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「桜乃ー、急いで急いでー! 早くしないと、リョーマ様が帰っちゃうよー!」 「ま、待ってよ、朋ちゃーん」 最近ではすっかり聞き慣れたその声が、派手な足音と共に、だんだんこちらにやって来る。 大慌てなその様子のかわいさに、知らず知らず、笑みがこぼれてしまうわたし。 小坂田朋香と竜崎桜乃。 やって来たのは、すっかり顔なじみになったこの2人。 向こうもわたしの姿を見るや、元気に声をかけてきた。 「こんにちは、先輩! あの、リョーマ様は今どこにいますか?」 元気一杯の朋ちゃんが、息を弾ませてそう訊ねる。 わたしは、部室の方に軽く目をやり、 「1年生は後片付けが終わったばかりで、今着替えてるとこ。もう少ししたら、出て来ると思うよ」 「先輩は、まだお仕事なんですか?」 「いや、わたしも一緒に終わったとこ。いくら1年だからって、仕事押しつけてばっかじゃ、かわいそうだしね」 1年生にも雑用業務があるとはいえ、そういうのは基本的に、マネージャーであるわたしの仕事だし。 「まあ、マネージャーは自分1人だから、ついつい1年に頼っちゃうんだけどー」と言って笑うわたしに、2人はおもむろに訊ねてきた。 「あの、前から一度聞いてみたかったんですけど、先輩って、どうして男子テニス部のマネージャーになったんですか?」 「どうしてとは?」 「だって、男テニのマネージャーっていったら、ものすごく人気があって、倍率も高いじゃないですか。そのせいで、無用な騒ぎを避けるためって、今年は1人もとらなかったし。そりゃ、先輩がしっかりやってるから、特に必要ないかもしれないけど……。でもそれじゃ、先輩の時はどうだったんですか?」 ああ、そういうことね。 生意気ルーキーに恋い焦がれるお嬢さん方にとっちゃ、確かに気になる問題だわ。 いい男揃いの男子テニス部に許された、唯一のマネージャーは、一体何者なのかってね。 まあ、わたしにもいろいろあったのよ。 それで、ここのマネージャーになったわけなんだけども。 そう問われたことで、わたしはあらためて、当時のことを思い返してみる。 マネージャーになった、1年前のあの日のことを―― あれは確か、青学に入学して、それなりにたった頃。 少しずつ学校生活にも慣れてきて、わたしは放課後、気ままに学校散策を楽しんでいた。 これといって入りたい部はなかったけど、あっさり帰ったって、どうせ家で暇を持て余すだけだろうから、何か部活に入ろうと思ってたの。それでいろんな部を、ちょっとずつ見学してたのね。 けど、「これぞ!」って部に、なかなか出会えなくて。 何でもよかったとはいえ、やっぱりやるからには、楽しくいきたいじゃない。 それであちこちウロウロしてたんだけど、気がつけば職員室の近くにいて。 そこで偶然スミレちゃん――当時は初々しく、「竜崎先生」って呼んでたけど――に会っちゃったのね。 そしてスミレちゃんはわたしを見つけると、初対面にも関わらず、いきなりプリントの束を押しつけてきて、申し訳なさそうにこう言った。 「悪いけど、これを男子テニス部まで届けてくれないか? 実は、今から職員会議でね」 今度行われる練習試合の詳細や、注意事項を記したものらしい。 このプリント作りが思いのほか手間取って、会議ギリギリの時間になっちゃったんだって。 まあ断る理由もないし、何より暇だったから、軽ーく引き受けたわけよ。 で、男テニがいるテニスコートまで行ったはいいんだけど……何か様子がおかしいのよね。 なぜだかやたら騒がしい……っていうか、人だかりができてるし。 何かもめてる? ただ、その肝心のもめごとは、人垣のせいでわたしからは見えないけど。 まあ、嫌でも耳に飛び込んでくる怒声と罵声から、ケンカであることはすぐに想像がついた。 どんなケンカなのかは結構気になったけど、騒ぎを治めようと取り囲んでる男テニ部員をかき分けてまで、それを見たいとは思わない。だって、下手すりや巻き込まれるしね。 そんなのは御免なので、とにかくプリントを渡して、とっとと帰ろうっと。 ところがどっこい、この騒ぎのせいで、コート内に入り込んだ部外者のわたしに、誰1人として気づかない。 こ、これは困った……。 「あのー、すみません」 とりあえず、適当に人をつかまえてみる。 突然入ってきた見知らぬ女子生徒に、その人は驚いた様子だったけど、すぐに真剣な顔に戻って、わたしにこう言った。 「キミ、危ないよ。下がって!」 「はあ。でも、あの、プリント……」 今と変わらずいい人な大石先輩が、わたしを案じ、腕を掴んで騒ぎから遠ざけようとする。 でも、それはちょっとだけ遅かった。 なぜなら、誰かが「危ない!」と叫んだ次の瞬間――いきなりわたしの右側頭部に、強烈な衝撃が襲いかかったからだ。 倒れずにすんだのは、とっさに支えてくれた大石先輩のおかげ。 けどわたしは、自分自身に何が起きたのかさっぱりわからず、次第に半端じゃなく痛み始めた頭を抱えて、「大丈夫か!?」と、焦り混じりに問いかける大石先輩の声を呆然と聞いていた。 いつの間にやら、騒ぎはすっかり収まって、みんながわたしに注目している。 中でも、驚きつつ一番真剣にわたしを見ていたのは、騒ぎの中心にいた2人組。 互いに掴みかかる寸前だった2人は、1人はラケットを手にしているけど、もう1人にはそれがない。でもわたしの足元には今、先程はなかったはずのラケットが、なぜか1つ転がっていた。 だんだんわかってきた。 このラケットは、今何も持っていない、わいつのラケット。 でもってどういうわけだか、このラケットを、あいつはわたしにぶつけたのだ。 当時のわたしは、騒ぎを起こしたのが海堂薫と桃城武という、犬猿の仲の2人組だということを知らなければ、練習中にいつものごとく2人がもめ始め、海堂くんに掴みかかろうとした桃が、勢い余ってラケットをすっ飛ばしたことも知らなかった。 もちろんそのラケットが、運悪く、わたしの頭を直撃したということも。 つまりわたしからすれば、何の失礼も働いてない初対面のテニス部員から、問答無用でいきなり攻撃を食らわされたことになるってわけ。 スミレちゃんから頼まれ、男テニのために配達係を務めた、このわたしによ? それはわたしからすれば、とても理不尽な仕打ちだった。 だからこの時、否応もなく怒りが込み上げてきたのは、わかってもらえると思う。 突然の出来事に、誰もが凍りついたように動けなかった。 今の騒ぎでカゴが倒されたのか、そこに入っていたテニスボールが、あちこちに転がっている。 わたしは、近くにあったそれをおもむろに拾い上げると、呆然と佇むテニス部員たちを尻目に、力一杯振りかぶった。そして投球! あの瞬間は、さながら映画のワンシーンのように、わたしの脳裏でスローモーションで展開していた。 わたしの投げたボールが、迷うことなく一直線に突き進む。 みんなの驚きの目が、わたしからボールに向けられ、束になったいくつもの視線と、そのボールが行き着く先にいたのは、悪気があろうがなかろうが、わたしに対して危害を加えた不届き者。 すなわち―― 「うがっ!?」 ――ゴッ……! 鈍い悲鳴と鈍い音を残し、桃がテニスコートに這う。 わたしが放ったテニスボールは、桃の眉間に炸裂した。 我ながら惚れ惚れするほどの、見事なクリティカルヒット! 男テニ一同も、息を呑む素晴らしさよ。 ……ただ残念なことに、喜ぶ間もなく、わたしもぶっ倒れたんだけど。 そりゃ、頭に強い衝撃を受けた直後に、激しく動いたんだもの。倒れるのも当然だわ。 その後、軽い脳震盪だから大丈夫と言い張ったものの、「頭のケガを甘く見るな」と、乾先輩にむりやり病院に連れて行かれてしまった。 それで帰ってくると、みんなが怖々とわたしを見る中で、不二先輩に「いい肩をしている」と、なぜかほめられることに。ちょっとは真面目にわたしの心配しろっての、男子テニス部。 まあすぐに、当時の部長と副部長だった手塚先輩が、原因を作った二人を連れて、わざわざ謝りに来てくれたけど。 でもってこの因縁のせいか、何となく桃とはライバルっぽくなっちゃって、同じ敵を持つ連帯感からか、海堂くんとは結構仲良しさんだったりする。 これが、わたしと男テニとの出会い。 ああ、そうそう。何でマネージャーになったかだったわね。 …………………………何でだっけ? この事件がもとで、テニス部の人たちと顔見知りになって、時々部活に顔を出しては、練習を冷やかしてたのよね。 いや、主に冷やかしてたのは、あの一件でわたしの敵と認定された、桃なんだけど。 でも、冷やかしてる暇があるなら、何か手伝えってことになっちゃって。 そうしてマネージャーの真似事をしてるうちに、結局、本当のマネージャーになっちゃったんだ。 ……何度思い返してみても、いいかげんな理由。 男テニマネージャーを切望するお嬢さんたちに聞かれたら、マジで殺されそうだ。 目の前では、わたしの言葉を今か今かと待ち受けている、2人のかわいい後輩たち。 だけど、さすがにこれを最初から説明するのは、ちょっと抵抗がある。 だってあの一件がもとで、わたしに対して、未だにビビってる部員とかいるし。 特に今の2年生の大半って、海堂くんの気迫に気圧されてるでしょ。 わたしってば、その海堂くんをも絶句させた事件の、張本人なわけだから。 それを自分から告白するのは、年頃の乙女として、ちょっと……ねえ? で、しばらく考えた結果、結局わたしはこう答えた。 「えっと……悪いけど、ヒ・ミ・ツ♪ ということで……」 「「え――――――――――っ!?」」 当然ながら、2人は不満大爆発。 ああっ、あのおとなしい桜乃ちゃんまで、何だか怖い顔してる! 口許に人差し指を立てて、かわいらしく言ってみても、女の子が相手じゃ、それは何の意味もなさない。 みんなから、特性乾汁の材料を聞かれた乾先輩が同じことして、誰もかわいいなんて言わなかったのと、同じようなもんよね。……いや、ちょっと違うか? ――と、そこへ天の助けが! 「何やってんの?」 「ああっ、リョーマ様!」 「リョーマくん」 念願の待ち人が来て、2人の注意が、わたしから越前へと向かう。 そのスキにわたしは、「じゃ、おつかれー」と言って、そそくさと2人のもとから走り去ってしまった。 後ろで朋ちゃんが、「あーっ、逃げるなんてずるーい!」って叫んでたけど、「逃げるが勝ち」という立派な言葉もあることなので、わたしは全然気にしません。 こんなふうに、わたしは無事、この場を立ち去ることに成功した。 背後で繰り広げられる1年生たちの会話を、ほんの少しだけ耳にしながら。 「ねえ、リョーマ様。先輩が何で男テニのマネージャーになったか、わたしたちにもおしえて〜」 「いや、知らないけど」 「そんなー!」 そりゃ1年坊主は、去年の話なんぞ知らないでしょ。 けど、わたしは油断していた。 わたしが逃げ去ったことから、触れられたくない話題であることを悟られ、あろうことか小憎らしい越前は、先輩たちにわざわざそれを訊ねに行ったのだ。 先輩たちにとっても印象深いあの出来事を、話さないはずがない。 でもって、悪戯心に満ち溢れた不二先輩や菊丸先輩が、真実をそのまま伝えるはずもなく、各自素敵なアレンジをつけ加えて、結果、わたしはものすごい人になった。 実は青学の裏番(これも今時珍しい)だという定番のものから、本当は政府に秘密裏に造られた改造人間で、目からビームを出したり、ロケットパンチを繰り出すところを見たという、もはや人間の域を超えてしまったものまで、種々様々。 まあ、あの先輩たちのやることに、いちいち目くじら立てたって疲れるだけだから、今更怒る気はしないけど。 それでもやっぱり不本意なのは、いつの間にやら部内で広まったその話を、微妙に真に受けた後輩たちがいるってことよ。 あ、もちろん、ビームやロケットパンチの方じゃないからね! おかげで、1年生たちのわたしを見る目が、何かこう……ささやかに、恐れを含んだものに変わりつつある。 だから、わたしが何か用事を言いつける時も、前以上に機敏に動くようになったのよね。 それは非常にありがたいし、助かってはいるんだけど……やっぱり何だか、すっごく微妙。 −END−
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