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「帰るの遅くなっちまったな」 暮れゆく窓の外を眺めながら、亮が言う。 「そうでもないよ。今は日が暮れるの、早いからね」 だから別に、遅い時間ってわけじゃない。 ただ、いつもより帰宅時間が遅いのは事実だけどね。 何しろ、その……人生初の試みに、いろいろ込み入ってたもので。 「そろそろ支度でき……って、まだなのかよ! 服着るのに、一体どんだけかかってんだ」 全部見せ合ったわたしたちに、もう怖いものは何もない。 だって、怖くてたまらなかった道を、ようやく2人で突き進むことができたんだもの。 だからもう、怖いものなんて何もないんだ。 ――なーんてことは全然なかった。 確かに絆は深まったし、その手応えも大いにある。 でも、何もつけてない互いの姿をマジマジ見られるほど、わたしたちに度胸はなかった。 ついさっきまで、あんなことやこんなことをしてたってのに……。 だから、脱ぎ散らかした服を着る時は、どちらからともなく後ろを向いた。 そのまま、わたしに対して中途半端に背中を向けつつ、チラチラ様子を窺っていた亮。 でも、せっかく意を決して振り向いたのに、こっちがまだブラウスのボタンを全くとめていない状態とくれば、そりゃ文句も言いたくなるわよね。 けど、それに関しては、一言言わせてもらいたい。 「しょうがないでしょ。こっちは亮みたいに、パパッと動けないんだから」 下着をつけたりスカートをはいたり、その1つ1つの動作の中で、自分の身体に違和感を覚える。 その原因が、つい先程の行為にあることは明々白々。 そして、つい先程のことなだけに、何気ないことで、一瞬にして記憶が蘇ってくるわけで……。 感触とかがまだ身体に残ってるぶん、鮮烈に思い出されるそれらが、恥ずかしいやらむず痒いやらで、身悶えしたくてたまらなくなる。 こっちはそういう感覚を抑えるのに必死で……って、じゃあ結局、単にわたしがもたついてただけなのか。 でも、そんな内心は知らずとも、わたしの動作が鈍い原因を、とてもよく知っている彼は、 「あー……わりい」 そう言うと、顔を赤らめながら、わたしのブラウスに手をのばした。 ――って、なんで? まさかここで、また亮に触れられるとは思わなくて、わたしの心拍数は、一瞬にして跳ね上がった。 待って待って! 何するの? っていうか、するの? あまり帰りが遅くなると、親の印象が悪くなるし、さすがにもう帰らなきゃいけないんだけど。 何より、今からもう1回ってのは、身体の負担を考えると、勘弁願いたいのですが! なんてことを考えて、少々混乱していたら、 「ごめんな。のこと、あんまり気遣ってやれなくて」 なぜか飛び出したのは、謝罪の言葉。 心底申しわけなさそうな顔に、逆にすごく驚いた。 いや、その……こちらこそ、ごめん。 わたしは今、ものすごく不埒なことを考えてました。 でも彼の表情から察するに、もしかして今のわたしの発言は、変な意味にとられてしまったとか? 身勝手にいろいろされて、もう二度としたくない……みたいな感じで。 だとしたら、それは大きな誤解だ! わたしは慌てて否定した。 「そ、そんなことないよ! 優しかったよ!」 そりゃ痛くて泣いたりしたけども、だからこそ、未だかつてない優しさを向けられて、本当に幸せだったんだから! っていうか、それくらいわかってよ。わたしは亮のこと、大好きなのよ。 「そ、そうか?」 そして、わたしの真剣な訴えに、亮はさらに赤くなる。 ん? 今のって、赤くなるようなとこ? ……あ! あの、優しかったっていうのは、わたしへの接し方全般における話であって、別に行為の内容がどうこうとか、そういうことじゃなくて……。 まあ、そっちの意味で優しかったことも嘘じゃないけど、わたしが言いたかったのは、そういう意味ではなくてですね。 って、そんなことを言いたいんじゃない! かと言って、変に訂正するのもおかしいし、こうなると何をどう言えばいいのか、さっぱりわからなくなってきた。 けれど亮は、それ以上何か言うこともなく、ただ黙って、わたしのブラウスのボタンをとめ始める。 そういえば、開けっ放しのままでしたね……。 じゃあ、とりあえず、今は静かに身をまかせることにしましょう。 . . . と思ったけど、これが脱がされる時とは、また一味違った恥ずかしさでして。 おまけに、向こうも緊張していたのか、ボタンをかけ違える始末。 やむを得ず、やり直すために外すことになるんだけど、それはまるで、一度隠れた肌をまた暴いていくかのよう。 服を脱ぐという工程なら、すでに一度通っている。 何より今は、わたしに服を着せるために、再度その道を辿っているわけで。 だから、緊張する必要なんて何もない。 そう、何もない。 何1つないんだ。 ――って、わかっていても、やっぱり無理無理! だって、ボタンを外すことで、あらためて見られちゃうのよ。 でもって今は、最初に脱いだ時にはなかった、亮がつけた赤い痕跡がいくつも散らばっているわけで……。 「あ、ありがとう! 後は自分でやるから」 「お、おう」 すでに全部見られた今、そんなことで恥ずかしがるのもおかしいけど、それでも恥ずかしいんだからしょうがない。 けどね。 恥ずかしさでいっぱいの状況なのに、これが不思議と嬉しいんだ。 いたたまれない気持ちだって確かにあるのに、照れ笑いというかなんというか……とにかく幸せでたまらない気持ちも、じわじわ溢れてくるんだよね。 「なんだよ、その緩い顔」 緩いとか言うな。 まあ、そう言う亮の顔も、だいぶ緩くなってたけどね。 「自分だって、人のこと言えないよ」 「しょうがねえじゃん。幸せなんだからよ」 ああ、それならしょうがないね。 だから、わたしもしょうがないよ。 だって、幸せなんだもん。 そして、わたしは家路につく。 亮に送られて、夜風が吹く中をゆっくりと。 火照った身体はとっくの昔に落ち着いて、外の空気は寒いくらいだったけど、2人で静かに歩くのは、とても心地いいものだった。 「もうすぐ中間テストだな」 「そうだね。じゃあ、仲良くテスト勉強でもやりますか」 「んー……」 「え、ダメ?」 「いや、ダメじゃねえけど。ただそれだと、仲良くする方に気をとられて、勉強どころじゃなくなりそうな気がすんだよな」 「……エッチ」 「な、何言ってんだ! 仲良くするとしか言ってねえだろ!?」 でも、図星でしょ。 暗いからわかりにくいけど、この人は今、絶対真っ赤になってるだろうな。 彼をからかったり、2人で笑い合ったり、そんなことをしていたら、家まであっという間だった。 「送ってくれてありがとう。じゃあね」 「ああ、また明日」 別れはすごく名残惜しい。 でも、別れ際のいつものセリフは、いつもと違う響きがあった。 「うん、また明日」 また明日。 また――今日みたいに、2人で。 −END−
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