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オリンピックに、アメリカ大統領選挙。 どちらも4年に一度の、注目すべき一大イベント。 でも今年は、個人的にそれらを凌駕する、もっとすごい重大イベントがあるのです。 だって、今年は閏年。 つまり4年に一度の、貴重な2月29日がお目見えする年なのです! そうなると、必然的に活気づくのは、テニス部のかつての先輩、不二周助氏の近辺。 素敵でかっこよくて人気者の不二先輩は、当然ながら数多の女の子たちの憧れの的なわけで。 まあ、かく言うわたしも、そんな数多の女子の1人だったりするんだけど。 でも、不二先輩を慕うそんな我々には、たった1つだけ、困ったことがあるのです。 それは不二先輩の誕生日が、4年に一度しかない、2月29日だということ。 不二先輩が、2月28日の翌日に生まれたことは間違いないんだけど、それでも誕生日にきちんとプレゼントを渡せないのは、やっぱりどこか寂しいじゃない。 でも、過去3年間できなかったそれが、今年はできる。 そのせいか、2月に入った辺りから、不二先輩ファンは浮かれに浮かれまくっていた。 確かに、めったにないチャンスだもんね。 これを機に告白を狙ってる子も、少なくないだろうし。 でも、そんなチャンスにわたしは……実は何もしていない。 いや、していないっていうか――したくないっていうか。 わたしは基本的に、テニス部の人たちに渡してほしいという手紙やプレゼントの類は、一切受け取らない。 別に渡すのがめんどくさいとか、ミーハーな女どもに軽々しくテニス部の仲間に近づいてほしくないとか、そういうことを思って断ってるわけじゃないのよ。……まあ、そういう気持ちもなくはないけど。 っていうか、テニス部の先輩も後輩も同級生も、みんなやたらもてすぎるのよ。 彼らがもてもてなおかげで、マネージャーのわたしは、ひっきりなしにプレゼント類の仲立ちを頼まれることになるんだから、ほんとたまったもんじゃないわ。 そもそもその頼みは、おいそれと引き受けるわけにはいかないの。 なぜなら、そこで一度誰かのを受け取っちゃうと、他の人のを断るわけにはいかなくなるから。 これがもう、ほんとにシャレにならないくらい頼まれるわけで、全員分を引き受けるなんて100%無理なんだから。それなら、最初から全員分を断る方が、公平でいいでしょ? だから、誰かの誕生日やバレンタインといった、プレゼントの殺到するイベント時は、徹底的に配達依頼を断ってきた。 みんなに対して公平だからって――そんな詭弁を言い続けてきた。 そう、詭弁。 だってこれは、公平でも何でもない。 そうして何もしないでいることが、わたしにとって、一番有利だったから。 部活の先輩と後輩――今のわたしと不二先輩は、言ってしまえば、ただそれだけの関係にすぎない。 それだけの関係だけど、一種独特な、貴重な関係でもある。 だって、物理的に一番近い距離にいるはずのクラスメイトとも違う、近さ・親しさを持てる間柄なんだから。 部活という共有時間は、そうした絆を、わたしと不二先輩の間に結んでくれたんだ。 だけど、その貴重な関係が、逆にわたしを臆病にさせた。 不二先輩の隣にいられる、ただ1人の人になりたい――そう思うこともあったけど、先輩後輩という壁で守られたこの場所の、あまりの心地好さが、その思いを挫けさせてしまった。 だって、もし不二先輩が、そういう対象としてわたしを見てくれなかったら? この壁を飛び越えることに、失敗してしまったら? そうしたらわたしは、この場所にいられなくなる。 壁は壊れて、この心地好さは、永遠に失われてしまう。 それは、とてつもない恐怖だった。 新たな関係を求めることで、不二先輩に拒絶されるくらいなら、今のままでいた方がいい。 むしろ後輩として、他の子たちよりずっと優しく、親しくしてもらえるから。 だから、プレゼントを頼まれたって、絶対渡さない。それがきっかけで、不二先輩とプレゼントを渡した子がつき合うことになったりしたら、きっと一生悔やむもの。 それに、「不二先輩は特別な存在です」って心がバレるかもしれないと思ったら、個人的なプレゼントも、怖くて渡せなくなった。 だから、わたしは何もしない。 何もする気はない――はずだった。 なのにそんなわたしの決意は、1人の女の子によって覆されることになる。 「さん、一生のお願いっ!」 折り入って話があると、同じクラスの子に呼び出されたわたしは、今目の前で、彼女に手を合わせられていた。 特に親しいというわけでもない彼女は、今必死で、わたしに懇願している。 何かというと……不二先輩の誕生日である2月29日の今日、その不二先輩に、誕生日プレゼントを渡してほしいというお願いで。 わたしが仲立ちを断ることは、結構知られてると思ったんだけど、まだこうして頼んでくる子もいたんだね。 でも、せっかく頼みに来たとこ悪いけど、引き受けるわけにはいかないんだ。 「ごめん、わたし――」 けれど、さっそく断ろうとしたわたしの言葉は、彼女によって遮られる。 「あの、さんが誰からのプレゼントも預からないことは、わたしも知ってるの。でもお願い! 不二先輩の誕生日は4年に一度しかなくて、次の誕生日には、先輩はもう高校を卒業してるから、渡せるのって今しかないの。それにわたし、あんまり先輩と面識なくて……。先輩は優しいから、プレゼントは受け取ってくれると思うけど、知らないわたしよりもさんが渡してくれた方が、きっと先輩は受け取りやすいと思うから」 一気にそう言うと、再びわたしに、頭を下げて頼み込んだ。 彼女の言う通り、今を逃せば、不二先輩の次の誕生日は20歳の時になる。 3年間しかない中学生活の中で、1学年下のわたしたちは、たった2年しか不二先輩と一緒にいられない。 なのに、その貴重な期間に、不二先輩の誕生日はやって来ないんだ。 皮肉なことに、先輩が中等部を卒業し、高等部に行った時に、ようやくその瞬間はやって来る。 でも不二先輩は、今でもたまに中等部の部活に顔を出してくれるから、先輩に恋い焦がれる子たちが、貴重なこの年に接近しやすいのも事実だった。 だから、この瞬間を大事にしたいという、彼女の気持ちはよくわかる。 それに、せっかくプレゼントを渡すなら、気持ちよく受け取ってもらいたいしね。 なら、わたしが間に入った方が、確かに不二先輩は受け取りやすいと思う。 「さん……」 はっきり答えを言わないわたしを、彼女はとても不安そうに見ていた。 でもそんな不安の中にも、簡単には引き下がらない意志が見えて、彼女がプレゼントを渡すことに、どれほどの決意と恋心を秘めているかが窺い知れた。 何ていうか……静かに圧倒されるよう。 後ろ向きなわたしと前向きな彼女とでは、そもそも心の強さが違っていた。 そして、断りきれずに根負けしたわたしは、結局、彼女の望みを受け入れることになったのだ。 3年生のわたしたちは、とっくに部活を引退し、それどころか卒業式も間近だけど、今も結構頻繁に、テニス部に顔を出していた。 みんな、青学の高等部に進むことが決まってるから受験はないし、それに高等部でもテニス部に入ることを決めてるから、身体が鈍らないように動かしておきたいみたい。 わたしもまた、マネージャーをするつもりだから、仕事の感覚を忘れたくなかったし。 そこにかつての先輩たちも遊びに来たりするから、わたしと不二先輩は、今でもちょくちょく会っていた。とはいえ、あくまで部活限定にすぎないんだけど。 テニスコートの方から、みんなの声が聞こえてくる。 これは、すぐにも部活が始まるな。わたしも早く行かなくちゃ。 とはいえ、重い気持ちが足取りも重くさせて、なかなか部室に辿り着けない。 あーあ、何でこんなの引き受けちゃったんだろう……。 そんなことを思っても、今となっては後の祭り。 それに、「大事な用があるので会えませんか?」って出したメールに、了解の返信が届いちゃったんだもの。ここまできたら、やり遂げるしかないわよね。 とはいえ、やはり気分の重さは、なかなか消えてくれなくて。 何度も何度もため息をつきながら、一生懸命足を動かす。 そんなふうに、やっとのことで、わたしは部室に到着した。 そして静かにドアを開けると、そこには眩い笑顔のあの人が。 「やあ、。久しぶり」 「すみません。こちらの用事なのに、わざわざ来てもらっちゃって」 間もなく部活が始まろうとしているからか、今部室には、不二先輩1人だけだった。 そこにわたしが来たことで、この場は2人きりになる。 ど、どどどうしようっ! ものすごく緊張する。 ただ、預かり物を渡すだけなのに。 何だか挙動不審なわたしに、でも不二先輩は、やっぱり笑顔で。 だけど今は、その笑顔がまぶしすぎる。 気持ちが負け犬なわたしは、理由もなくいたたまれなくなって、さっそく用件を切り出した。 「あ、あの、不二先輩」 「ん?」 「これ……受け取ってもらえませんか?」 言って差し出したのは、クラスメイトの彼女から預かったプレゼント。 中身までは知らないけど、手のひらサイズの手頃な大きさで、すっきりした感じの、センスのいいラッピングだ。 「僕に?」 一瞬驚いた不二先輩だけど、すぐに満面の笑みを浮かべた。 その素敵な笑顔に、チクリと胸が痛くなる。 わたしは早く終わらせたくて、口早に続きを告げた。 「は、はい。わたしのクラスの子から預かってきた、誕生日プレゼントです。あの、用っていうのは、このこと……で――?」 でもそう言った途端、いつもにこやかな表情を宿す、不二先輩の端正な顔が、一瞬しかめられた気がした。 そしてそれは、気のせいなんかじゃなくて。 次の瞬間、たちまち先輩から笑顔が消えた。 「いつもはこういうことしないよね」 先輩こそ、いつもらしくない。 だって耳に届くのは、聞き慣れた柔らかな声音じゃなくて、どこか冷たい、低い声。 不二先輩は、あまり感情を露にするタイプじゃない。 試合の時とかは別として、日常生活では、いつも笑顔を保っている。 そんな人が、なぜか今、怒りの空気を漂わせていた。 そして、怒る原因があるとしたら、それはわたし以外にはないわけで。 でも、何で怒るの? 何に対して怒ってるの? それが、わたしにはわからない。 わからないのに、不二先輩は戸惑うわたしを置き去りにして、なおも無表情で訊ねてくる。 「何で?」 「な、何でって……だって、2月29日は毎年ないし、めったにあることじゃないから、今日くらいは特別にと思って……」 本当にわけがわからなくて、しどろもどろで答えるわたし。 そんなわたしを見て、なぜか不二先輩は、深々とため息をついた。 そして少しだけ、口調が柔らかくなる。 「他の子の特別なんて、どうでもいいんだよ」 「え?」 「聞こえなかった?」 いや、聞こえてます。聞こえてますけど。 でもそう伝える前に、不二先輩はわたしとの距離を一気に詰めた。 いや、そうじゃない。いきなり腕を掴まれて、わたしが先輩に引き寄せられたんだ。 そして今までにないほど、至近距離で見つめられる。 「は今のままがよさそうだったから、何も言わないでいたけど」 その言葉に、わたしの顔が強張る。 気づいた不二先輩は、宥めようと思ってか、優しくわたしの頭を撫でた。 もしかして……とっくの昔に見抜かれてた? わたしの考えてることなんてバレバレで――でもそれなら、知ってて何も言わなかったのを、今ここでわざわざ言うのは何でなの? わたしの動揺が落ち着くのを待って、不二先輩は続ける。 「こういうことをされるなら、ちょっと考え直す必要があるね」 考え直すって……何を? 首を傾げるわたしに、不二先輩は苦笑する。 もう怒ってはないようだけど、それでも、どこかいつもと違う。 「どのみち、は高等部でもマネージャーになるだろうし、やっぱりここは、ちゃんと言っておくことにするよ」 不二先輩は、何を言おうとしてるんだろう。 想像がつかなくて、それが怖くて、距離をとるため後ずさろうとするわたし。 でも、不二先輩は離してくれない。 それどころか、ますます身体が密着していくような……。 「僕はと、ただの先輩後輩の関係でいるのはごめんだよ」 そう言うと、頭を撫でていたはずの不二先輩の手は、後頭部から首を伝って肩へと回され、気がつけば、わたしはそのまま抱きしめられていた。 「さっきは、からプレゼントがもらえるのかと思って、一瞬嬉しかった」 そして耳元に唇が寄せられ、いつもの優しい不二先輩の声が、より近く響く。 「のことが好きだから」 ――その瞬間のわたしは、とても人には見せられない、すごい顔をしてたと思う。 ちょうど不二先輩の胸元に顔を埋めてたわたしは、顔を見られずにすんでよかったと、ただそれだけを考えていた。 でも何も言わないわたしに不安になってきたのか、不二先輩の心拍数はどんどん上がっていく。 抱きしめられてるせいで、先輩の心臓近くに耳があるから、その音がとてもよく聞こえてくるんだ。 「先輩……」 「今のままで満足してほしくない。これから先も、の先輩でしかいられないなんて、そんなのは嫌なんだ」 抱きしめる腕の力が強くなる。 それはまるで、不二先輩の気持ちが溢れてくるのに、比例するかのよう。 そしてその力強さは、隠し続けるつもりでいた、わたしの想いまで引きずり出した。 わたしも嫌です。 ほんとは、すごく嫌だったんです。 今以上の進展が望めない、この関係が。 「あの、わたし……」 先輩後輩という壁で囲われた、今のこの場所を、不二先輩は飛び越えた。 ならわたしも、早くここを飛び越えなくちゃ。 じゃなきゃ壁に阻まれて、向こう側にいる不二先輩に会えなくなる。 「わたしも――好きです。不二先輩」 喉の奥で、もごもご言うだけの小さな声だったけど――でも、それを口にした時、言ってよかったと心から思った。 だって、あんなに嬉しそうな不二先輩の笑顔、初めて見たんだもの。 壁の向こうは、果てしなく広がっている。 飛び越えたことで、わたしはようやくそれを知った。 でも、厚いその壁を無事に飛び越えられたのは、向こう側に不二先輩がいてくれたから。 ありがとう、不二先輩。 これから一緒に、壁を越えた先にある、素敵な世界を歩いていこうね。 −END−
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