恋心 〜始まりのケース〜



 好きな人ができました。

 好きで好きで、本当に好きで、日々膨らんでいくその気持ちをただ抱えているだけなのは、とてもじゃないけど苦しくて――つらすぎて。

 だからわたしは、思いきって告白しました。
 好きです、つき合って下さいって、彼に伝えました。
 でも、それを聞いた彼の答えは――


「すまない。君のことはよく知らないから、いきなりつき合いたいと言われても、すぐには答えられないんだ」


 ……彼の言うことは正しい。腹が立つほど――悲しくなるほど。


 やたら生徒数が多いせいで、3年間同じ学校にいながら、わたしと彼が同じクラスになれたことは一度もなかった。部活は違うし、委員会だって一緒になったためしがない。今まで何の接点もなかったんだから、彼がわたしを知らないのは、当然といえば当然のことだった。


 でも――それでも、ちょっとくらいは知ってくれてると思ってたんだ。


 だって彼は、自他共に認めるデータマン、乾貞治なんだから。
 だから彼なら同学年の、いや学校中の生徒の名前や特徴さえも、余裕で知ってると思い込んでいた。でも考えてみれば、それってわたしの勝手な思い込みにすぎないのよね。


 データってのは、必要があるから集めるもの。つまり、必要がなければ集めないもの。
 わたしのことを知らないってことは、知る必要がないってこと……。


 確かに突然のことだし、すぐに考えるのは難しいと思う。でも、考える気さえ起こしてもらえなかったのは、あまりといえばあんまりだった。
 とはいえ、それはわたしの勝手な都合。乾くんにそんな一方的なものを押しつけるわけにはいかない。


「そ、そうだよね。知らない人に、いきなりこんなこと言われても困るよね。でも、困らせるつもりじゃなかったんだよ。……本当にごめん」


 それだけ言って、全速力で走り去るのが精一杯。
 乾くんが何か言ってたような気もするけど、わたしはすぐにでも溢れ出しそうな涙を堪えることと、これ以上乾くんを困らせないようにすることしか頭になかった。


 家に帰ると、とにかく泣いた。今は力の限り泣きたかったし、それ以外、何もしたくなかった。
 でも、夕飯も食べずに部屋にこもりっぱなしじゃ家族に怪しまれる。今は何も詮索されたくないので、心行くまで涙を流せるよう、お風呂場に行くことにした。
 湯船につかりながら泣いて、泣いてるうちに長湯でのぼせた。その後は、部屋で涼みながらまた泣いた。

 季節は夏に向かっているけど、朝晩はまだまだ冷え込む時期。泣いてるうちに湯冷めして、そして泣きすぎて体力を消耗しすぎ、抵抗力も衰えたらしいわたしは、そのままあっさり熱を出して寝込む羽目になってしまった。はあ……わたしってばマヌケすぎ……。
 そんなわけで、本日、わたしは学校をお休みしてるのです。


 でも、正直学校には行きたくなかったから、少しホッとした。
 だって今は、乾くんと顔を合わせる勇気がないから……。


 わたしは6組で彼は11組。クラスは違うけど、それでも時々は廊下ですれ違う。
 しかもわたしのクラスには乾くんと同じテニス部の不二くんと菊丸くんがいるから、彼らに何か用事があって、うちの教室にやって来ることだってあり得るんだ。でもってきっと、今みたいに会いたくない時に限って、やたら会う機会が増えちゃったりするんだよ。

 そう思うと気が重くなった。けど、今日1日は大丈夫だと思ったら何となくホッとして、そのうちわたしは眠りについた。
 そもそも昨日は泣きっぱなしでロクに寝てなかったから。だから午前中は昏々と眠った。
 そして午後にさしかかる頃にようやく目を覚ましたけど、それから後はもう暇で暇で。


 ――と、そんな時、ふいに携帯の着信音が鳴り響く。
 待受画面を見てみれば、そこに表れたのは「菊丸英二」の文字。


 この前の席替えで隣どうしになってから、仲良くなった菊丸くん。
 乾くん情報を聞き出そうといろいろ話しているうちに、いろんな話がはずむようになっていて、気がつけばお友達になっていた。

 今日はいきなり休んじゃったから、心配してくれてるんだろうな。午前中はいくつかメールが入ってたけど、着信音にも気づかないくらい爆睡してたみたいだから。今はちょうど昼休みの時間だし、それで電話に切り替えることにしたんだろう。

 だいぶ楽になったけど、気怠さはまだ消えない。じっとしてたいとこだけど無視しっぱなしも悪いので、もたつきながらも、わたしは通話ボタンを押した。


「ごめん、おまたせ」


「出るのが遅い!」とさっそく文句を口にするだろう菊丸くんを想像して、わたしは最初に謝罪する。
 ところがわたしの耳に届いたのは、思いもよらない意外な――意外なんてもんじゃない、ありえない声。


『……さん? 乾だけど』












 しばらくお待ち下さい。












「――はあっ!?」


 慌てて携帯を目の前に持ってくる。
 画面の表示を確認すれば、そこにあるのは確かに菊丸英二という名前。なら、これは菊丸くんからの電話ということで間違いない。
 でも聞こえてくる声は、明らかに菊丸くんのものじゃない。彼がふざけてモノマネしてるってわけでもない。
 この声は――落ち着きのあるこの低い声は、間違いなく乾くんのものだ。


 なんで? なんで乾くんが菊丸くんでわたしに電話なの???


 そんなわたしのパニックぶりが伝わったのか、電話越しに微かに笑う気配がする。


『ごめん。今、英二の携帯からかけてるんだ。自分のでかけてもよかったんだけど、それだとさんの携帯には知らない番号が表示されるだろ? それだととってもらえない可能性が高かったから』


 うん、誰だかわからない番号からなら多分出ない。特に今は、まだ少し残ってる熱のせいで、いろんなことが億劫だもの。この電話だって菊丸くんからってわからなきゃ、放置してたと思う。


 あれっ? そういえば、今……。


「乾くん……わたしの名前知ってるの?」


 今、「さん」って言ったよね?
 しかもわざわざ菊丸くんの携帯を借りてるってことは、わたしが彼と仲良いってことも知ってるんだよね?

 乾くんは苦笑してる感じで答えた。


『そりゃ同学年だし、名前くらいはね。それに時々だけど、テニス部の連絡とかで6組には顔出してるから、さんの席が英二の隣ってことも知ってる』


 知ってる……? わたしのことを、本当に?
 だって、昨日は――わたしのこと、知らないって……。


『どうもその辺りの認識に違いがあったみたいだから、ちょっと気になってさ。さん……すごく傷ついた顔してたから、もしかしたら誤解してるかと思って。そのことを話したくて6組まで行ったんだけど、今日休んでるって英二に言われてさ。それで携帯貸してもらったんだ』
「そう……」


 これ以上、何を言うんだろう? わざわざ人の携帯まで借りてるんだから、どうでもいい話のはずはないよね。っていうか、誤解って……?

 何だろう? 何なんだろう? 嫌な緊張感で、額に汗が浮かび始める。
 そして乾くんは言った。


『俺はさんのこと知らないって言ったけど、それはさんの存在を知らないって意味じゃないよ。ただ、どんな人なのかわからないってことを言いたかったんだ』


 ……?


『俺とさんは、親しいって方じゃないだろ? いや、そもそも口をきいたのは、昨日が初めてだ』
「う、うん……」
『そういう人からいきなり好きだって言われてさ、さすがに俺も驚いたわけ』


 言われてみるまでわからなかったけど――そちらの立場で考えてみれば、確かにそれはわたしでも驚く。
 告白することでいっぱいいっぱいだったせいだけど、そんなのは理由にならない。
 そこまで考えが至らなかったのは、明らかにわたしの落ち度だ。相手の気持ちも考えず、自分勝手に行動したら、普通嫌われるよね。だから乾くんにフラれても、それは仕方ないんだろうな……。


「ごめんね、乾くん」
『……何?』
「わたしが告白なんてしたから困らせたよね。その上、こんなふうに気まで遣わせちゃって……。本当にごめん。でも、もう――」
『――忘れてくれ……って?』
「あ……うん」


 乾くんの口調がちょっと変わった気がして、一瞬ドキリとする。
 でもそれは気のせいじゃなかった。


『ずいぶん勝手なんだな』


 初めて耳にするその声音に、わたしは思わず息を呑んだ。なんだか……怖い。


『言いたいことだけを言って、いきなり逃げて、そんなふうに人のことをひっかき回しておいて、今さら何もなかったことにしようって? そんな振る舞いこそ、俺に迷惑をかけてるとは思わないのか?』


 冷ややかに紡がれる乾くんの言葉。
 ……怒ってる?
 でも、怒って当然だよね。だって乾くんの言う通り、わたしってば勝手すぎる。気分を害されて当たり前。嫌われて……当たり前……。


「っ、ごめ……」


 謝りたかったけど言葉が詰まる。
 きちんと伝えなきゃいけないのに、最後くらいはきちんとしたいのに、うまく声が出てくれない。
 くぐもった小さな声で何とかそれだけ言うわたしに、けれど次に聞こえてきた乾くんの声は優しかった。


『泣かなくていい』


 優しい言葉になおさら泣ける。乾くんはわたしを宥めると、優しく続けた。


『いきなり言われてビックリしたよ。つき合って下さいって言われて困ったことは本当だけど、だからってさんのことが嫌だったわけじゃない』
「え?」
『ただ、さんのことを知らなかったから。だから、最初からいきなり恋人どうしにはなれないってことを言いたかったのに、あの後君は走っていってしまったから』


 先の展開が読めない。一体乾くんは、何を言おうとしてるの?
 戸惑うわたしに、彼はなんだか照れくさそうに、


『好きだと言ってもらえたことに関しては、まあ、その……嬉しかったんだよ。で、俺からの提案なんだけど、恋人の前に、まずは知り合いどうしになってみないか?』
「あ、あの、それって」
『いわゆる、オトモダチってヤツだけど』
「……いいの?」
さんがよければだけど』
「わ、わたしも、乾くんがよければ!」
『じゃあ決定』


 とんとん拍子に進む話に呆然とするわたし。その後もう少し何か話したけど、何をしゃべったか、はっきりいって覚えてない。
 そうこうしてるうちに会話が終わり、最後に『お大事に』と言って、乾くんからの電話は切れた。

 はあ……熱上がりそう。
 信じられない。まさかこんな展開になるなんて。
 これってようするに、「お友達から始めましょう」ってことよね。それで合ってるのよね?
 ここから必ず恋人にまで成長できるって保証はないけど、1つだけ言えることは、乾くんは乾くんなりに、わたしの気持ちを受け止めてくれたってこと。


「きゃーっ! どうしようどうしようどうしよう――♪」


 今頃になって、なんだかとんでもなく恥ずかしい。わたしは真っ赤になって、ふとんの中でじたばたしていた。
 ――と、そこへ再び携帯の着信音。画面には、これまた再び『菊丸英二』の表示。


「も、もしもし?」
『やっほー、ちゃん。俺俺ー♪』


 もしやまた……と緊張しつつ電話に出ると、今度は本物の菊丸くんだった。


『乾から電話あったっしょ? あれは俺からのお見舞いってことで、1つよろしく☆』
「お見舞い?」
『どう? ちっとは元気出たかにゃー?』


 ひょっとして……乾くんへの気持ち、バレてた?


『日頃あれだけ乾の話を持ち出しといて、それでバレないと思うのはちとおかしいよ?』


 ……いえ、わたしとしては、とてもさりげなく聞いてたつもりだったんですけど。
 それを言うと、菊丸くんは大爆笑。「あれのどこが、さりげなくだよー」と、対乾くんの諜報活動がバレバレだったことを、わざわざおしえてくれた。今さら言わないでよ、そんなこと。


『まあまあ、むくれんなって。うまくいったんだろ?』
「まあ、ひとまず……」
『じゃあ明日は学校来れるな?』
「うん、行くよ。絶対行く。だって乾くんに会いたいもん」
『……そっか。じゃあ、今はしっかり休んどけ』
「ありがと、菊丸くん。……ほんとにありがと」


 乾くんに電話するよう言ってくれたのは、きっと菊丸くんだよね。
 わたしの乾くんへの気持ちを知ってて、そして今日休んだわたしのとこに乾くんが来てくれたから、何となく事情を察してくれたんだと思う。

 ありがとう、菊丸くん。あなたみたいな素敵な友達がいてくれて、本当に良かったよ。
 乾くんからのあの言葉がなかったら、わたしはずっと彼を避け続けて、わたしのことをどう思ってたか、勝手に誤解したまま溝を深めるところだった。


 乾くんの世界に、わたしはいないと思ってた。
 でもわたしの存在を彼はきちんと認めていて、その上今はそばにいることを許してくれたんだ。


 今はまだ友達。でも昨日までは何のつき合いもない人だったことを考えると、これってすごい進歩だよね。
 今はじっくりゆっくり、乾くんとの距離を縮めていこう。そしていつか、絶対に「友達」の域を突き抜けてやるんだ。


 そのための最初の一歩――まずは明日の朝、彼に「おはよう」って声をかけることから始めてみよう。


−END−


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 失恋企画出品作。
 6月に書いた話なので、寒くなってきた今日この頃とはイマイチ季節が合いませんが。どうも私は、季節外れな話ばかりをアップしてる気がする(汗)

 この話、テーマは失恋なのですが、こちらでは何とか想いが実りました。
 ただ、その一方にあるもう1つの想いは――というわけで、乾が電話した辺りの裏事情などは、菊丸編ではっきりします。
 よろしかったら、そちらも合わせてご覧下さい。

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2003.11.01

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