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月曜日。 それは楽しい週末が終わりを迎え、また新たな1週間が動き始める日。 そして休みに遊び惚けていた者にとっては、その時のツケが回った、殊更ツライ1日である。 「さん、おはよー」 「……おはよーう」 通りがかったクラスメイトの元気な挨拶に気怠げに応えるのは、氷帝学園3年生の。 時間の許す限りとことん寝ていたというのに、もはや何度目かわからない欠伸を吐き出し、校門をくぐり抜ける。そうして昇降口へ向かう途中、また新たなクラスメイトに出会い、声をかけられた。 「おはよー、ちゃん。うわっ、すごい眠そう! ちゃんと起きてる?」 「……んー? 起きてるような気はしなくもない……」 「ちゃんと寝たの? ひょっとして休み中、ずっと遊びっ放しだったとか。何してたの?」 「……っ、まあいろいろと。あはははは……」 何気ない問いなのに、僅かには動揺した。幸いながら、クラスメイトはそれに気づかない。 だが気づいてないくせに、さらに突っ込んだ質問での心を震え上がらせた。 「ちゃんてさ、月曜日につぶれてること多いよね」 「そ、そうかな? 休み明けだから、月曜ってとにかく憂鬱なのよ。ははは……」 「それもそうね。じゃ、わたし先に行くから」 言って彼女は、一足先に教室に向かった。それを見送り、はホッと息をつく。 自分が土日に何をしていたか、正直詮索されたくないのだ。 やがて、クラスメイトの思わぬ発言に一時遠のいていた睡魔が、落ち着いた途端、再び襲撃を 開始した。 なんとか起きてはいるものの、間違いなく、半分以上脳は寝ている。 その上、先程のように驚きの声を上げられるということは、かなりすごい顔をしているということだ。もっとも、たちまち瞼を上げているのもつらくなった当の本人は、とっくの昔にそれを自覚していたが。 だが、自覚したとて睡魔は消えない。土日はほとんど寝なかったゆえ、その威力は強大なのだ。 相変わらずボーッとしたまま、靴を履き替えようと、下駄箱から上履きを適当に落とす。 そうしてがもそもそと靴を履き替えていると、ふいに肩をポンと叩かれ、新たに複数の声がかけられた。 「おはよう、さん。自分、上履き逆になっとるで」 「おはよー……。あー、ほんとだー」 「しっかりしろよ。寝ながら歩くと危ないぜ」 「うん、ありがとー」 「ま、これからよろしくな」 「いえいえ、こちらこそー」 そして話しかけてきた男子生徒たちは、動作の鈍いに軽く手を振って、談笑しながら一足先にこの場を後にした。 も、適当に愛想笑いしながら手を振り返したのだが……。 「……あれ?」 なんだかおかしい。 本来なら、ここに至る前に疑問に思うべきことだったのだが、やはり半睡眠状態の頭は、回転も遅いようだ。 「えーっと……」 ようやく気づいた疑問点を訊ねようにも、彼女に声をかけた男子生徒たちはもはや姿が見えない。彼らが何を言いたかったのか、どれだけ頭を働かせてもには想像がつかなかった。 普段声などかけられない同級生にいきなり挨拶されることもおかしければ、そこで繰り広げた会話もまたおかしかった。 彼らの言葉に合わせて、何も考えず、つい適当に返事を返してしまったのだが……。 女子生徒の憧れの的であるテニス部の正レギュラーたち――忍足侑士、向日岳人、宍戸亮の 3人は、一体自分に、これから何をよろしくしてほしいのだろう? ……まあ、それはさておき。 とりあえずは左右逆だった靴を履き直し、またまたさらなる欠伸をしながら、は睡魔がのしかかる重い足を教室へ向けたのだった。 今日はおかしなことが続く日だ。 「――――――――――っ!!」 眠い頭を抱え、ようやく辿り着いた教室で、はクラスメイトにして親友のに、半ば激突されるように抱きつかれた。その上さらに、力の限り揺さぶられる。 「、お願い。マジでお願い! 一生のお願い!! わたしを助けると思って、わたしの話を聞いて。でもってYESと答えて!」 先程までの状態なら、忍足たちとの会話のノリ同様、すんなり答えていたことだろう。 だがにとっては不幸なことに、彼女の力任せの所業によって、は思いのほかしっかりと覚醒してしまったのだ。 「…………………………ヤダ」 「なんでよーっ!?」 「……いや、だって、アヤしすぎだから」 絶叫して詰め寄るから、とにかくは逃げた。 切羽詰まった状況は感じ取れる。でも絶対ロクな話じゃない。 長年培ってきた友情は、対用の勘まで育んでくれた。もっとも、要件を言わずに答えだけを求める辺りで、普通にアヤしいが。 すると親友を押し退けて、思わぬ人物がの前に現れた。 「どけ、。おまえじゃ話が進まねえ」 「何よ、もとはと言えばあんたのせいでしょ! バカ跡部!!」 「俺のせいかよ……」 チッと舌打ちしつつ、まだ文句を言い足りないらしいをとにかく黙らせ、彼は――同じクラスの跡部景吾は、静かにと向かい合った。 これにはも驚いた。 全国大会常連のテニス部部長にして、この氷帝学園の帝王といっても過言ではない、あの跡部景吾。クラスメイトではあるが、大した親交もないその跡部が、今目の前に立ち、をまっすぐ見つめている。 「な、何……?」 たちの言い知れぬ雰囲気に気圧されたか、各自談話に勤しんでいた他のクラスメイトたちも思わず黙り込み、いつしか皆、じっとこちらを静観していた。 そして、いいかげん沈黙にいたたまれなくなった頃、跡部はおもむろに口を開き、に向かってこう言ったのだ。 「率直に言う。、おまえうちのマネージャーになれ」 唐突な発言は、時として理解の浸透を妨げる。だが、咄嗟に理解できないほど、これはにとってありえない出来事だった。 「…………………………はあっ!?」 青天の霹靂とはまさにこのこと。 の憂鬱な月曜日の朝は、こうして始まりを告げたのだ。 「つまり、こういうことなのよ」 あの後すぐに担任が来て話が中断されたため、朝のSHR終了後、いきなりとは授業をサボり、今の時間は使われていない被服室に入り込んだ。 そこでようやくが詳しい説明を始める。 「言うまでもないけど、跡部の奴ってもてるじゃん」 「そうみたいだね。わたしは特に萌えないけど」 「萌えるってあんたね……。ま、まあとにかく、もてる跡部のそばには、彼女になりたいって女の子がたくさーんいるわけよ」 「まあ、自然の摂理だね」 「そう。それでうちの後輩が、努力に努力を重ねて、ついに跡部とつき合うことになったのさ」 は、跡部率いるテニス部のマネージャーである。 200名もの部員を抱えるテニス部においては、その雑用業務も半端ではない。それらを担うマネージャー業は大変なもので、テニス部員同様、マネージャー内でも脱落者は続出した。 いい男揃いの部員目当てに入ってくるような浅はかな者は、こうしてふるいにかけられて消えていくのだ。ゆえに、そこを乗り越えた者は必然的に強者となる。そしては、同学年でただ1人強く生き抜き、見事自他共に認める、鉄腕マネージャーとなったのだった。ゆえに今では、一番偉いチーフマネージャーである。 「後輩って、つまりマネージャーの? もしかして、跡部狙いで入部したとか?」 「思いっきり跡部狙いよ。でも、マネージャーの仕事をきちんとこなしてさえくれれば、わたし的にもテニス部的にも問題はないの」 後輩マネージャーは、マネージャーとしての役割を疎かにはしなかった。跡部としてもその点を評価して、彼女の告白を受け入れたのだろう。 だが、もともとテニス部に思い入れのない上、跡部が自分を受け入れたことから、その後輩は手のひらを返したようにマネージャー業を軽んじ始めた。部活中も仕事そっちのけで、とにかく跡部にはりついていたのだ。それが彼の気に障らないはずがない。 「で、ケンカにケンカを重ね、結局別れ話に至ったわけ。跡部はあれで、結構マジにテニスしてるからね。練習の邪魔になる上、役に立たないマネージャーはいらないとさ」 「それは跡部が正しいんじゃない? マネージャーと恋人は全然別の立場なんだから、しっかりけじめをつけるべきだもん」 「まあ、そうなんだけどね。……でも、他のマネージャーの子たちはそうは思わなかったのよ」 1・2年生のマネージャーたちは、個人や程度の差こそあれ、テニス部員に想いを寄せる者ばかりだった。 それになんといっても、恋が大事なお年頃。それゆえ、別れを告げられ泣きじゃくる彼女を擁護し、恋する乙女の気持ちを理解できないとは何事だと、揃って跡部を非難したのだ。さらにものすごいことに、後輩マネージャー一同はその件で跡部に直談判したという。 それに対する跡部の答えは―― 「こうしてかわいい後輩マネたちは、揃って退部届を出しましたとさ。おしまい」 「うわー……」 まさか親友が、そのような修羅場に遭遇していたとは……。 「必死で説得したんだけどね。みんなの決意は固くて、聞き入れてもらえなかったの」 「じゃあ今、テニス部のマネージャー、1人なんだ……」 内乱が起きたのは金曜日。土日の部活はなんとか頑張ってみたものの、さすがの鉄腕マネージャーも、やはり1人でできることは限られていた。 監督の榊もこれには苦渋の表情を浮かべ、しばらくは部員たちに、交代制でマネージャーの仕事を手伝うようにとの通達が下りた。 だが一番の指令は、大至急、使えるマネージャーを見つけてくるということ。 全国大会に向けて、これから多くの試合をこなさなくてはならないのだ。それを裏で支える、マネージャーの力は大きい。 「そういうわけで、に来てもらいたいなーと思って。みんなにも相談してみたけど、ならOKだって」 みんなに相談――それで忍足たちは自分のことを知っていて、「これからよろしく」などと言ったのか。その挨拶は、いささか気が早すぎるものだったが。 だが、その謎が解けたからといって、まだ完全に納得はできない。 「ち、ちょっと待ってよ。まさかそれで、わたしがマネージャーに適任ってわけ!?」 「だって、今は帰宅部だけど、1年の時は柔道部のマネージャーやってたでしょ? 種目は違うけど、運動部のマネージャーを経験してるなら、即戦力になるだろうって」 「そ、即戦力?」 「そう。練習試合も公式試合も、これからたくさん控えてるんだから。何も知らない子を一から教えてる時間はないの」 「で、でもさ、わたしテニスってよくわかんないし、それに今さら部活とかやるの、ちょっと気が進まないんだけど……」 そうして、のらりくらりと、の要望をかわしていただったが、 「……」 ふいに、親友の瞳が鈍い煌きを放った。 そして、ガシッと痛いくらいに肩を掴んで引き寄せられ、一気に距離を詰められる。 「えっと……さん?」 今まで培ってきた、対用の勘が強烈に告げている。 ヤバイ。この顔はヤバイ。 なんとか逃れようとしたものの、信じ難い力によって、の指が肩に食い込んでいく。 「わたしは今、何よりも助けを求めているの。そのためなら……何をしたって、心は痛まないわ。いい? 何をしたってよ」 しっかりと念を押すの不穏な言葉に、は息を呑む。 嫌な予感ほど、よく当たるもの。 それはつまり――言うこときかなきゃ、あのことバラすぞ、コラ――ということである。 ピシッ……! 透き通ったガラスに亀裂が入るかのような、涼やかでいて鋭い音が、しっかりとの鼓膜に響き渡った。 それは2人の友情にヒビが入った音かもしれないし、切羽詰まったの中で、何かが壊れようとしている音かもしれなかった。 「で、でもだって、本当は好きなくせにそのこと黙ってるじゃない。わたしのことバラすって言うなら、のことだって……」 「わたしは、特に言う必要がないと思ったから、黙ってただけ。あんたみたいに、徹底的に隠れてるわけじゃないから、バラされたって、痛くもかゆくもないわ」 強い。 マネージャーとはいえ、さすがにあのテニス部で鍛えられただけのことはある。 には羨ましいくらいの胆力だ。 だがそれを実感した時、とんでもない戦慄が、の身体を駆け抜けた。 間違いない。今ここでYESと答えなければ、確実にこいつは、あのことをバラすだろう。 彼女が今まで、懸命に隠し通してきたことを――実はが、隠れオタクであることを――! だが、負けるわけにはいかない。 ここでYESと言ってしまえば、これから先は、多忙なテニス部の用事に追われて、休日すらままならない生活になってしまうのだ。 イベントに行くことや、そこで知り合った同人友達たちと、週末の休みには誰かの家に泊まり込み、ぶっ続けでアニメ鑑賞会を繰り広げることができなくなる。 漫画描きの友人たちの原稿を手伝う、つらくも楽しい修羅場にだって顔を出せなくなるし、月曜日は学校で寝潰れるのを覚悟した上でのそんな楽しい日々が、これから過ごせなくなるのだ。 の葛藤は、にもわかったらしい。 そこで最後の一押しとばかりに、今までつけていた悪魔の仮面を外し、天使の囁きを彼女に送る。 「わたしたちは3年生よ。どんなに頑張ったって、夏休みにはすべての試合を終えて引退するの。その間さえ我慢してくれれば、すべてが終わった時には、目の前に楽しい楽しい夏コミが待ってるって寸法よ」 夏コミ。 その特殊な単語に、がピクリと反応する。 期間はほんの数ヶ月。その間だけ我慢すれば、平穏で幸せな生活が帰ってくるのだ。 それでもは、なんとか必死に食い下がった。 「で、でも、帰る時間が遅くなるのは……。ほら、アニメ見れなくなるし」 「どうせ録画してるんだから、いいじゃない」 「わたしは、リアルタイムで見たいのに……」 諦めきれずに、なおもブツブツこぼしていたら、にものすごい目で睨まれてしまった。 慌てて口を噤む。 どうやら自分は、この運命から逃れられないらしい。 少なくとも、趣味が同人と世間に公表されて、平気でいられる度胸はない。 は深々と――本当に深々とため息をつき、観念したその様子を見たは、自分の勝利に大歓声を上げた。 「これからはテニス部でもよろしくね、!」 「人を脅迫しておいて、よくもまあ、にこやかに……」 こうしては、渋々ながらテニス部のマネージャーを受け入れた。 だが――だからといって、あっさりすべてを受け入れるわけにはいかないのである。 今までとはうってかわった強気な光が、の瞳に宿る。 「1つ言っとくけど、わたし来週日曜のイベントだけは、絶っっっ対行かせてもらうからね!」 「何言ってんの。来週の日曜日は、練習試合よ」 予想通りの答え。 だがは、頑として言い放った。 「イヤッ、これだけは譲れない! イベント納めをきちんとやって、自分の中で区切りをつけないと、マネージャーなんてできないもん!」 「……わかった。じゃあ、その日曜だけは休んでいいから」 も鬼ではないらしい。急で無理な話であることは、彼女自身、わかっているのだ。 いきなりマネージャーになってもらったから、すでに入っていた予定は仕方がないと、跡部や監督に説明してくれるという。 思いのほか、あっさりと承諾してくれたので、よせばいいのに調子に乗って、はさらにお願いをしてしまった。 「それでね、そのイベントでお友達がコピー本を出すんだけど、今製作が滞ってるらしくて、できれば土曜日、学校終わってから、すぐお手伝いに行きた……」 だが、世の中そんなに甘くない。 すべて言い終わらぬうちに、今度はがきっぱり言い切った。 「却下! 土曜日休むなら、日曜日は来なさい!」 「いいじゃない、それくらい! の鬼ーっ!」 「ええ、そうよ! 鬼にでもならなきゃ、ほんとやってらんないわよ!」 やっぱりは鬼だった。しかも自覚を伴う、かなりタチの悪い鬼だ。 そしては、その鬼――もとい、のたっての願いを受けて、本日付で、テニス部の新マネージャーに就任したのである。 −END−
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