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「突然ですが、今年はバレンタイン撲滅運動を展開しようと思います!」 なんの前触れもなく張り上げたわたしの声に、それまでにぎわっていた部室の中は、あっという間に静まり返った。 ……まあ、入室直後の人間が、いきなりこんなことを叫んだら、無理もないか。 「……ほんまに突然やな」 「つーか、なんだよ、いきなり」 いち早く気を取り直した忍足先輩と跡部先輩の声に、共に居合わせた宍戸先輩と鳳も、あっけにとられつつ、けれどすぐさま、同意の頷きを見せた。 先輩たちは、とっくに部活を引退したけど、たまには後輩の指導がてら打ちに来て下さいとお願いしたこともあって、今でもこうして足を運んでくれている。だから、2月になったばかりの現在でも、部室に3年生がいることは、別段おかしなことじゃない。 でも、練習に使う備品を取りに立ち寄った今、聞くともなしに聞こえてきた先輩たちの会話に、わたしは思わず言ってしまったんだ。 だって先輩たち、よりにもよって、バレンタインのチョコは、誰が一番多くもらえるかって話をしてたんだもの。ちっ、これだから、もてる男ってのは……。 「ぶっちゃけ、バレンタインにチョコを配るのは反対です。むしろよこせ!」 「それ、単にが、チョコ食べたいだけじゃないの?」 「うるさいっ! 鳳は黙ってて!」 「はいはい」 「『はい』は1回!」 「はーい」 苦笑しながら口を閉じる鳳に、何か釈然としないものを感じるけど……まあいいわ。 確かに、チョコは好きだしね。 けど、今現在、わたしがバレンタイン反対派にいることとそれは、全然関係ないのよ。 すると、優雅な笑みを浮かべつつ、フフンとばかりに跡部先輩が言った。 「その提案も悪くはないな。もらえるものはもらう主義だが、それでも毎年のチョコ攻撃には、さすがにうんざりしてんだよ」 「そんなイヤミったらしい支持ならいりません!」 「なんだよ、それは。現に、もらいすぎてうんざりしてんだから、しょうがねえだろ」 「つーかさ、そもそも何が目的で、そんなこと言い出したんだよ、は」 よくぞ聞いてくれました、宍戸先輩! わたしは拳をグッと握ると、今一度、声高に我が目的を唱え上げた。 「それは、バレンタイン制度の撲滅です!」 「……だから、なんのために?」 あ、ため息つかれちゃった。 いけないいけない。せっかく聞いてくれてるんだから、もっとわかりやすく、趣旨を伝えないと。 「そもそも、なぜゆえ日本の女子は、男子にチョコを贈るのですか?」 「もとを正せば、製菓業界の陰謀だろ?」 「そうです! でも、お菓子の売り上げを伸ばすために、乙女たちの恋心を利用するなんて、よく考えたらあんまりじゃないですか!?」 「つまりちゃん、誰か好きなヤツがおるんか?」 「でもバレンタインが気に入らないから、素直に告白できないってわけか」 「ちっ、ちち違います!」 怖っ! なんで今ので、そんなことがわかっちゃうの!? ほんとに氷帝一の曲者ね、忍足先輩。 そ、そりゃ先輩の言う通り、好きな人がいるのも、バレンタインが気に入らないのも、事実だけどさ……。 でも、なぜバレンタインが気に入らないのかについては、ちょっと個人的な事情があるのよ。 とはいえ――今のは、さすがにまずかったわね。 だって、うっかり悟られてしまったせいで、変に頭の回る跡部先輩たちのわたしを見る目が、明らかに変わっていたから。 なんていうか、こう……楽しそうな意地悪そうな、そんな感じの危険な目つきに。 ヤバイ……。 好きな人がいるなんて極上のネタを抱えたままじゃ、徹底的にいじられるのは時間の問題だわ。 この人たちに口で対抗するなんて、わたしの技量じゃ、どうやったって無理なのに! それを察して、わたしは慌てて話題を変えた。 「っていうかですね、去年のバレンタインがロクなもんじゃなかったから、今年もそれを繰り返さないようにしたいだけなんですよ、わたしは!」 「去年のバレンタインに、何かあったのか?」 「ほほう……あなたがそれを言いますか、宍戸先輩」 「な、なんだよ」 じっとり睨みつけるわたしに、宍戸先輩がたじろいだ。 言っとくけど、今のは跡部先輩たちから逃れるための、苦し紛れの作り話じゃないんだから。 100%純粋な事実なんだから。 バレンタインチョコといえば、まず第一に本命の人に贈るものだけど、困ったことに、世の中には義理チョコというものがある。 とはいえ、義理チョコ制度自体は、実はそんなに嫌いじゃない。 普段からつき合いのある男友達や先輩たちに、友愛の情を示すいい機会だからね。 でも恐ろしいことに、氷帝テニス部は200人の大所帯。大事な部活仲間とはいえ、さすがにテニス部員全員に、チョコをあげるなんてのは、無理な話だ。 そんな事情もあって、部活関係者にあげるとしたら、代表でレギュラー陣のみってことになる。 そうすれば、人数はガクンと減って8人に……なるんだけど、それでもやっぱり、わたし的には多いんだ。だって、おこづかい制で常時懐の厳しい学生に、バレンタインチョコ8個分の出費は痛すぎるわ。 だから去年は、誰にもチョコをあげなかった。それが一番、平和な道だったから。 ところがよ。当時もう1人いた同学年のマネージャーは、レギュラーのみんなに、手作りのチョコなんてものをあげてるじゃない! 明らかに、いい男揃いのレギュラー陣へのアプローチよ! 点数稼ぎよ! ……なんて思ったけど、でもそんなのは、わたしの関与することじゃない。 だってチョコをあげるのはあの子の自由だし、自分の気持ちを示したいというその行動に、わたしがどうこう言う筋合いはないんだから。 それに……まさかそのせいで、「だけ何もないんだなー」とか、「部活仲間への愛が足りねー」とかって、先輩たちにチクチクいじめられることになるとは思わなかったから。 もちろん、本気じゃないことはわかってるわ。 単にわたしをいじる材料があったから、それを使っただけのことで、深い意味は何もない。 でもね、わたしはあれで、すっごく肩身の狭い思いをしたの。 ぶっちゃけ、とっても傷ついたの! でもって、そのネタで真っ先に、しかもしつこくわたしをつついたのが、宍戸先輩だったのよ! まさかわたしが、そんなことを思ってたなんて知らなかった宍戸先輩は、バツが悪そうに、目を逸らしながら呟いた。 「あー……そんなこともあったっけなあ」 「ええ、ありましたとも」 ちなみにチョコをあげたその子は、さんざん粘ったにも関わらず、男子部員が一向に自分になびかないのを知ると、その後あっさり辞めていきました。 すでにいない子のしたことを、いつまでも引きずるのは嫌だったけど(そもそも、チョコをあげるのは悪いことじゃないし)、男目当ての行動に出た彼女と比較されて、けちょんけちょんに言われた当時のことは、ちょっぴり心の傷なのです。 そもそもそれって、真っ当にマネージャーの職務を勤めてるわたしに対して、失礼なことだと思いませんか? でも、そうやって今さらながらに憤慨するわたしを、鳳はまあまあと宥めながら、 「確かに、あの時のはヘコんでたよね」 「ええ。鳳が帰りにココアを奢ってくれなきゃ、もっとヘコんでたわ」 「えー、俺の慰めってココア以下?」 「そ、そうは言ってないでしょ」 あの一件は、自分でも意外なほどグサッときて、実は結構落ち込んだ。 だって、結局、かわいい行動に出た子の方が評価されるって、言われたみたいだったから。 でも、そんなわたしを、鳳は優しく慰めてくれて。 同じクラスだったから、一緒にいる機会も多くて、お互いのことを、よく知ってたってこともあったんだろうな。 あんなことを言ってたけど、先輩たちだって、仕事の面ではちゃんとわたしを評価してくれてること。わたしがとっつきやすい相手だからこそ、そうやってからかうんだってことを言ってくれて。 ヘコんでる内容が内容だっただけに、普段はふざけてても、部活はきちんとやっていることを、わかってくれてる人がいたのは、すごくすごく嬉しかった。 そういうことがあったから、まあ、その……以来、鳳のことがちょっと気になるようになっちゃって。 そのまま本格的に好きになるのに、大して時間はかからなかった。 そしてあの後、バレンタインが鳳の誕生日だったと知って、せめて彼にだけは何か渡しておくんだったと、ちょっと後悔したのです。 でもって、わたしが傷つくきっかけを作った、当の本人はと言うと、 「つーか、たかがチョコだろ? そんなにうるさく言うほどのもんでもねえじゃん」 「たかがチョコ!?」 開き直った挙句、バレンタインチョコを、たかが呼ばわりしやがった! バレンタイン撲滅を願うわたしが言うのもなんだけど、あれには女の子の愛と夢と希望が、目一杯詰まってんのよ。 そんな尊いものに対して、なんて言い草なの、この人は! 「……宍戸さん、なんだかの地雷を踏みまくりですね」 まったく、鳳の言う通りだわ。 宍戸先輩に他意はなくても、去年のバレンタインにしっかり傷つけられたわたしは、あの日の恨みを込めて言ってやった。 「じゃあ、宍戸先輩。一番混雑する、バレンタイン前の休日に、一度チョコを買いに行ってみて下さい。そしてあの売り場が、いかに凄惨なものか、その身でとくと味わうがいいです」 「な、なんで俺が!?」 「今、たかがチョコって、バカにしたじゃないですか! そのたかがチョコを手に入れるのに、世の女性たちが、いかに熱意を注いでいるかを、しっかりその目に焼きつけてきて下さいよ!」 「そうじゃなくて、男の俺がチョコ売り場をうろつくのは、どう見たっておかしいだろーが!」 ……言われてみれば。 しかもそれって、1つもチョコがもらえないから、仕方なく自分で買いに行くっていう、見栄っぱりな悲しい男の子の絵になるわよね。きっと、周囲の人たちからも注目されまくりだわ。 すると、それまで静かに成り行きを見ていた跡部先輩と忍足先輩が、この展開に面白がって便乗してきた。 「へえ、面白そうじゃねえか」 「かわいい後輩の心を傷つけた報いや。いい社会見学にもなるし、行って来い、宍戸」 「バカ! おまえらまで、余計なこと言うなって!」 ……ふう。 宍戸先輩には悪いけど、これでわたしに向けられてた矛先は、完全に移動したわ。 でも、事態がそれなりに落ち着いたところで、鳳が意外なことを口にした。 「でも、俺、の意見に賛成ですよ」 わいわい騒いでた先輩たちもわたしも、その発言には驚いた。 っていうか、宍戸先輩の糾弾に熱を入れ過ぎて、自分の発案なのにすっかり忘れてたわ。 それは、宍戸先輩いじりに夢中になっていた、跡部先輩と忍足先輩も同じようだった。 「賛成って、バレンタイン撲滅運動にか?」 「おいおい、そんなん言うて、チョコがもらえん男のひがみや思われても知らんぞ。……って、まあ鳳なら大丈夫か」 「でも長太郎、おまえって、甘いもん好きだよな? 別にチョコもらって、困ることはないんじゃねえ?」 「はい。でも2月14日って、ちょうど俺の誕生日で。そのせいで、昔からプレゼントとチョコを一緒にされることが多くて、バレンタインチョコに対しては、実はあまりいい思い出がないんです」 それってつまり、クリスマスが誕生日な子が、バースデーケーキではなく、クリスマスケーキを用意されるのと同じような悩み? 「あー……同じ日なら、チョコがいっぱいもらえてラッキーかと思ってたけど、そういうもんでもないのね」 「それより、もう部活始まる時間だよ。もそろそろ準備を整えておかないと、日吉にどやされるんじゃない?」 「あっ、ヤバイ! じゃあ、先輩方、また後で!」 そうして、わたしと鳳は、まだ何やら言い合ってる先輩たちを残して、一足先にコートへ向かった。 うるさい先輩たちから離れ、わたしと鳳、2人きりの貴重な時間が訪れる。 ……まあ、コートに着くまでの、束の間だけどね。 でも、せっかくだから、いまのうちにいろいろ聞いてみようっと。 「じゃあさ、あの……鳳的には、誕生日プレゼントにどんなものが欲しいの?」 「んー、今一番欲しいのは、誕生日とバレンタインをいっしょくたにして、プレゼントをごまかさない彼女かな」 ……それ、プレゼント? 「……鳳、意外とがめついわね」 「だって、誕生日とバレンタインは別物じゃん。それなら、どっちも堪能したいからさ」 「っていうか、彼女って……」 「彼女がいれば、誕生日もバレンタインも楽しく過ごせるだろ?」 「そ、それはそうだけど……」 鳳の言うことも、わからなくはない。 でも、誕生日プレゼントのリサーチを兼ねてるこっちからすれば、その返答内容は、とても困りものだわ。 けど、悩み始めたわたしに、さらに鳳から、すごい言葉が飛んで来た。 「で、誕生日とバレンタインをいっしょくたにされないためには、バレンタイン撲滅運動を提唱する子なんか、最高なんだよね」 「そう、バレンタイン撲滅運動……って、は!?」 その言葉に驚いて、思わず見上げれば、そこには若干からかいを含んだ、でも、とても優しいまなざしが、わたしをじっと見つめていた。 それを見る限りでは、冗談なのか本気なのか、判別のしようがない。 ちょっと……こういう時って、どうしたらいいのよ。 「い、いやいや、バレンタインを撲滅したがってる人なら、バレンタインを楽しむには不向きなのでは?」 「でも、がバレンタインを嫌がったのは、別の理由があると思ったんだけど」 うわっ、はっきり名指しされた! ……でも、なんでわかったんだろう? そうよ。わたしがバレンタインを嫌がったのは、製菓業界に利用されるとか、そんな理由が原因じゃない。 バレンタインの印象が強すぎて、その日が誕生日の人へのプレゼントを、うまく考えられないのが問題だったからなのよ。 それならもういっそ、気合い入れまくりのチョコをプレゼントにするかって、そう思い始めた矢先、よりにもよって、先輩たちが鳳のいる前で、バレンタインチョコの獲得予想をしてるところに出くわしてしまった。 あのまま話が続いてたら、誰が一番チョコをもらえるかの競争になって、その場に居合わせた鳳は、自然に巻き込まれる形になる。そうなれば、わたしの心尽くしのチョコは、鳳に1ポイント与えるだけの、ただのチョコってことになりかねなくなる。それだけは、絶対にごめんだった。 ……でも、そんな裏事情、言わなきゃ誰にもわからないと思ったのに。 「俺はずっと、を見てたよ」 並んで歩いていた鳳が、足を止める。 「も、俺を見てくれてると思ってた。でも、それって俺の勘違い?」 やむなく、わたしも歩みを止める。 立ち止まったままの鳳に、腕を取られてしまったから。 あの……そんなこと言われたら、わたしの方こそ勘違いしそうなんだけど。 その言葉に、なんて答えたらいいかわからなくて、口を噤んだままでいると、やがて鳳が悲しそうに目を伏せた。 「……やっぱり、勘違いだったんだ」 「そんなこと……!」 思わず飛び出した、否定の言葉。 でも、口にした瞬間、それが意味することに気づいて、慌てて残りを押し込めた。 だって勘違いじゃないと認めたら、鳳のことを好きって言ってるのと同じなんだもの。 その中途半端な告白に、恥ずかしさと気まずさが一気に押し寄せる。 正直、今すぐここから逃げ出したかった。 なのに鳳は、掴んだままのわたしの腕を離そうとしない。 恐る恐る見上げると、そこには爽やかなんだけどどこか腹黒い、満面の笑みを浮かべた彼がいる。 「勘違いじゃないなら、の口からはっきり言って?」 「な、何を?」 「俺のこと、どう思ってるのか」 「は!?」 もしかしてわたしは、誘導尋問的なものに引っかかりましたか? でもってそのまま、恋の正念場に引っ張り出されちゃいましたか? やはり、一癖も二癖もある先輩たちの中で鍛えられただけあって、鳳自身も相当な曲者だった。 でもまあ……どうやらバレンタイン撲滅運動は、宣言した甲斐があったみたいです。 −END−
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