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「ああ、乾! どうしてあなたは乾なの?」 大根役者と称される人々でも、ここまではひどくはないだろうという滑稽な演技力でもって、わたしは目の前で雑誌を広げている彼氏様に詰め寄った。 けど当の彼氏、乾貞治は、表情も変えず、淡々とした口調で、 「まあ、乾家に生まれた以上、やむを得ない宿命というか」 あー……うん、言われてみれば。 でも、わたしが聞きたかったのは、そういうことじゃなくて。 「ごめん、間違えた。……えーと、下の名前なんだったっけ?」 「……貞治。いくらつき合い始めたばかりだからって、未だに俺の名字しか知らないのは、さすがにショックなんだけど」 「ああ、貞治! どうしてあなたは貞治なの?」 非難めいた声はさくっと無視して、さっきのセリフを、今度は名字から名前に変えて言ってみる。 するとヤツは、今度も淡々とこんなことを言いやがりました。 「それは、そう名付けたうちの親に聞いてみないと」 「もうっ、そうじゃないわよ!」 「……一体何がしたいんだ、は?」 今度はこちらが非難の声をあげる番。でも、なんでそうなるのかわからない乾は、お手上げとばかりに、素直にそう訊ねてきた。 けど、落ち着いて考えれば……いや、普通に考えても、おかしなことをしてるのは、明らかにわたしの方なのよね。そんな反省を込めて、彼の問いに素直に答えてみた。 「えーとですね、ぶっちゃけ乾が、6月3日の何時に生まれたかを知りたいのですが」 うん、変なことせず、最初から素直にこう聞けばよかったんだわ。 その質問に、乾はちょっと考えて、 「うーん、さすがに時間まではわからないな。母子手帳になら書いてあると思うけど。でも、なんでそんなことが知りたいんだ?」 そんなわけで、結局、答えはわからず終い。でも、それはしょうがないか。自分の生まれた時間まできちんと知ってる人なんて、あんまりいないもんね。 そして、乾のもっともな疑問に、わたしは自らの質問の意図を説明した。 「昨日、お父さんが昔読んでたっていう、古い漫画が出てきてね。六三四の剣っていうんだけど」 「六三四の剣?」 「うん。剣道の漫画で、主人公が六三四(ムサシ)っていうの」 実はこの六三四少年、6月3日の4時に生まれたから、六三四と命名されたという、いきさつを持ってるのよ。 それを知った時、そういえば、6月3日生まれの人が身近にいたことを、ふと思い出して。 そして思い出したら、その人が何時に生まれたのか、だんだん気になり始めちゃって。 ……ようするに、ただそれだけの話なのよ。 それを聞くと、乾は納得したような呆れたような、そんな微妙な表情で、 「だから、急に俺の名前のことを言い出したのか?」 「うん。もし乾が0時に生まれてたなら、六三〇で、ロミオって名付けられたのかなと思ってさ」 「いや、さすがにそれはないと思う。でも、それでわざわざ、ロミオとジュリエット調で聞いてきたんだな」 まあ、そういうことね。 すると乾は、なぜかおもむろにわたしをじっと見つめてきて、真面目な声音で、こんなことを言い出した。 「だけど、もし自分の名前が本当にロミオだったら、困るどころの騒ぎじゃないな。ロミオの恋は成就しないから、俺としては乗り気になれない」 「の、乗らなくていいよ! ……っていうか、ロミオじゃないんだし」 けど、乾でも、恋の行く末というものは気になるのね。 ……うん、それはちょっと嬉しいかも。 「じゃあ、どんな名前がよかったの?」 せっかくなので、聞いてみる。 大抵、一度は考えるよね、こういうこと。 自分はこういう名前がよかったなーっていう、他のものへの、ちょっとした憧れ。 でも乾は、やはりいつも通りの淡々とした口調で、 「別に、今のままで問題ないよ」 「貞治のまま?」 「そう。ロミオじゃ、と一緒になれないから」 そう、ロミオの相手はジュリエットであって、わたしではないから。 「……そういうこと、よくさらっと言えるわね」 ヤバイ、こんなことでも、好きな人に言われたらすごく嬉しい。 でも、赤く染まる顔を見られたくなくて、乾と素直に向き合えない。 そして乾は、そんなわたしにしっかり気づいてるようで、面白そうに笑っていた。 ……だから、見られたくなかったのよ。 「まあ、俺たちはごく普通の2人なんだから、ごく普通の恋愛をして、ごく普通の結婚をしようじゃないか」 「な、何よ、結婚って。話が飛びすぎ!」 「じゃあ、せっかく2人きりでいることだし、ここはの意見に配慮して、ごく普通の恋人らしいことをしておこう」 「きゃー! エッチ!」 あっという間に押し倒されて、そうこうしてるうちに、その……いわゆる恋人どうしの営みというやつは始まって。ううっ、恥ずかしくて死んじゃいそう。 でも、最初は意地悪くしていた乾も、最終的にはそんなわたしをなだめるように、優しく耳元で「好きだ」と囁き続けてくれて。……今度は、嬉しくて死んじゃうかも。 −END−
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