18.日焼け



 夏休みも半ばを過ぎれば、どの運動部も少なからず変化する。
 それは最後の大会を終えた3年生が引退し、活動の主体が次の代に切り替わるからだ。
 やること自体はこれまでと同じでも、やる人間が変われば、やっぱり空気が変わるのよね。

 そして大抵の部は、すでに引継ぎをすませて、3年生は寂しいながらも気楽な立場になった。
 でも全国大会に出場して、他の部よりも活動期間が延びたテニス部は、今日がその引継ぎの日。

 練習が終わるや否や、さっさと職員室へ涼みに行ってしまうオサムちゃんに、自分が書いた部誌を渡しに行くのも、これが最後なんだなあ……。
 暑い中ブーブー言いながら部活をすることも、もうないんだ。


 そんなことをしみじみと思いつつ、部室への道を辿る。

 でもなんだか、近づくにつれて、えらく騒々しさが増すような……。
 目的地に近づくことで、騒ぎが大きくなるってことは、その発生源はやっぱり――


「ええかげんにせえ、おまえら!」
「白石が怒ったー! 逃げろー!」


 やっぱりテニス部だった。
 目の前で勢いよく開けられた部室のドアから、嬉々とした金ちゃん以下数名が、これまたものすごい勢いで飛び出してくる。

 3年生最後の日でも、相変わらずか。
 でも、そういう方がわたしららしい。


 なーんて、感慨深く思ってたけど、


「お、。後は任せた!」
「え? ちょっと!」


 言って謙也は、金ちゃんたちと一緒に、あっという間に遥か彼方へ。
 スピードスターに引き寄せられてか、他のみんなも一瞬にして遠ざかる。
 それは追いかけようと飛び出した白石が、一瞬にしてあきらめてしまうほどの早業だった。


「大騒ぎやね。みんなで一体何してたん?」


 よくわからないけど、白石VSその他大勢の抗争があったんだろう。
 何しろ白石は、髪も服もグチャグチャだったから。

 そしてグチャグチャなその人は、わたしの姿を見るや否や、えらく慌てふためいた。


「も、もう戻ってきたんか、


 言って白石は、素早く左手の肘上辺りを隠す。


「何隠したん?」
「いや、何も隠してませんけど?」


 嘘つけ。
 明らかに、何かを隠してる格好じゃない。

 でも、「隠すなんてアヤしい」とそれを暴こうとしたわたしは、そんな彼にふと違和感を覚えた。


 いつもの白石。
 なのに、さっきまでとどこか違う。

 でも、何が?

 いい男なのに変なヤツで、金ちゃんを押さえるためになぜか毒手な設定で、それでいつも包帯を巻いていて……って――


「包帯がない!」


 今じゃすっかり、白石の特徴となった左腕の包帯が、キレイに消えている。

 なんでなんでどうして!?
 驚いて、白石に詰め寄ると、


「まあ、今日で引退なわけやし、毒手設定も解禁かなと」


 ってことは、金ちゃんの前で、ついに真実を告げたの?
 毒手の存在を本気で信じてた、あの金ちゃんに?
 なんでそんなすごいことを、わたしがいない時にやっちゃうのよ!


「で……金ちゃんはなんて?」


 でも、そんな愚痴は後でいい。
 今は少しでも早く、金ちゃんがどんなだったか知りたいんだ。

 けど、息を呑んで訊ねるわたしに、白石はとてもサラッと言ってのけた。


「日焼けが腕章みたいやて」
「日焼け?」


 なんやの、それ?

 でも、未だに肘上部分を隠そうとする白石を見てたら、すぐにわかった。
 何しろ、これまで毒手を貫いた彼の左手は、包帯に守られたことで、肘から先がうらやましいほど真っ白だったんだ。

 おまけに、袖の部分も普通に紫外線は阻まれてるから、それのせいで白石の左手は、二の腕の真ん中辺りから肘までだけが日焼けするという、なんともおかしなことになっていた。
 その場所と大きさから、確かに腕章でもしてるみたいだ。


「でも、あの金ちゃんが、そんなあっさりした反応で終わるもん?」


 だってこれまで、いわば死の恐怖に怯えてたわけだし。
 その疑問に対し、白石は深々とため息をつきながら、疲れたようにこう言った。


「終わらんかったよ。それなら、何の腕章かはっきりさせるべきやて」
「は?」
「で、謙也がペンなんか渡したせいで、このザマや」


 先程逃亡した面子を思い浮かべて、苦々しく呟いた白石は、ついに隠していた手をどけた。

 白と白に挟まれた、小麦色の部分。
 そこには歪ながらも力強い字で、こう書かれていた。



 ホケソイイソ。



「ほけそ……?」


 意味がわからないよ、金ちゃん。


「書いた本人は、保健委員のつもりらしいで」


 って、ホケンイインか!
 頼むから、カタカナくらいちゃんと書こうよ、金ちゃん。


「やっぱり毒手設定の解放は、これまで制御されていた金ちゃんの中で、何かを弾けさせたんやね」
「一番ひどいのは、周りの連中や。嫌がる俺を、みんなしてよってたかって……」


 さめざめと泣く真似をしつつ、アヤしげな誤解を招きかけない発言をする白石。
 ようするに、面白がったみんなが白石を押さえつけ、あろうことか油性ペンで落書きされてしまったと。


「まあ、実際保健委員やし、保健委員て書かれるのはかまわんのやけど」


 かまわないんだ。


「でも、さすがにこれはないやろ……」


 言って、ため息の尽きない白石は、ガックリとうなだれた。

 いくら押さえられてるといっても、暴れる白石に、画数の多い字を書くのは至難の業。
 だから、簡単なカタカナを選んだんだろうけど……だからって、ホケソイイソはないよなあ。


「ンくらい、ちゃんと書いてくれ。ちゅーか、これから大事な用があったのに」


 でも、それなりにおいしいネタができたのに、白石は本気で落ち込んでる。
 いつもなら、もうちょっと前向きなのに。
 よっぽど大事な用があったんやなあ。


「まあまあ。油性ペンなら、多分、除光液で落ちるからさ」
「んなもん、どこにあんねん」
「ジャーン、ここにありまーす」


 わたしのカバンから取り出されたそれを見て、白石は軽く目を見開いた。
 それで思い至ったのか、視線をわたしの指先へ向ける。

 でも恥ずかしいから、あまり見ないでほしいな。
 うっすらピンク色になった爪は、まだ慣れてないマニキュアのせいで、表面がデコボコだったから。


 そう。わたくし、引退を機に、ネイルというものに挑戦したのです。


って、そんなん持ち歩くタイプやった?」
「まあ、部活も引退したことだし、これくらいはいいかなと思って」


 うちの学校は、そんなに厳しい校則じゃないけど、さすがに目にとまったことは注意される。
 だからこれまでは、自分なりにおとなしくしてきた。
 小さなことでも積み重なれば、何かの拍子に有責になるからね。
 もし、大会前にそんなことになったら、さすがに悔いが残るもの。

 とはいえ、一応受験生だし、あまり派手なことはできないけど。
 でも、残り少ない夏休みの間、ほんのちょっとおしゃれを楽しむくらいは許してほしい。


「そんな小洒落たことして、彼氏でもできたん?」


 除光液をティッシュに含ませるのを横目に、白石が訊ねてくる。


「まだおらんよ。募集中やから、こうして己を磨いてんの」
「ふーん」


 するとなぜか、剣呑な響きの相槌が返ってきた。
 それに引っかかって、彼に目をやると、心持ち冷たくなったまなざしが、わたしに向かって注がれている。

 何、その反応。
 わたしが彼氏を募集するのは、そんなにダメなことですか?


「そ、それより、大事な用って何? せっかくおいしいネタ仕込んだのに、消すなんてもったいないって」
「真面目に取り組みたいことがあってな。でも的には、これってありか?」
「んー、ありかなしかで言うなら、ありやね」
「ふーん」


 どことなく鋭い彼のまなざしから逃れたくて、金ちゃんの字を消すべく、拭き取り作業にかかるわたし。
 でも作業中、白石はわたしのことだけを、ただ見ていた。


「な、何? やりにくいんやけど」
「……がありって言うなら、かまわんか」


 独り言のようなそれは、彼自身の最終確認。
 だって、「何がよ?」と聞いた次の一言は、何の脈絡もなかったんだもの。





「好きや」





「……は?」


 ポカンとするわたしに、白石はわかりやすく伝えようとしてか、「好」「き」「や」と、一語ずつ区切って、さらに言った。

 いや、言ってる意味はわかってるよ!
 わからないのは、いきなりそんなことを口にする人間の方だ。


「い、いきなり何!?」
「ホケソイイソ付きでもかまわん言うたやろ」
「そりゃ言うたけど……!」


 でもそれは、ネタとしておいしいよねという、客観的な意見であって……。
 けどそこで、わたしはふと、あることに思い至った。


「もしかして、大事な用事ってこれのこと?」
「そうや。いくら俺でも、告白を茶化す勇気はないからな」


 うん、確かにこんなんで告白されても、ちょっとね。
 それは白石が正しいよ。


「これで引退やし、部活がなくなれば、これまでみたいに毎日会えへんやろ。なら告白するんは、今日しかないやんか」
「あー……まあ、そうやね」
「俺にとっては、今日が決戦の日やったんや」
「いや、それは大げさすぎひん?」


 大げさすぎるとは思うけど、だからって冗談……やないよね。
 冗談扱いしていいもんやないよね。


「好きや、
「わ、わかった! わかったから、そんなに何回も言わんといて!」


 ビックリした。

 言われ慣れない言葉だから、ただでさえ恥ずかしいのに。
 まさか白石が、そんなふうに思ってくれてたなんて。


 わたしは今、彼の気持ちを嬉しいと思ってる……んだと思う。
 ただ、驚きが勝ちすぎて、そのことをきちんと考えられない。

 だからちゃんと考えようと思うんだけど、視線はつい、白石の左肘のホケソイイソへ。
 でもこいつが、真面目な思考を遠ざける。

 だって、ホケソイイソだよ?
 なんでンをソにしちゃったのって、金ちゃんに問いかけたくて仕方ない。


 そんなふうに彼の左腕を気にしまくってたら、ついに白石が、「せやから、こんな状態で言うんは嫌やったんや!」とブチ切れた。


 ごめん、白石。
 ちゃんと真面目に考えるから。
 だからまずは、問題の文字をキレイに落とそう。

−END−


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 金ちゃんは、ンとソの書き分けができてなさそうな気がします。
 あと、シとツも危なそう(笑)

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2009.08.31



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