その一言は、帰りのHRが終わり、先生が教室を出ると同時に投げかけられた。


、最近元気ないよね。何かあった?」


 まさに、元気なくため息をつこうとしたわたしは、それに驚いて、吐き出しかけてたものを無理やり呑み込んだ。
 まあ、完全には呑みきれなくて、「ふぐっ」とかいう、妙な声が漏れたけど。


「そ、そう? そんなことないよ」
「……なら、いいけど」


 わたしの不審な反応に、声をかけてきた鳳は明らかに訝しんでたけど、それ以上、追及はしなかった。


「ありがと、心配してくれて。鳳ってほんと、優しくていい人だね」


 彼は「そんなことないよ」と、苦笑いで謙遜してたけど、本当にいい人だと思う。
 何より、しつこくない男の子って、それだけで素敵だわ。

 ここ最近の出来事のせいで、わたしは心底そう思った。
 だって、鳳が心配してくれたように、確かに元気をなくすような、憂鬱な問題があったから。



彼はいい人






 うわー……。

 せっかく、人目を避けて出てきたのに。
 にも関わらず、わたしはあっさり見つかっていた。
 この行動の源である、一番会いたくなかった人に。

 それは、隣のクラスの橋本くん。
 いわゆるイケメンというヤツで、女子の間では、結構人気の男の子だ。


 実は先日、恥ずかしながら、この橋本くんに告白をされまして。


 そのこと自体は嬉しかったんだけど、よく知らない彼とは、おつき合いをしようと思うことができなかった。
 それに今は、男女交際そのものにも興味がなかったから。
 だから申し訳ないけど、「ごめんなさい」と、誠意を持ってお断りをしたのです。

 でも彼は、それを聞き入れてくれなかった。


「俺のことをよく知らないなら、これから知ってくれればいい」


 一見すると、かっこよく聞こえる言葉。
 それで、粘られるのも悪くないなと、愚かにも、いい女気取りなんてしてしまったのがいけなかった。
 だってまさか、この調子で延々迫られることになるなんて、思わなかったもの。

 そんな彼の攻勢に嫌気がさして、「あなたのこと、好きじゃないから」と言ってみても、「絶対、俺のことを好きにさせてみせるから」と、斜め上の返事が来るばかり。
 はっきり言うのも悪いと思って、「嫌い」と言わなかったのがいけなかったか……。

 そんなことを思っても、すべては後の祭りだった。


 そう、今さらそれを言ったって、彼はわたしの話なんて聞こうとしない。
 唯一、聞くとするなら、それは彼の気持ちを受け入れる言葉だけだろう。


「なあ。いいかげん、俺の気持ちに応えてくれよ」
「そっちこそ、いいかげんあきらめてよね」
「なんでだよ。今、つき合ってるヤツいないんだろ?」


 確かに、彼氏なんていませんよ。
 でも、それが橋本くんとつき合う理由にはならないのに。

 けど彼は、そのことを理解してくれないんだ。
 わたしが嫌だっていうのを、理解してくれないんだ。
 自分を優先させるばかりで、相手の気持ちは二の次――そんな人を、どうしてわたしが受け入れると思うんだろう?
 いくらかっこよくて人気があったって、そんなヤツはノーサンキューだ!


「わたし、橋本くんのこと好きになれない。絶対に」
「つき合いもしないうちから、なんでわかるんだよ。断るなら、せめてちゃんとつき合ってからにすべきだろ? それに俺の良さを知れば、断る気なんてなくすって」


 その、良さってヤツがわかんないから断ってんのよ!

 この手のやりとりを、もう何度繰り返したか。
 でも悲しいかな、全く言葉が通じない。
 そんな虚しい事実だけを、ただただ痛感するばかりで、さすがにうんざりも最高潮になってきた。


「とにかく! 何をどう言われても、わたしは橋本くんとはつき合わないから!」
「待てよ、! 落ち着いて考えてくれよ」


 落ち着いて考えるのはそっちでしょ!

 これ以上、この人と関わりたくない。
 もう、彼の顔を見ることさえ、嫌で嫌でたまらないんだ。
 だから強引にこの場を離れようとしたんだけど、懸命にわたしを引き止める橋本くんに、腕を掴まれ、動きが取れなくなってしまった。


「ちょっと、離してよ」
「嫌だ。ちゃんと答えてくれるまで離さない」
「だから! 何度も言ってるじゃない!!」


 たまりかねて、わたしの声は大きくなった。

 何なの、この人?
 ずっと断ってるのに、そのたびに、まるでわたしがおかしいかのように、すべてをはねのけて。
 もう、どうしたらいいかわからない。


 打つ手がなくて、図らずも泣きそうになった時――


「いいかげんにしたら? 嫌がってるじゃん」


 突然の声に、わたしはもちろん、橋本くんも驚いた。

 だってここは、通りすがりの人が来るような場所じゃない。
 おまけに、やって来たのは、とてもよく知る人物で。


「鳳……」


 そこには、テニス部のジャージを来た鳳がいた。
 だから余計、不思議に思う。
 部活前の鳳が、なんでこんなところにいるんだろう?

 そんなことを考えてる間にも、鳳はこちらに歩を進めてくる。
 いち早く我に返った橋本くんが、そんな彼を睨み据え、牽制するかのように言った。


「おまえには関係ないだろ。これは俺たちの問題だ」


 そしてそのまま、わたしを引き寄せようとするけれど、それには全力で抵抗した。
 でも、橋本くんから離れたくても、ただ腕を掴んでるだけの彼の手から、なかなか逃げ出せない。


「へえ」


 鳳に似つかわしくない、冷たい声が響いた。


 次の瞬間、強引に引っ張られるわたしの身体。

 なんと、自分じゃなんともできなかった橋本くんの手を、鳳はあっさり振り払っていた。
 そして自由になったわたしを、強い力で抱き寄せる。


「で、に何の用?」


 わたしの肩に手を置いて、なぜか名前は呼び捨てで。
 今までにない、密着と馴々しさ。
 まるでわたしたちが、ただならぬ関係であると主張しているみたい。


 好戦的なその雰囲気に、気圧された橋本くんが後ずさる。
 そして、いつもと違うその様子に、わたしも圧倒されていた。

 肩に置かれた手の大きさとか、そこから受ける力強さとか……それは知っているつもりで知らなかった、鳳の一部分。
 日頃は優しさしか見せない彼だから、力を誇示し、強いまなざしで相手を見据えるその様に、わたしの視線は釘付けになった。


「なんの用?」


 さらに重ねて問う鳳。
 二度目なぶん、威圧感もグッと増す。


 結局、気合い負けした橋本くんは、舌打ちすると、何も言わずに去っていった。
 わたしに対して、あれだけ理解不能な理論を展開した人を黙らせるなんて……鳳ってば、すごすぎる。

 そして、次第に小さくなる橋本くんの姿が、完全に見えなくなったところで、ようやくホッと息をつけた。


「ありがとう。本当に助かった」
「どういたしまして……って、あっ、ごめん!」


 最後まで、橋本くんを射抜くように見ていた鳳だけど、わたしの肩を抱き寄せていることを思い出した途端、慌てふためいて手を離した。
 真っ赤になってわたわたするのを見ていると、とてもさっきと同一人物とは思えない。


「それより、なんでこんなところに? もう、部活始まってるんじゃないの?」
「ああ、どこかで寝倒れてる芥川先輩の一斉捜索で……って言っても、にはわかんないか。まあ、たまたま通りかかったんだよ」


 ? よくわかんないけど、部活中じゃないならよかった。
 でも当の鳳は、落ち着きを取り戻したものの、どこか微妙な面持ちで。


「勝手なことしちゃったけど、あれでよかったのかな?」


 よかったのかなって……もしかして、変な想像しちゃってる?
 なんていうか、こう、痴話喧嘩的な?

 それはとんでもない誤解だ!


「もちろんよ! 何度も断ってるのに、すごくしつこくて」


 わたしは大慌てで、一連の流れを鳳に説明した。
 だって、あの人相手に、そんな誤解はごめんだもの。

 自分の行動に問題なしとわかった鳳は、明らかにホッとしていた。
 でも、そうかと思えば、妙にしみじみとした様子で、


でも、そういうことがあるんだね」
「何気に失礼ですよ、鳳くん」
「あ、ごめん、変な意味じゃなくて。ただ、男女関係に興味なさそうなに、そういうことがあるのが、なんだか意外だったんだよ」


 本当に意外そうな顔なんだけど、そこまで驚くこと?
 一体、鳳の持つわたしのイメージってどんなだろう。

 確かに、どちらかといえば興味のない分野だけど、全くそうってわけでもないのよ。


 あれが、全く知らない橋本くんじゃなくて、もう少し身近な男の子だったら。
 もう少し、わたしのことを慮ってくれる人なら。
 そうだったなら、ちょっと考え方は変わってたと思う。
 少なくとも、今よりは前向きに、男女交際というものを考えられたんじゃないかな。

 でも残念ながら、橋本くんは前向きな考えの材料にはならなかった。


「そうだね。そういうつき合いは、まだ想像できない。男の子って、なんか嫌だ」


 男子の基準を橋本くんにするのもおかしいけど、初めて告白してくれた人なぶん、彼の印象は強すぎて。
 ああした自分本意な人が、一方的にこちらをつき合わせるだけのものなら、男女交際なんてしたくなかった。
 彼氏なんていらないし、そんな男の子が身近に来るのも嫌だった。


 でも、そう言ったところで、鳳が複雑そうな顔しているのが目に入ってしまって。
 ……そういえば、彼もれっきとした男の子だった。


「あ、でも鳳は別だよ。鳳みたいないい人は特別。彼女ができたら、すごく大事にしそうだもんね」


 今さらって気がしなくもないけど、慌ててフォローする。

 でも、そう思ってるのは本当だよ。
 鳳とつき合う女の子は、きっとラッキーだね。


 けれど、鳳の複雑な表情は消えない。
 ……なんでそんな顔をするのか、わからない。


「あの……助けてくれてありがとう。じゃあ、部活頑張ってね」


 どことなく沈んでいるその顔を見たくなくて、わたしは逃げるように、その場を離れようとした。


 でも、立ち去ろうと背を向けた瞬間。
 いきなり、強い力で繋ぎ止められる。


 その場に静止する、わたしの身体。


 突然の出来事は、あまりにわけがわからなすぎて。
 動けない理由が、鳳に抱きしめられてるからだと気づくまで、少し時間が必要だった。
 だって、彼がそんなことをするなんて、思いもしなかったから。

 なんで彼は、こんなことをしてるのか。
 どれだけ考えてもわからない、そのことだけが頭をよぎり、わたしはすっかり固まってしまった。


さ、いつまでも俺を安全地帯だと思わないでよ」


 耳元で聞こえるそれは、いつもの優しい声とは違う。


「俺は、いい人なんてごめんだから」


 いつも優しくて、とてもいい人で――そんな彼が、自らそれを否定し、拒絶した。


 そのまま動かない鳳。
 動けないわたし。

 時間だけが、ただ静かに過ぎていく。
 それはきっと、わずか数秒のことだろうけど、わたしにはとても長く感じられた。


 やがて、わたしを取り巻く強い力が、少しずつ抜けていく。
 抱き締める力は緩やかになり、まるで名残を惜しむかのように、時間をかけて鳳の腕は離れていった。


「……ごめん」


 そして、小さな一言を残して、彼はこの場を後にした。

 そんな鳳を見送りながら、わたしはなおも呆然と立ちすくんだまま。



 ……ビックリした。



 彼から解放されて、事態を理解して、心と一緒に止まってた血流が、一気に回り出したかのよう。
 すごく熱くて、ドキドキする。
 まるで、身体全体が心臓になったみたい。


 いつも優しくて、とてもいい人で――わたしの中での鳳長太郎は、そんな柔らかな印象の人物だった。


 でも、今の彼は、それとは違う。
 丸ごと奪い取られそうな衝動を、背中越しに感じた時、怖さとは違う震えが走った。

 なんだろう?
 これってなんだろう?

 鳳の姿はとっくに見えなくなったのに、まだ早まる鼓動が落ち着かない。


 彼のことは、これまでなんとも思ってなかったのに。
 でもあの瞬間、そういう対象として、強烈に意識させられた。

 今わたしを襲ってる、激しい胸のドキドキは、きっと驚きだけじゃない。

−END−

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「氷帝三年R誕生祭3」への参加作品。

「いい人」の評価は、長所にも短所にもなり得る、結構困ったものじゃないかと。

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2010.02.14

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