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これまで悠々自適な帰宅部だったの日常に、突如入り込んできた、テニス部マネージャー生活。 きっかけは本人の意志に反したものだったが、仕事内容は、別段嫌なものではなかった。 とはいえそれは、好きとも言い難いのだが……。 の生活の中で、何よりも第一にしたいものといえば、それはもちろん、オタク活動である。 だが、悪友の奸計にまんまとはまり、今期の公式戦が終わるまでという期限つきではあるものの、平日はおろか休日までも、テニス部のために消費する羽目になってしまった。 ただ1日を除いて……。 そう、から勝ち取った、唯一の貴重な休み。 それが翌日に控える、待ちに待ったイベントの日なのである。 この日が来るのを、指折り数えて待っていた。 今までいろんなイベントを訪れてきたが、これほどまでに当日を待ち焦がれるのは、初めてではないだろうか。 何しろ、テニス部に引き込まれたことで、必然的に、趣味を抑制される形になったのだ。 大好きなことができないのは、思いのほか、精神的に苦痛だった。 おかげで彼女は、最近少し、悶々鬱々としているのだ。 まあ、マネージャーの仕事を覚えることや、テニス部という新たな環境に馴染むことに、予想以上に手間取ったせいもある。 も、そこまでとは思わなかったようだが、いろんなものがたまりにたまって、とにかくは、本当にしんどかったのだ。 だから、イベントまでの行程が秒読み段階に入った今、これまで低空飛行を続けていた彼女のテンションが、急激に上昇していくのは、無理もないことである。 「はい! はい! じゃあ、明日よろしくお願いしますねー♪」 イベントに通ううちに親しくなった、サークル活動をする友人からの電話に、大層にこやかに応対する。今の彼女は、身も心も声も、すべてが弾みに弾んでいた。 そんな、いつもと違うを、興味津々に捉える視線がいくつもあることに、浮かれまくりの彼女は、まだ気づかない。この電話に出るために、いそいそと部活動の場から離れる行動が、人目につかないはずがないのに。 だが結局、がそれに気づくことはなかった。 なぜなら気配を察する前に、唐突に現れた不機嫌丸出しの跡部に、声をかけられたからだ。 「とっくに練習始まってんのに、こんなところで何してんだよ。ああ?」 「えっ!? あっ、ごめん。すぐ行くよ」 誰もいないと思っていたは、突然の声に驚きながら、慌てて携帯を閉じた。 そんな様子を見た跡部は、なぜか顔をしかめ、 「電話1つするだけで、えらくテニスコートから離れたもんだなあ、」 跡部のその指摘に、思わずの心臓が跳ね上がる。 イベント絡みの話ゆえ、人に聞かれることを恐れた彼女は、電話のために、極力人気のない場所へと移動していたのだ。 「そ、そんなの、跡部くんに関係ないでしょ」 そうしたいきさつがあるだけに、会話を聞かれたのではと思ったは、動揺のあまり、つい彼女らしからぬ、きつい口調で返してしまった。 だが、なぜかイライラしている跡部は、そんな彼女の態度に、さらに気分を害したようで、 「確かに関係ねえけどな。でも、男絡みで部活に支障をきたされたんじゃ、こっちだってたまったもんじゃねえんだよ」 「男絡み!?」 何をどうすれば、自分に対して、そんな問題が出てくるのか。 オタク活動に尽力するに、もちろん男の影などありはしない。 だが、こんなふうにこそこそと隠れながら、弾んだ口調で電話しているのを見れば、さすがに疑念が湧いてくるのだ。 つい最近、異性問題で大変な目に遭った跡部からすれば、部活に恋愛要素を持ち込まれるのは、たまったものじゃない。 自らの苦い経験上、そうした面で、部活仲間にも厳しくなるのは、無理からぬことだった。 けれど、そんな跡部の内心など知らないは、思わぬ言葉に、たまらず絶句。 それを図星と受け取った跡部は、まるで追い討ちをかけるように、「違うんなら、誰と何を話してたのか言ってみろ」と畳みかけてきた。 隠れオタクである以上、さすがに、同人絡みの友人と、明日のイベントについて話していたとは言えない。 こんなふうに問い詰められると思わなかったは、バレた時の恥ずかしさを考えて、つい頬を朱に染めてしまった。それが跡部の誤解を、さらに深めるとも知らずに。 対峙する男女の周囲に、不穏な空気が立ち込める。 すると、この険悪ムードを阻止すべく、物陰から救いの神が現れた。 それは、の死角から飛び出してきた、友人のである。 「まあまあ、跡部。プライベートの話はいいじゃない。とにかく、早く部活を始めましょ」 この場の空気を一蹴した、軽やかなの登場に、驚きつつも安堵する。 代わりに跡部の矛先は、の方へ変わったが。 「! てめえ、今までどこにいやがった!?」 「え? えーと……みんなでこの辺りを、ブラブラ散歩していたり?」 だが、勢いよく出て来たわりに、の歯切れは悪い。 それもそのはず、跡部と同じように、に男の影があると誤解した仲間たちが、電話のために遠ざかった彼女の後をつけるのに、面白がって便乗したからである。 そしてが現れたところから、忍足、向日、宍戸、鳳、芥川、樺地……と、見知った顔触れが、次々と姿を現した。 「樺地、てめえもか」 「ウス……すみません」 「まあまあ、樺地は跡部の言いつけ通り、ちゃんと俺らを探しに来たで」 「そうそう。でも多数決の結果、もうちょい、ここにいようってことになってさ」 申し訳なさそうな樺地を前に、さすがに悪いと思ったのか、忍足と向日がフォローに入る。 そんな、野次馬と化していた彼らに、跡部は苛立ちを隠すことなく、大きく舌打ちした。 どうやら、だけでなく、マネージャーやレギュラー陣といった主要メンバーが、一様に行方知れずだったため、部活が始められなかったようである。 その上、捜索に向かわせた樺地も戻って来なかったため、仕方なく、跡部自らが足を運ぶことになったのだろう。彼の機嫌が悪かったのも、それで頷ける。 こうして、ひとまず状況は収まった。 そして落ち着いたところで、は今さらながらに感じた疑問を、にぶつけることに。 「そういえば、。みんなそろって、あんなところで何してたのよ?」 「いや、あんたが携帯抱えていそいそと出ていくのを、みんなが面白がって後つけようとしてたから。だからわたしは、必要以上に接近しないよう、頑張って止めてたのよ」 何しろ、の趣味がバレるようなことになれば、彼女はマネージャーを辞めかねない。 としても、それだけは避けたい事態なのだ。 その辺の事情を知っているだけに、はの説明を、疑うことなく受け入れた。 「え、そうだったの? ありがとう!」 「ふふっ、どういたしまして」 だが、そんな友人思いの言葉の裏側で、はこの状況を、とても面白がっていた。 今の説明は事実ではあるが、後をつける行為を止めなかった時点で、十分そのことが窺える。 けれど、今日を乗り切ることに集中しているは、友人のそんな胸の内など知るよしもなかった。 そして目の前に、「明日はイベント」という、おいしい餌がぶら下げられているは、いつにも増してきびきび動いた。 これまでは余裕なく、必死で動いていた彼女が、今日は笑顔さえ見せるほどに。 そんな行動が、部員たちの中で、「見るからに男っ気のないだが、あれでいて、実は男がいるらしい」という疑惑を決定的にしていることに、彼女自身は、やはり知るよしもないのだった。 いつもより気合いを入れた格好で、普段はしないメイクもする。 今後、彼氏ができたとして、その時にもこれほどの意欲を保てるだろうか。 そう思えるほど、気合いの入った出で立ちで、意気揚々と、は本日の会場へ向かった。 そして楽しい時間は、あっという間に過ぎていき―― イベントを終えたは、戦利品の本を抱えて、ほくほくしつつもどこか寂しげな様子で、複雑そうに家路を辿っていた。 大きな規模のものではないが、それでも多くの人が集まり、久々に共通の趣味を持つ、友人知人に会うことができた。 だが、そうした仲間たちとしばし語らった後、1人だけ、一足早くその場を後にしたのだ。 本当は、その後の打ち上げにも行きたかったのだが、あまり長居すると、明日の部活に響いてしまう。そのため、後ろ髪を引かれる思いで、切り上げてきたのである。 あーあ、せめて朝練さえなければなあ……。 そんな愚痴をこぼしても、明日の朝練はなくならない。 それに今日を休んだ以上、やはり明日は、きちんしておくべきだろう。 できることなら、買ったばかりの同人誌を早く読んでしまいたいが、迂闊に手を出せば、読むのに熱中しすぎて、気づけば朝……なんてことになりかねない。 だから、今日の余韻に浸るのは、ほどほどにしておく必要があった。 けど、これで当分、イベントとはおさらばか……。 そう思うと、知らず知らず、ため息がこぼれる。 心地好い楽しさを味わった後だけに、再び我慢を強いられる環境に戻るのは、非常に億劫だった。 だが、イベントがあるたびに休みをとれば、跡部たちから、余計な詮索をされることにもなりかねない。彼らにオタク活動を知られるのだけは、何がなんでもごめんだった。 そう、あんな感じの集団に知られるのだけは……と、大通りを挟んだ歩道に、見慣れた姿をいくつも見つけ――次の瞬間、は激しく凍りついた。 なぜなら、ふと目を向けたその先に、テニス部の面々がいたからである。 驚きのあまり、思わず足を止める。 そして目をこらし、自分の見間違いであることを願って、1人1人の姿を確認する……が、それはどう見ても、テニス部レギュラー+友人でしかない。 予想外の展開に、は焦った。 え!? な、何やってんの、みんな。 部活は? ……って、そういや、今日は練習試合とか言ってたような……。 まさか、今、その帰りなの? 嘘でしょー! なんでよりにもよって、このタイミングで遭遇しちゃうのよ! そして、焦りに焦った彼女が出した結論は―― ……とりあえず、何も見なかったことにしよう。 幸い向こうは、こちらに気づいてない様子。 ならばこのまま、何事もなく通り過ぎてしまえばいい。 だが世の中、間の悪いことというのはあるもので、 「あ! あれ、ちゃんじゃねー?」 元気なその声が、状況を一変させる。 そんなジローの声に驚き、とっさにそちらを見やる。 すると、それまで各々雑談していたテニス部メンバーたちと、ばっちり視線が合ってしまった。 「ほんとだ。おーい、ー!」 「へえ……」 「ほー……」 「見違えましたね、先輩」 「ああ、なかなかのもんじゃねえか」 跡部たちの感嘆の呟きは、その表情から、大通り越しのにも伝わった。 イベント仕様のため、本日の見た目は、制服着用の平素とは当然異なっている。 服装選びには気合いを入れ、いつもはしないメイクをし――だが、そんなに驚かれるほど、いつもと違うものだろうか? だが、そんな疑問は、ひとまず横に置いておく。 今の問題は、ただ1つ。彼らに会うのは、とてもまずいということだけ。 何しろは、今の格好に似つかわしくない、変に大きな手提げカバンをぶら下げているのだ。 こんなに不自然な大荷物を抱えていれば、程なく誰かが、中身について触れてくる。 ここに薄っぺらい、いかがわしい本がどっさり入ってるのが見つかったら、わたしもう学校に行けない! そう心の中で叫んだ、の決断は早かった。 ――逃げよう。 幸い、彼らとは、大通りを隔てた、反対側の位置にいる。 車の往来は激しく、無闇に横切ることはできない上、ありがたいことに、近くには信号もない。 ここを横断することができなければ、追いつくことなどできないはず。 健気に呼びかけるジローには悪いが、ここは黙って退散させてもらおう。 「あれっ? どうしたの、ちゃん。俺たち、こっちだよー!」 「……もしかして、逃げてる?」 状況を的確に捕らえた向日の呟きが、たちまち彼らを騒然とさせた。 「は? なんでだよ」 「やっぱり男なんだ! きっと近くにいるんだぜ」 「そんなにつき合ってること、知られたくないんですか?」 「おいおい、一体どんな男なんだよ」 こちらを見て、何やら騒いでいるのはにもわかったが、その内容までは頭に入ってこなかった。彼らに構ってなどいられない。とにかく、早く逃げなければ。 そんなの必死の願いは、なんとか天に届き、彼女は誰からの追及も受けることなく、無事に帰宅できたのだった。 ただ、身の安全と引き換えに、部活仲間の好奇心を、必要以上に煽ったが……。 そして翌日、当然ながら、昨日のことを詮索される羽目になる。 だがそれは、の考えていたものと、全く異なる問題で。 「なあなあ、。別に、おまえの交際を邪魔しようってんじゃねーからさ。せめて、どんな相手かくらいは、おしえてくれてもいいんじゃね?」 「まあ、節度さえ守ってくれりゃ、つき合いに口は挟まねーよ」 「ほー。大人やなー、跡部は」 そんな感じで、なぜか向日たちからは、男の影を気にされていた。 同人イベントの気配を察知されなかったのはありがたいが、なぜそんなことになったのか。 には、不思議でたまらない。 「何か言われるとは思ったけど、なんであの状況で、男がどうこうって話になるの?」 「バカね。あの状況だからでしょ」 オタク活動を知られたくない一心の、彼女の着眼点からは、自分の行動がどのように見えているのか、窺い知れないようである。 そして、そんな彼女を前に、友人のは、えらく楽しそうに笑っているのだった。 −END−
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