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中途半端。 それが、わたしと亮の距離を表す言葉だった。 普段はとてもそっけない。でもタイミングさえ合えば、いつまででもしゃべっていられるような、まあ概ね仲良しって感じの、どこか微妙な間柄。 寂しく思う時もあるけど、居心地がいいのも事実で、我ながらその極端な関係に、首を傾げることもあった。 でも曖昧だからこそ、維持することは難しい。 不可思議だったわたしたちの気持ちは、月が満ちていくようにゆっくりと姿を変え――ふと気がつけば、それは明らかに、以前とは異なるものになっていた。 「じゃあなー」 「おう、また明日」 そんなやりとりと共に、お隣さん家にたむろしていた男子たちは解散した。 わたしの家まで漏れ聞こえていた楽しげな声は消え、暮れ行く日と相まって、途端にひっそりした空気になる。 ベランダに出たわたしは、そんな夕方の景色を、何となく眺めていた。 そのまま視線を左にやれば、そこには長いつき合いになる隣家がある。 もう話し声は聞こえない。 隣人の連れはみんな家路につき、先程まで騒がしかった間近にある部屋は、すっかり静まり返っている。 今そこにいるのは、友人たちの見送りから戻ってきた、部屋の主だけだろう。 そう思って、わたしはベランダから呼びかけた。 「亮ー」 家と宍戸家は、同じ時期に家を建て、同じ時期に引っ越してきた。 同い年のわたしと亮は、それ以来のおつき合い。いわゆる、幼なじみというヤツだ。 やがて、大きくなったわたしたちが割り当てられた部屋は、宍戸家南西の角部屋と、家南東の角部屋。両家の間にある垣根ぶんの距離を隔てた、とても近い場所に、わたしたちは本拠地を構えることになった。 それは、窓を開けて呼びかければ、意志の疎通が図れる近さ。 おかげでわたしたちは、携帯電話が普及した今でも、適当な用事ならベランダ越しで済ませるようになっていた。 そんなわけで、貸したCDを返してほしいわたしは、亮に一声かけられるタイミングを、ずっと待っていたのです。 「亮ー。りょーおー。亮くーん?」 でも、なぜか今日は反応が悪い。 出て来る時は、いつもかったるそうだけど、それでも一度呼べば、すぐに顔を出してくれるのに。 けれど、謎はすぐに解けた。 「………………?」 「えっ!?」 それは亮の部屋にいたのが、亮じゃなかったから。 しつこく呼びかけるわたしに対し、訝しげに出て来たのは、何と跡部様だったのです! でも、ちょっと待って。そもそもなんで、跡部様がいるの!? いや、友達どうしで集まっていた以上、いてもおかしくないんだけど、さっきのでみんな帰ったんじゃなかったの? 亮にとっては気心の知れた部活仲間でも、わたしからすれば、跡部様は芸能人と同じカテゴリーだ。 だって何かとすごい人だし、同じクラスにならない限りは、接点なんて持てるはずもない。 つまり、一度も同じクラスにならなかったわたしにとって、跡部様は遠い世界の人なわけよ。 そんな跡部様が、いきなり出て来たら、そりゃ驚くに決まってるでしょ。 そして当然ながら、向こうもわたしに対して、意味がわからないという顔をしていた。 そのままなぜか、見つめ合ってしまうわたしたち。 でも、この妙な沈黙を打ち破ったのは、跡部様の方だった。 「H組の?」 それは衝撃的な一言だった。 だって跡部様の口から、わたしの名前が出たんだもの! 「わ、わたしをご存知で?」 「前に忍足が言ってたからな。宍戸には幼なじみっつー、ヤラしい立ち位置の女がいるってよ」 しどろもどろなわたしに、ニヤリと笑いながら言う跡部様。 ……ヤラしいのはおまえの頭だと、今ここにはいないクラスメイトに言ってやりたい。 「まあ、変態メガネの言うことは気にしないで。わたしと亮は、見ての通りのご近所さんです」 「亮、ねえ……」 探るような眼差しにドキッとする。 別に、探られて痛い腹はないんだけど、その美貌でじっと見つめられるのは心臓に悪い。 もう、本当に何なの、これ? この状況を変えるべく、話題も変えたいんだけど、変に緊張して舌が回らないせいで、謎の言語しか出てこない。 でも、そんなわたしを見て、跡部様は面白そうに笑っていた。 その笑顔は、とても何気ないもので……逆に、すごく意外だった。 高笑いとかクールな微笑は遠くから見たことがあるけど、こうした普通の笑い方もできるんだなーって。 まあ考えてみれば、亮の友達なんだから、何から何まで別世界の人ってわけじゃないわよね。 そう思ったら、少し落ち着いた。 「ところで、跡部様はなんでここに?」 「ああ、俺は迎えの車待ち。で、宍戸はトイレ」 これまで接点のない者どうしだから、最初はぎくしゃくしたけれど、話してみれば、跡部様はとても愉快な人だった。 だから亮が戻ってきた時には、わたしたちはすっかり普通に話していて。 何も知らない彼が、「おまえら、何してんだよ!?」と、えらく驚いたのは言うまでもない。 そして、しばしの談笑の後、跡部様はご帰宅。 でも、それを見届けると、たちまち亮は仏頂面になった。 「あいつ、どうすんだよ」 「どうするって、何が?」 「何がって……おまえにちょっかい出してきたらだよ。何か、のこと、気に入ったみてえじゃん」 「まっさかー。だって、相手は跡部様だよ。わたしなんか相手にしないって」 「そのわりには、ずいぶん楽しそうだったけどな」 面白くなさそうにボヤくけど、別に、亮が心配するようなことはないと思うけどなー。 でもまあ、確かに楽しかった。 けど、亮の機嫌を損ねること確実だから、これは言わないでおく。 次の日。 「ー!」 「なあにー?」 西の空がわずかに明るい、あと少しで日が沈むという頃に、今度はわたしが亮に呼ばれて、ベランダに出た。 隣家のベランダには、部活帰りらしき彼の姿が。 ところがえらくご機嫌斜めで、わたしが顔を出した途端、身を乗り出しながらわめいてきた。 「あいつ、おまえに興味津々じゃねえか!」 「はあ?」 いきなり何よ。っていうか、何の話? それが顔に出たんだろう、「跡部だよ、跡部!」と言われて、昨日の話を思い出した。 ――まさか本当に、跡部様がわたしに? 「そうかなー? 興味があるっていうより、面白がられてるだけなんじゃないの?」 「面白がるって、何をだよ?」 「亮だよ。そうやってムキになるから、そっちにちょっかい出したいんだって」 「……そうかあ?」 否定はできないけど、肯定もできない。 不本意そうなその様子から、納得がいかないことは伝わったけど、その可能性も無下にできないだけに、亮は苦い顔で口を噤んだ。 けれど、さらに次の日。 「」 部活帰りの亮に、いつものごとく呼び出されたら、そこにはいつもと違う彼がいた。 真剣そのものというか、鬼気迫るというか、とにかく怖い顔でわたしを待ち受けている。 気圧されながらも、「な、何?」と問うと、亮は大きく息を吐いて、落ち着く努力をしていると言いたげな様子を見せた。 「今日、跡部に確認されたぞ。おまえと俺は、本当にただの幼なじみかって。それなら、自分が手を出してもかまわねえかってよ」 マジですか!? 「手を出されるのは困るなあ。でも……」 でも、相手が跡部様なら…………………………いや、やっぱりそれは困る! あまりにもわかりやすく迷うわたしに、亮は目を見開いて叫んだ。 「迷ってんじゃねえよ!」 「ま、迷ってなんかないよ! それよりも、亮はなんて答えたの?」 わたしにとって、大事なのはそっちだよ。 でもそれを聞くと、先程までの勢いはどこへやら。 亮の目は泳ぎ出し、声も尻すぼみになっていく。 「そりゃ……こうなった以上は、ガツンと言うだろうがよ」 「だから、なんて?」 重ねて問う。 それは半分意地悪だけど、もう半分は、本気で聞きたかったから。 目の前にいる人は、じっと見つめるわたしにたじろいでいる。 目を逸らさないで。はぐらかさないで。 願いを込めて、わたしは見つめる。 やがて亮は、大きく息を吐いた。 先程と同じように、落ち着く努力を懸命にしている。 けれど、怒りを堪えていたような先程とは、全く様子が異なっていた。 なぜなら、その顔はたちまち真っ赤になり、全力で恥ずかしさを訴えていたから。 「まあ、その……俺の彼女に手を出すな、ってな」 俺の彼女。 ――うん、それが聞きたかったの。 「……えへへっ」 「何笑ってんだよ」 今度は、わたしの頬が朱に染まる。 だって、やっぱり嬉しいもん。 わたしたちのことは隠しているわけじゃないけど、大っぴらにもしていない。 だから周囲には、ほとんど知られていない。 おまけにつき合いも長くて、恋人っぽいことがほとんどないから、時々不安になるんだよ。 このつき合いは、幼なじみという、ただの腐れ縁の延長によるものじゃないかって。 けど、ただの腐れ縁なんかじゃなかった。 何しろ、あの跡部様を牽制したんだもんね。わたしを離さないために。 それがどれだけ嬉しいか、亮にわかるかな。 嬉しくて嬉しくて、嬉しさがどんどん膨らんで、ただ亮を見つめる。 そんなわたしを、じっと見ていた亮。ふいに真顔になると、 「なあ、そっち行ってもいいか?」 「いいけど、暗くなったから気をつけて。落ちたりしないでね」 「うるせえ」 そう言うと、軽々とベランダを飛び越えて、こちらに来た。 そしてわたしの部屋に入り――って……どうしよう。すぐにも触れ合える距離にいると思ったら、今になって緊張してきた。 こんなふうに、以前は普通に、ベランダから行き来していた。 でも、普通だったそれが、今は違う。 なぜなら、関係が変わった今、そうやって彼が来る時は――わたしたちが密接な時間を過ごす時になったから。 きっかけは、亮がいきなりやって来た、ある日のこと。 たまたま着替え中で、下着姿だったわたしとかち合って、大変なことになった。 当然わたしは驚いたけど、それでも亮の驚きの比じゃない。 慌てふためいて、大急ぎで撤退しようとしたはいいけど、その時に手を滑らせて、ベランダから豪快に落ちたのよね。 大したケガはなかったからよかったものの、それでもあれは、わたしたちにとって、ものすごい事件だった。 そこから、亮がわたしを意識して、わたしが亮を意識して。 それが、幼なじみだったわたしたちの関係が変わった、決定打だった。 ベランダを飛び越えた先にいるのは、熱い想いを寄せるただ1人の相手。 軽い触れ合いも、深い繋がりも、すべてベランダから彼が来る時にもたらされた。 わたしにのばされる手を見て、緊張が高まる。 一度はOKを出したくせに、往生際悪くわたしは言った。 「あ、でも、その……もうすぐお父さんが帰ってくるよ」 そうしたら、夕飯よーってお母さんが呼びに来るから。静かにしてないとばれちゃうよ。 でも、わたしを抱き寄せた亮は、意地悪く笑い、 「じゃあ、静かにしてれば問題ないわけだ。声出すなよ、」 そうきたか……。 でもまあ、ここまで来て、今さら「お引取りください」なんて言えないよね。 抱き締める腕の強さと、キスの合間の熱い吐息も、それは無理だと伝えていた。 「自信ないんで、お手柔らかにお願いします」 肌に直接触れる亮の手の熱さが、もう止まらないことを雄弁に語っている。 だから、素直に訴えたのに、 「無理。俺、おまえをとられるかもって、散々危機感煽られたから」 「誰もとらないよ。女房妬くほど亭主もてもせずっていうじゃない。あれと一緒」 「おまえ、人の彼女をボロクソに言うな」 人の彼女って……この場合、それはわたしのことだよね。 わたしのことを悪く言われて抗議するなんて――そんなの嬉しすぎる。 「えへへっ」 「だから、何笑ってんだよ」 人前でいちゃつくことはないし、好きとか愛してるとかの甘い囁きも、全然言ってくれない彼氏。 でもわたしへの想いは、こうして正面からぶつけてくれる。 わたしを好きだとおしえてくれる。 そんなあなたが、愛おしくてしょうがない。 「なんでもない。大好きだよ、亮」 −END−
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