|
「見て見て、大石先輩、血の涙!」 わたしの左頬を一筋伝う、赤い軌跡。 それを見た瞬間、誰もがギョッとする。あの、手塚部長でさえも。 そう、それは確かに血の涙だった。……パッと見だけどね。 左目のすぐ下にできた、小さな腫れ物。 最初はニキビだと思って、別段、気にもとめなかった。 でもよく見ると、普段見慣れたニキビとは、どこか違う感じで。 そしてこういうものは、いったん気になると、なぜか触ってしまうもので……。 おかげで先程、うっかり力を込めて触ったせいで、とうとう潰してしまったのです。 そうしたら、思いのほか勢いよく血が流れ出て、こんな事態になっちゃいました。 で、せっかくだから、近くにいた大石先輩に、真っ先に披露してみたんだけど。 常識ある人の答えは、予想通りのものでした。 「だ、大丈夫か、!? バカなことしてないで、早く止血するんだ!」 「はーい」 「ちゃん、とりあえず消毒して……」 「あ、いいですよ、河村先輩。少し押さえてれば、止まると思うんで」 河村先輩が救急箱を取りに行こうとしたのを、慌てて止める。 だって、ほんのちょこっと血が出ただけよ? そんなに大事じゃないもの。 ……そんなに血の涙のインパクトが、すごかったのかな? できれば、もう少し先輩たちを驚かせたかったけど、ここまで心配されると、さすがに申し訳なくなる。なので、血の涙ごっこはここで終了。とりあえず、ティッシュで傷を押さえることにした。 「何だよ、。体のいいサボリかー? それっていけねえな、いけねえよ」 「わざわざそれを言いに来る桃も、サボってるように見えるんだけどね」 5分経過。 まだ血は止まらない。 「見て見て、、緑の鼻血ー!」 「菊丸先輩、よくわかんない草の汁を鼻の下につけて、後でかぶれても知りませんよ」 10分経過。 やっぱり血は止まらない。 「先輩の血って、節操ないですね」 「節操ない血って、どういうことよ?」 「だって、さっきから、見境なく流れっぱなしだから」 「むっ、失敬な! それは単に、私の血液がサラサラだからよ!」 「……別に、血がドロドロなら、止まりやすいってわけでもないと思うけど」 15分経過。 どういうわけか血は止まらない。 「うわーん、なんでー!?」 これには、さすがのわたしも悲鳴を上げた。 もう、血の涙ごっこはやめたのに! でも、ティッシュで押さえる手を離せば、なおもわたしの左頬には、赤い雫が滴り落ちる。 血なんてすぐ止まると楽観視してたけど、ここまで時間がかかると、さすがに笑えなくなってきた。 血の涙ーなんて遊んでたけど、こうなると、出て来るのは本物の涙だよ。 ううっ……どうしよう? どうする? どうしたらいい? 目元を押さえたまま、焦りから、わたわた動き回るわたし。 すると、そんなわたしの首根っこを、ふいに海堂くんが押さえつけた。 「おまえ、なんだかんだ言いつつ、ちょこまか動き回ってんじゃねえか。じっとしてなきゃ、止まるもんも止まんねえぞ」 「それより、素直に病院行った方がいいんじゃない? 血の涙って遊んでたら、止まらなくなりましたーって」 「べ、別に、血の涙をやるために流血したわけじゃ……」 けど、このままずっと止まらなければ、確かに不二先輩の言う通り、病院行きを考えないといけなくなる。些細な傷からの出血とはいえ、その血がずっと止まらないなんて……それって下手すると、すっごくヤバイ病気の可能性もあるわけだもんね。 でも、病院に行くのは、本当に最後の手段。 今は海堂くんの言葉を守って、静かにおとなしく止血に勤しもう。 そんなふうに、不安なりに心を決めた時だった。 乾先輩がおもむろに、こんなことを口にしたのは。 「そういえば、『家庭の●学』で、止血にはニラをすり潰したものが効くとあったぞ」 その発言に、みんなの視線が乾先輩に集中する。 おおっ、民間療法ですね。 止血にニラなんて驚きだけど、今は藁にもすがりたい気分。ぜひ、実行させてください! ……って、言いたいとこだけど。 でもその方法は、今すぐ試すには問題があった。 「でも、ニラなんて……」 そう、わたしたちが今いる場所は、まだ学校。 家ならともかく、この場にニラなんてあるわけが―― 「よかったな、。ちょうどここに、新鮮なニラがあるぞ」 ……普通ニラって、テニス部の部活中に、都合よく出てくるものですか? でも乾先輩の手には、間違いなく、青々としたニラの束がある。 ……あれ、絶対、乾汁製作用に用意してたヤツだ。 しかも、味と色と効能(味のインパクトのせいで忘れがちだけど、乾汁って成分的には、一応身体にいいのよね)を考えると、間違いなくあのニラが、乾汁の主な構成物質だ。 それに思い至ったのは、他のみんなも同じようで、「ニラ=乾汁」という公式のもと、全員が全員、一気に乾先輩から遠ざかった。なんていうか……悲しい条件反射だね。 ただし、ニラがあっても、まだ問題は残っている。 「でも、すり潰す道具が……」 「よかったな、。ちょうどここに、ミキサーがある。これで代用できると思うぞ」 ……まさか、こんなにあっさり、問題が解決できるとはね。 でもこの状況、わたし的には嬉しいけど、部員のみんなとしてはどうなんだろう? だって、いつでもどこでも、謎の汁が作れるぞって言ってるようなものだよね。 けど、当の乾先輩は、部員たちの恐々とした視線など、どこ吹く風。 むしろご機嫌で、血止め薬の製作を始めた。 包丁がないから、ニラの束を適当に千切る。 そしてミキサーに放り込んで、スイッチオン! 後はしばらく、ミキサーの中で、緑の物体が渦巻く様子を見守るだけ。 「よし、これぐらいでいいだろう」 そうしてできた緑色のドロドロしたものは、当然ながら、ニラ特有のツンとくる匂いを放っていた。 でもそれが、薬っぽさを漂わせて、逆にいい感じ。 うん、これは期待できるかも! そして、乾先輩自作の薬は、その手でわたしの左目の下に塗られ……。 って―― 「いたたたたっ! 沁みるって、これ! 超沁みる!」 「効いてる証拠だ。おとなしくしてろ」 「ほ、本当に?」 そう言われれば、そんな気もする……けど、半端じゃなく沁みる。 沁みすぎて、むちゃくちゃズキズキするんですけど! っていうか、これ、かえって刺激になって、余計に血が出てるような気が……。 じっとしてても、よくわかる。左目の下が、これでもかと脈打つ様が。 間違いない、むしろ出血してるよ、これ! こんなふうなのは、最初だけかもしれない――そう思ってしばらく耐えてみたものの、この痛みを我慢し続けるのは、やっぱり無理だった。 ごめんなさい、ギブアップです! 「……逆効果だったか?」 「んー……どうやら、わたしにニラは、合わなかったみたいです」 大急ぎで顔を洗ってきたわたしを、さすがに申し訳なさそうな、乾先輩が出迎える。 わたしのためにしてくれたのに……なんか、悪いことしちゃったな。 でも、しょうがないよね。合わないものは合わないんだもん。 そんなわたしたちを、当初は、笑いながら見ていたみんな。 でも、顔を拭いたまま目元を押さえていたわたしのタオルに、赤い染みを発見すると、これまで楽観していた顔触れも、さすがに少し引き締まる。 「、本当に病院に行かないか? いくら少量の出血でも、長時間続けば、さすがに危険だぞ」 「こ、怖いこと言わないでくださいよ、大石先輩!」 「騒ぐな、。興奮すると、余計に出血するぞ」 またしても、焦りでわたわた動くわたしの首根っこを、それまで静観していた手塚部長が、力強く押さえつけた。 でも、わたしが動きを止めたのに、その手は一向に離れない。 不思議に思いつつ見上げると、手塚部長はその状態で、何やら考え込んでいるようだった。 けど、すぐ何かに思い当たったようで、 「ちょっと待っていろ」 「え、手塚部長?」 「すぐ戻る」 言って走り出し、あっという間にどこかへ行ってしまう。 でも、その言葉通り、手塚部長はすぐに戻って来た。 保健室からもらってきたらしい、アイシング用の氷の袋を携えて。 「冷やせば、血流も弱まるだろう。そうすれば、じきに止まる」 なるほど、さすが手塚部長! 事実、その効果はてきめんで、私の血は冷やすことで、たちまち止まってくれたのです。 「すごいすごい! 止血には冷却、しっかり学習しました。うっしゃ! 、マネージャーのレベルが上がったぞ!」 「でも、冷却が必要なほどの止血の機会って、あんまりないっスよね。それに、先輩みたいな流血する人も、そうそういないだろうし」 「おやおや、越前くーん。試合でまぶたをパックリ切って、派手に流血したキミが、そんなことはまずないと言っちゃうわけー?」 「っ……でも、そういうことがあったって、その場に氷なかったら意味ないじゃん!」 「いいかげんにしろ、2人とも! 、血が止まったなら、早く仕事に戻れ」 「はーい。部長、ありがとうございました!」 止血に成功して、一気ににぎやかさを取り戻すわたし。 そして、適切な処置を施したことで、絶賛を浴びる手塚部長。 そんなわたしたちの後ろで、 「『家●の医学』に書いてあったのに……」 乾先輩が、どこか納得いかない顔のまま、小さな呟きをもらしていたのでした。 −END−
|