|
わたしたち、青春学園中等部3年生は、本日めでたく卒業を迎えた。 知り合いは全員高等部に持ち上がるから、卒業ならではの別れってのはなかったけど、慣れ親しんだ中等部の校舎から離れるのは、やっぱりどこか寂しい感じだ。 その寂しさはみんな同じみたいだけど、だからといって、ずっとここにはりついてるわけにもいかない。名残惜しそうにしつつも、1人また1人と、クラスメイトたちは教室を後にしていった。 そうして人影がまばらだった教室には、いつしか誰もいなくなり――待ち望んでいた状況の到来に、わたしの顔からは、知らず知らず笑みがこぼれ落ちた。 この時を、わたしはどれだけ待ったことか。 3年になっての初めての大掃除で、あの衝撃的な事実を知って以来、わたしはずっとこうすることを考えてきた。 そうして約1年間暖めてきた計画を、ついに実行に移す時が来たのだ。 そう、まさに今こそ、待ち望んだ作戦決行の時なのよ! わたしは無人の教室の一角に立つと、カバンに手を忍ばせた。 そして、久々に使う機会の訪れたそれを取り出すと、そっと壁に当てて―― ガラッ。 「「あ」」 重なり合う、2つの声。 もちろん、1つはわたしのもの。 そしてもう1つは、教室のドアを開けて、今まさに足を踏み入れようとしていた、クラスメイトの乾のものだった。 えーっと……。 これは俗に言う、「間が悪い」というヤツでしょうか。 もう誰も来ないと思っていたわたしも、もう誰もいないと思ってやって来ただろう乾も、互いの存在に本当にビックリして、視線をかち合わせたまま、動きを止めてしまった。 「…………………………」 しばらくして乾の視線は、見慣れないものを持つ、わたしの手元に移動した。 しばし乾なりに考えたようだけど、やっぱりわたしの行動はわからなかったようで、 「なあ、。つかぬことを聞くけど……一体何をやってるんだ?」 「み、見ての通りよ」 「見てわからないから、聞いてるんだが」 「……それもそうね。それより、乾はどうしてここに?」 「忘れ物を取りにね。でも、まさかそこに、刃物を持った人間が潜んでいるとは……」 「やめてよ、人を犯罪者みたいに!」 そ、そりゃ、人がいなくなるのを待ってのこの行動は、ちょっと犯罪っぽいかもしれないけど。 いや、悪いと思ったからこそ、人がいなくなるのを待ってたんだけど。 ううっ、言われてみるとわたしってば、かなり犯罪者っぽいかも。 ちょっぴり動揺するわたしを見て笑いながら、乾は教室に入ってきた。 うわー……なんだか、いじめっ子の笑い方してますよ、この人。 「必要もないのに刃物を持ち込む人間は、十分アヤしいと思うけど」 そりゃまあ確かに。 「刃物なんて大げさな。それに、必要があるから持ってきたんだもん」 「なるほど。なら、卒業式の日に彫刻刀で何をするのか、ぜひ聞かせてもらいたいな」 た、確かに、こんな日に彫刻刀持参で来る人は、我ながらアヤしいと思うけどさ。 だからこそ、人がいなくなるのを、ひたすら待ってたのに。 でも見つかったのが乾である以上、多分ごまかしは通用しない。 こういう、ヤな笑い方してるならなおさら。 しょうがないから、わたしは素直に目的をおしえることにした。 「それはまあ、ささやかな思い出作りというか……。こんな感じでさ」 言って、わたしが指し示したのは、目の前に広がる教室の壁。 ほんのちょっと前まで、クラスの子たちがたむろっていたそこに目をやると、聡い乾は、早くもわたしのやろうとしたことを理解したようだった。 そして感心半分、呆れ半分の吐息を漏らすと、 「結構すごいこと考えるんだね」 「だって、どうせやるからには、一生残っててほしいじゃん」 「でも、このまま日本の少子化が進むと、青学の存続だって危ないと思うよ。そうなると、一生ってのは難しいな」 ……すごいこと考えるのは、乾の方だと思う。 「い、いや……この場合、可能な限り長くってことでいいのではないかと」 「確かに、あと1ヶ月そこらで消えるよりは、その方がいいな」 掲示物が何もなくなった、のっぺりとした教室の壁面――でも、今じゃそこは、クラスの子たちの様々な落書で、思いのほかにぎわっていた。 卒業記念であると同時に、居心地のよかった、この教室との別れを惜しむ意味合いもあるんだろう。だから、みんなして出て行く間際、教室の壁に、記念にせっせと書き込んでいた。 さっきまでいた子たちが書いていた言葉の上に、わたしは指を滑らせる。 「こんなこと言うのもなんだけど……みんな、無駄なことしたと思わない?」 「同感。それにしても、案外忘れるものなんだな」 乾もまた、別の言葉を指で辿る。どうやら乾は、あのことを覚えてたみたい。 「知ってるなら、おしえてあげればよかったのに。『このメッセージが消される確立は100%だ』とか言って」 「楽しく書いてるとこに、水を差すような真似は、さすがにちょっとね」 「あー、確かに。誰かが最初に書き出す前ならまだ言えたけど、さすがにここまできてから、『書いても無駄』とは言えないよね」 「でも女子の大半は、あの時に『ひどい!』って騒いでたんだぞ。ひどい出来事だって認識したなら、なんでそれを忘れるんだろうな」 「忘れてる人も確かにいるだろうけど、大抵は卒業式の空気に酔って、記憶から吹っ飛んでるって感じじゃない?」 「でもは、記憶から吹っ飛ばなかったわけだ」 こういうの好きそうなのに、とちょっと意外そうに言う乾。 ええ、好きよ。 でも、好きだからこそやらなかったし、卒業式の空気に酔いしれてる場合でもなかったの。 「だってわたしは、あの大掃除の日に、こうすることを決めたんだもん」 言ってわたしは、手にした彫刻刀を、グッと握り締めた。 新年度になると、やることは山のように出てくる。 毎度ながらの大掃除も、その1つ。 特に3年生の教室は、卒業式以後全く使われてないから、1・2年の教室に比べて、汚れ具合がすごいわけ。 本当にすごかった。 特に、寄せ書き状態になっている、教室の壁の有様は―― わたしと乾は同じ掃除の班で、受け持ちは問題の壁になった。 つまり、卒業を迎えた先輩方が、思い出にと記した心の込もったメッセージを、徹底的に消す役目を仰せつかったのだ。 これには班の全員で、複雑極まりない感想を持ったものだ。 特に女子一同は、「あんまりだ」とボヤいてて、わたしもそれには目一杯同感した。 書いたのは全然知らない人たちだけど、それでも、記念に残したことだけはわかるから。 けど、教室の壁のど真ん中に、「俺たちの青春はここにある!」とか、「松下くん、だーい好き☆ ミキ」なんてメッセージがあるのは、さすがにうざい。 だから、ここがわたしの新しい教室であることを思い直した瞬間、消すことへのためらいは、あっという間にどこかへ行っちゃったんだけど。まあ、所詮知らない先輩方だし。 油性ペンで書き込まれていても、心配はナッシング。今は、種々様々なお掃除アイテムがあるから、いろんな種類の汚れも、しっかりキレイに落とせるのよ。 大変だったけど、すべての書き込みを、わたしたちは消去しまくった。 こうした経験のおかげで、わたしも乾も、みんながせっせと壁に書き込んだものが、新年度早々の大掃除で消されることを知っていた。 教室の中で堂々とやっていた作業なんだから、クラスのみんなだって、もっと知っててよさそうなものなのに。それとも、ひょっとしたら消されずにすむかもって、小さな可能性に賭けてたのかな。 でも乾は、さっきわたしが冗談で口にした、「このメッセージが消される確立は100%だ」ってのを否定しなかった。 だから多分、みんな消える。必ず消される。来年度の、3年11組の子たちの手で。 わたしも、あの時にわかったもの。 わたしたちが思いを言葉に残したとしても、結局は消されてしまうこと。 それがどれだけ大切なものであっても、知らない子たちには全く無意味であること。 だからあっさり消されてしまうこと。 だって自分が、そうやって消したんだから。 だから、わたしは思ったの。 なら自分は、絶対に消えない言葉を、ここに刻み込んでやろうって。 そこで登場するのが、この彫刻刀。 つまりは、本当に刻み込む作業を実践しようってわけ。 「そんなわけで、わたしはこれから思い出を刻みつけます。邪魔しないで下さい」 わたしはこれ以上、会話を続ける意志がないことを乾に伝えると、彫刻刀を手に、問題の壁と向き合った。 んー、この壁、結構固いかも。本当に、彫刻刀なんかで彫れるかなあ。 とりあえず、この三角刀あたりでいってみるか。 そうして選んだ彫刻刀の刃を壁に当てると、乾が手元を覗き込んできた。 ちょっと! 影になって、よく見えないじゃない! 「もうっ、邪魔しないでってば!」 「邪魔するつもりはないってば」 言うと乾は、こちらに大きな手を差し出してきた。 「俺にも貸してくれない?」 「……乾も何か彫るの?」 「まあ、せっかくだからね。それに、消されないなら残しておきたい」 「少子化の影響で、青学の未来はわからないのに?」 「悪かったよ」 「わかればよろしい」 何がよろしいのかよくわかんないけど、まあ同志が増えるのはいいことだ。 6本セットの彫刻刀から1本貸すと、わたしも乾も、思い思いの作業に取りかかった。 さてと、なんて彫ろうかなー。 一応いくつか考えてはいたけど、土壇場になると結構迷う。 それに、失敗した場合はやり直しがきかないから、ちょっと緊張するし。 間違えたものが長年残るのは、さすがに嫌だ。 とにかく慎重に、油断せずにいこう。 あ、「油断せずにいこう」っていいかも。よし、これに決定。 実際に刃を入れてみると、思った以上に固かった。 これは、あまりたくさんの文字数だと、間違いなく手を痛めるな。 そーいや乾はテニス部だったけど、手首平気なのかな。 やっぱり高等部でもテニス部に入ると思うし、これで何かあると、さすがに気の毒――って、そんな心配無駄なくらい、余裕でガリガリ彫ってるし。 さすがに、男の子の方が力強いだけあるな。わたしよりも、すんなり彫ってる。 一体、何彫ってんだろ? 三角で1本線が飛び出したヤツ――傘かな、これ? わたしは乾の作業を、しばらく見ていた。 やっぱり、画数の多い文字は大変みたいで、漢字をやめて、カタカナで彫ってる。 サダハル――ああ、乾の名前か。貞治。で、その隣が―― 「!?!?!? ちょっと待った――っ!」 「待たない」 「ダメダメ、待って、待ってってば!」 「刃物持ってるのに危ないだろ」 「危ないならやめてってば!」 なんでこの人、相愛傘なんか彫ってるの? でもって、なんでそこにあるのが、乾とわたしの名前なの!? 愕然となるわたしの隣で、いつの間にやら彫り終えた乾は、なぜかやたらといい笑顔。 こういう笑い方してるんだから、もっと注意するべきだった……。 なんでわたしったら、あっさり彫刻刀貸しちゃったんだろう。 「もー! 信じらんない信じらんない信じらんない! なんでこんなことするのよ!!」 「嫌だった?」 「当たり前でしょ、こんなところに!」 「それって、こんな目立つところに相愛傘彫ったのが嫌なのか、俺自体が嫌なのかどっち?」 「ど、どっちって……」 乾は、相変わらず笑ったまま。 でも、そこに意地悪さはない。 見ていて、ドキドキする笑顔。 こ、困る。すっっっごい困る! こんな目立つところに今時相愛傘ってのも困るけど、何より一番困るのは、こんなことする乾のことが、実はあんまり嫌じゃないってことなのよ。ああっ、でもやっぱり相愛傘はちょっと嫌かも。 言葉に詰まったわたしの頭を、乾が優しく撫でてくる。 何なのよ、その、「何も言わなくても俺は全部わかってるよ」って清々しい顔は。 そ、そりゃ今のわたしは、自分でもわかるくらい顔真っ赤だけどさ。 っていうか、そもそもあんたのせいじゃんか! 「おかげさまで、中学生活の思わぬ記念が残せたよ」 「わたしも、思わぬ記念になっちゃったわ……」 「10年後まで残ってるといいな」 「そうね。恥ずかしいけど、その頃にはきっといい思い出になってるだろうし」 「その時は、一緒に確認に来よう」 「それは、その時にならないとわかんないけど……」 「結婚式にはもってこいのエピソードだしな」 「へ!?」 そ、それはさすがに話が飛躍しすぎてない? っていうか、わたし今もしかして、ものすごい告白されてるのでは……。 中3にて、結婚を前提にお付き合い。 その先のことは――とりあえず、10年後まで秘密ということで。 −END−
|