今年の6月3日は金曜日で、翌日は学校が休みの土曜日だ。
 それに加えて、その日が誕生日である貞治の両親は、遠方の法事で、金曜から泊まりで出かけてしまうらしい。

「せっかくパーティー向きの日取りなのに、何もしないの?」と訊ねるわたしに、彼は「パーティー向きって」と笑いながら、「もう誕生日会をする歳でもないからね」と、事も無げに言った。

 そりゃまあ、そうだけど……。
 でも誕生日っていうのは、年に一度の特別な日じゃない。
 だから、その日に1人きりという貞治のことが、すごくすごく気になって。


「でも、誕生日に家で1人は寂しくない?」
「なら、が家に来て祝ってくれたらいい」
「え?」
「誰にも邪魔されず、と2人で一晩過ごせるなら、この上なく幸せな誕生日になるだろうな」


 誰にも邪魔されず、2人で一晩過ごすってのは、つまり……。
 その意図に気づいて固まるわたしに、貞治は苦笑しつつ言った。


「やっとわかってくれたか。一晩親がいないって、こんなにもアピールしてたのに」


 親が法事に行くって話題がやたら出たのは、そういうことか!
 わたしは、親がいなくても1人で大丈夫なんて、貞治はクールだなー大人だなーってふうにしか、考えてなかったよ。
 ……これは、かなり申しわけないことをした。


「ご、ごめん」
「それでさ……どうだろう?」


 どうだろうって言い方はどうだろう?

 そう言って茶化してしまいたかったけど、そんなことをしたら、きっと取り返しがつかなくなるに違いない。
 彼は本気で言っているんだから、嫌ならちゃんと断るべきなんだ。

 正直、嫌ってわけじゃない。ただ――初めてだから、怖いだけ。

 でも怖がってばかりじゃ、何もできないままだし、なんといっても、貞治の誕生日当日に彼の親がいないという、ある意味絶好の条件の揃う日が、これから先もあるだろうか?


 不自然に長い沈黙があった。
 けど、貞治は急かさない。わたしが真剣に考えているのが――というより、覚悟を固めているのをわかっているから。

 静かにわたしを見つめる貞治。
 その、どこか熱さを帯びた視線に、頬に熱が集まるのがわかる。
 わたしはそんな彼をまっすぐ見返せなくて、つい顔を背けてしまった。
 そのため、わたしの決断は、とても小さな声で伝えられることになったのだ。


「……親には、金曜の夜、の家に泊まるって言っとく」



彼のにおい



 そんなわけで、昨日わたしは、友達の家に泊まると言って家を出た。
 でもごめんなさい、お父さんお母さん。外泊先は、友達は友達でも、元友達の家なんです。
 それはつまり……現彼氏というわけで。
 彼氏の家に泊まったらどうなるかなんて、言うのも野暮ってなもんで。

 まさか、誕生日プレゼントはワ・タ・シ☆を、現実にするとは思わなかった……。
 その結果、彼氏が超優しいです。
 これがもう、嬉しいけど恥ずかしいし、大好きな人なのに顔を見られないし、それでいて離れてしまうのはとても寂しいという、どうしようもないジレンマで。

 顔を見合わせたくないけど離れたくないという、他人が見たら「何やってんだか」としか言い様のない、むず痒い時間を過ごすうち、いつしか時刻は昼になった。
 残念ながら、わたしたちだけの時間は、これで終了だ。
 なぜなら貞治は、午後から部活があるから。


「えっと、ここまででいいよ。送ってくれてありがとう」


 2人で一緒に貞治の家を出て、程良い分岐点に差しかかったところでそう言った。
 でも言われた彼は、不本意そうに顔をしかめる。


「どうせなら、家まで送りたいんだが」
「ここからの方が学校に近いよ」
の家に寄ってからでも、十分間に合う」
「でも、遠回りになるじゃん」
「遠回りというほど遠くない」


 どういうわけか、わたしを自宅へ送り届けることに対して食い下がる。
 少しでも長く一緒にいたいとは思うけど、だからって余計な手間はかけさせたくない。
 とにかく断り続けるわたしに、ラチがあかないと悟ったのだろう。
 やがて彼は、何とも言いにくそうに本心を述べ始めた。


「ちゃんと家に着くまでは心配なんだ」
「あ……いや、別に大丈夫だよ? だってほら、普通に歩けてるし」


 何が言いたいかなんとなくわかってきて、ちょっと居心地が悪くなる。


「そうは言っても、痛がっているのを、最後は強引にしてしまったし」
「!!」


 いきなり何を言いやがる!


 わたしの身体を心配してくれてるのはわかったけど、今になってそんなことを言われるのは予想外すぎた。
 そのせいで、昨晩のいろんなことが脳裏を駆け巡り、一気に頬が紅潮する。

 そんな時だった。


「あれ、乾とさん? こんなところで立ち止まって、どうしたの?」
「うひゃあっ!?」


 それは知っている声だったけど、いきなりだったのですごく驚いた。
 何しろ、今話している内容が内容だけに、絶対に聞かれたくないものだったから。
 幸い、話は聞かれなかったようだけど、そのせいで声をかけた当人である不二くんも貞治も、驚くわたしに驚いていた。

 どうやら貞治と同じく、部活に行く途中だった不二くんは、たまたまわたしたちを見つけて声をかけたみたい。
 これはグッドタイミング。学校への同行者ができれば、貞治もこれ以上無理は言うまい。


「やあ、不二」
「それじゃ、わたしはこれで!」
「だから待てって」


 でも、そそくさと立ち去ろうとしたら、すかさず止められてしまった。どうやら読みは甘かったらしい。
 そんなわたしたちをじっと見ていた不二くんは、唐突にこう訊ねてきた。


「2人はつき合ってるの?」


 わたしたちは友達期間が長かったこともあって、まだあまり、周囲に今の関係が浸透していない。それにお互い、わざわざそういうことを口にする方でもないから。
 だからつき合ってるかと聞かれた今も、不二くんにはまだ言ってなかったんだなーってくらいにしか思ってなかった。
 なので、気軽に「うん、そうだよ」と答えようとしたところ、


「ああ、つき合ってるね」


 質問に答える前に、なぜか勝手に納得されてしまった。

 ……確かにそうなんだけど、どこでそう判断したんだろう?
 今のわたしと貞治は、彼がジャージ姿なのもあって、街中で偶然会ったと思われてもおかしくないのに。

 すると不思議そうにしているわたしに、不二くんはいつもの優しい笑顔で、とんでもないことを言ってのけた。


さんから、乾のにおいがするし」
「ええっ!?」


 におい? 貞治のにおいって何!?

 昨晩の行為が密着前提のものなだけに、わたしは焦った。
 確かにベタベタくっついてたけど、それで個人のにおいが移るものなの? っていうか、ちゃんとお風呂も入ったし!

 思わず貞治を見ると、彼も意外そうに自分の体臭を確認している。
 そんなわたしたちを面白そうに眺めながら、「そういうことじゃなくて」と不二くんは、


「シャンプー。乾と同じだよね」


 言われて気づく。
 確かに、貞治の家のお風呂で、貞治の家のシャンプーを使いました。
 冷静に考えたら、家と乾家のシャンプーが偶然同じ可能性だってあるんだけど、他ならぬわたしたち自身が、態度でその可能性を否定してしまった。


「いいにおいだね。僕は好きだよ」


 2人のシャンプーが何で同じかなんてこと、きっと不二くんは気づいてる。
 これは恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい……!


「じゃあ乾、先に行ってるね」


 あまりのことに絶句するわたしたちを置いて、不二くんは爽やかに行ってしまった。
 わたしは呆然と、その後ろ姿を眺めるだけ。
 どうしていいかわからずにいると、やがて貞治にポンと肩を叩かれた。


「大丈夫だ。不二はそういうことを言い触らさない」
「そんな心配はしてないよ。ただ、なんていうか……」
「まあ、事後だとばれるのは、さすがに複雑だな」
「事後って言うな」


 ……そりゃ、事後だけど。
 そう思ったら、昨晩の光景が鮮明に蘇り、思わず手で顔を覆った。
 昨日から、わたしの顔は真っ赤になってばかりだ。

 そんなわたしの髪に、貞治が手をのばす。
 そして、ほんの少しだけ掬い上げた。


「不二に言われるまで気づかなかった」
「何に?」


 手に取った髪に顔を近づけるから、わずかに首筋にかかる息がくすぐったい。


「俺と同じにおいって、グッとくるな」


 耳元で響く、魅力的な低音に、新たな事実を念押しされた。



 わたしだって、グッときた。
 だって貞治と離れても、貞治と同じにおいがわたしを絡め取ってるんだよ。

 でも、同意なんてしてやらない。
 そんなことをしたら――きっと離れられなくなって、彼を部活に送り出せなくなるから。

−END−


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 不二ならきっと、ほのかなにおいが同じことに気がつきそう。

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2011.06.30

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