあるけど、気にするほどでもないと思うよ」 いつになく沈痛な面持ちの越前に、いつもの爽やかさで答える不二先輩。 でも、あまりに稀少すぎるその意見は、当然ながら、誰の支持も得られなかった。 「一体、何をどうしたら、ああなるんだか……。も近くにいたんなら、ちょっとは止めろよな」 桃の主張に、うんうんと頷く被害者一同。 その気持ちは、わからないでもない。でもそれは、できかねることだった。 「無理無理。そんなことしたら、作ったヤツ全部、わたしが飲まされそうだったもん」 わたしには、わたしを守る権利がある。 でも今のみんなに、その主張は通らず、菊丸先輩は全力でわたしを非難した。 「おまえ、自分の安全のために、俺たちを売ったな!?」 「人聞きの悪いこと言わないでください! わたしだって、乾先輩を殺人犯にしたくないから、結構真面目に止めましたよ!」 いつになく真剣に訴えるわたしに、先輩たちの顔色が変わる。 「さ、殺人犯って……」 「あれ飲んだら、死人が出るってことか……?」 冷や汗を流しながら呟く、河村先輩と大石先輩。 それを聞いて息を呑む、他の面々。 ごめん、ほんとはそこまでじゃない。 ちょっと大げさに言いました。 でも今回の乾汁は、特製中の特製なだけに、その威力は絶大だったようで。 「うえー、まだ口の中がイガイガするー」 おかげで部活が終わっても、みんなは苦い顔のまま。 ちなみに、不二先輩は除く。 その時、おかしなままの味覚を何とかしたいらしい菊丸先輩が、「何か口直しがあるといいのに」と、ふと呟いた。 すると、それを耳にした桃が、 「、何か持ってねえの?」 「何かって?」 「飴とかガムとか、そういうの」 確かにわたしは、お菓子類を持っていることが多い。 現に今も、飴を持っている。 でも今日に限っては、素直にそれを出せなかった。 「なくはないけど……」 「なんだよー。あるなら、ケチケチしないで出せよなー」 でも、渋り気味のわたしに、桃のヤツは大ブーイング。 ムカチーン。 ……そこまで言うなら、しょうがない。 「後で文句言うのは、なしだからね」 「言わねえよ。だから早く、くれって!」 こんな前置きをすれば、いつもならアヤしむのに。 乾汁のせいで、桃の判断力は、明らかに低下していた。 そして彼は、こちらが渋々渡した飴を、何のためらいもなく口にしたのだ。 「ー、俺にも俺にもー!」 それを見た菊丸先輩が、自分にもよこせとまとわりつく。 でも、「なあ、それってまさか……」と訊ねてきた海堂くんに、おかしな気配を察したらしい。 不思議がりつつ、飴を口に放り込んだ桃を、じっと観察し始めた。 そう、飴というのは非常に千差万別で。 後味の悪さを中和してくれるものもあれば、それを倍増させてしまうものもあるのだ。 「……ぐっ!」 どうやらこの飴は、後者だったらしい。 味を確認した瞬間、桃の顔はすごいことになった。 そして、すごく物言いたげに、こちらを見る。 「……?」 うん、桃の言いたいことはわかってるよ。 だって口の中で、ものすごく持て余してるもんね。 今日の手持ちは、とても独特な飴だった。 だから、いくら桃であっても、乾汁でダメージを受けてる状況で渡すのは、ためらったんだよ。 「いかがですかな。名古屋の親戚が送ってくれた、味噌煮込み飴の味は」 聞き慣れない商品名に、周囲がどよめく。 そして、必死で飴を飲み込んだ桃は、即座に食ってかかってきた。 「み……!? 何でよりにもよって、そんなもんよこすんだよ!」 「言おうとしたけど、ケチケチするなとか言うからさー。っていうか、文句言わないって言ったよね?」 まあ、こうした反応は予想してたけど。 でも、もしかしたら意外と好反応かもしれないって、期待もしてたんだ。 だって味噌には、臭みを消す効果があるから。 それなら、後味最悪の乾汁の効果を打ち消すかもしれないじゃない。 でも実際は、全然ダメだったらしい。 それどころか乾先輩に、「味噌か……それもありだな」と、不穏な呟きをもらされてしまったので、あえて触れないことにした。 「では、完食したところで、もう1ついかが?」 「いらねーよ!」 「えーっ、まだたくさんあるのにー!」 「たくさんって……こんな特殊な飴が、何でそんなにあるんだよ?」 実を言うと、話の種になると思って、すごくたくさん送ってもらったのよね。 本当に、後悔するくらいたくさん……。 特殊なご当地ものを出すと、確かにその場は盛り上がる。 でも、本当にその場限り。1個食べたから、さらにもう1個……ってことには、まずならない。 それはこの飴が、本当に味噌煮込み味だったから。 そもそも「飴」には、甘いものってイメージがある。 だから飴と聞いて、そのつもりで口にすると、猛烈な味噌の味に、一瞬でやられるんだ。 そう、これは決して、世間一般で言われる「飴」じゃない。 言うなれば、飴の形をした味噌煮込みなんだ! 「つまり、味噌煮込みとしてはおいしいけど、飴としては……ってこと?」 「そうなんです、河村先輩! というわけで、お1つどうぞ!」 「ええっ! この流れで人に勧めるの!?」 「まずくはないです。ただ、口の中がちょっと困るだけです」 「ちょっと困るのは困るなあ……」 桃の反応を見ているだけに、河村先輩は本気で困っている。 でもこっちだって、在庫を抱えて困ってるんだ。簡単には退けない。 そんな時、まさかの救世主が現れた! 「でも、せっかくだから、1つ食べてみたいな」 そう、驚異の味覚の持ち主、不二先輩! 「まあ、1個くらいなら、挑戦してもいいかも」 さらには、菊丸先輩が後に続く。 そして、「まあ、1個くらいなら」を合言葉に、さっそくテニス部内で、飴の試食会が始まった。 ただ1人、海堂くんには断られたけど。 彼は、教室で面白半分に配っていたのを、すでに口にしていたからね。 怖々始まった試食会は意外と盛り上がり、みんなそれなりに、愉快な反応を見せてくれた。 まあ、これはこれで……みたいな、好ましい反応を見せてくれた人もいたけど。 テニス部全体に行き渡ったことで、問題の飴はだいぶ減った。 だいぶ減ってはいるんだけど……。 「まだまだありますよー! 誰かいる人いませんかー?」 「まだまだって、一体どんだけ持ってきたんだ?」 懸命に希望者を探すわたしに、呆れたように呟く桃。 「いいネタになると思ったから、つい大量に買っちゃって……。家にもまだあるから、せめて今持ってるぶんは、学校で消費したいんだよね」 そう言いつつも、現状が厳しいことはよくわかっていた。 人の好みはそれぞれとはいえ、これを自分から欲しいと言う人物は、まずいないということも。 「本当にいらないのか?」 そう思い込んでいたから、確認でかけられたその声にも、全然気づかなかった。 「」 「え?」 「いらないのか?」 さらなる問いかけで、ようやくわたしは声の主に気づく。 その人物――手塚部長が、問題の飴を気にしていることにも。 先程の試食会で、これはこれで……みたいな、好ましい反応を見せてくれた、貴重な人物。 それが手塚国光、その人だった。 「部長……よかったら、どうですか?」 声をかけられたのは、間違いじゃないよね? そう願いつつ、恐る恐る飴を差し出してみると、 「いただこう」 なんと、すんなり受け取っちゃったよ! ちょ、マジで!? 「いいんですか!?」 「? ああ」 まさかの結末。 そんなわけで、行き場をなくしていた飴は、手塚部長がすべて引き受けてくれたのです。 そうか、部長はあれを気に入ってくれたのか。 そうか……。 飴騒動が治まったことで、本格的に解散の空気になる。 そんな中、わたしはどこかぼんやりと、飴を手に立ち去る手塚部長を見送っていた。 「どうしたんすか、先輩。手持ちの飴がなくなったのに、あまり嬉しそうじゃないっすね」 なぜかテンションの低いわたしに、越前が不思議そうに声をかけてきた。 「いや、嬉しいよ。嬉しいんだけど……」 「嬉しいんだけど?」 そのまま言葉を濁したものの、越前は視線で先を促してくる。 わたしはためらいつつも、話を続けることにした。 「まあ……これはあくまで、わたしの周囲での反応なんだけどね」 「はあ」 「あの飴、若者には驚かれるけど、おじいちゃんおばあちゃんには、意外とウケがよかったのよ」 それを聞いて、しばし考える越前。 「おじいちゃんおばあちゃんに……?」 「そう、おじいちゃんおばあちゃんに……」 そして2人で、あらためて手塚部長を見やる。 正直、なんて言ったらいいのかわからない。 けれど、複雑に思うわたしに反して、越前のヤツは短い一言を、けれどはっきりと口にした。 「納得」 ……怒られても知らないからね。 −END−
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