長いような短いような、そんな当たり障りのない卒業式を終え、友達たちと一通り中学生活への別れを告げた後、わたしは1人、この学校を去ろうとしていた。
 わたしを含め、仲の良い子たちはみんな高等部へ持ち上がるから、「卒業=別れ」という概念はわたしの中にはない。
 だからこのまま、いつもと同じように帰ろうとしたんだけど――



覚えててくれてありがとう



先輩!」


 靴を履き替えようとしたところで、わたしはふいに呼び止められた。
 聞き覚えのある声に振り向けば、そこには愛敬のある笑顔でこちらに向かって駆けてくる、1年下の後輩、鳳長太郎の姿が。

 決して知らない仲じゃない。
 でも、彼に呼び止められる理由は、悪いけど全く思い浮かばない。
 一体、わたしに何の用なの?


「どしたの、鳳。何か用?」


 ちょっと冷たい言い方だったかもしれないけど、そういう言い方しかできない。
 でも、彼はそれに気を悪くした様子もなく、わずかにはにかんだ後、後ろに隠し持っていた何かを、勢いよくわたしの前に突き出した。

 あまりに勢いよすぎて、思わず数歩後ずさるわたし。
 けれど彼は、そんなわたしに構うことなく、大きな声でこう言ったんだ。


「先輩、わずかな間だったけど、大変お世話になりました! これ、テニス部2年生一同からです」


 鳳の勢いに驚いていたわたしは、そう言われて、ようやく彼の手にするものに目をやった。
 それは、一面びっしりと文字に埋め尽くされた、1枚の色紙。


「……わたしに?」
「はい!」


 何がそんなに嬉しいのか、満面笑顔の鳳から、わたしはそれを受け取った。
 そして少々戸惑いながら、そっと色紙に視線を落とす。


 そこに書かれていたのは――男子テニス部2年生によるメッセージ。
 そう、これはみんなからわたしへの寄せ書きだった。


 わたしはまたまた驚いて、鳳の顔を見やる。でも彼は、相変わらず笑顔のまま。


 わたしは、この氷帝学園男子テニス部のマネージャーを務めていた。
 当時から圧倒的な部員数を誇るテニス部だけあって、マネージャーの仕事も大変なものだった。
 でも大変な中にも、わたしは心地好い充実感を見出だして、とても満ち足りた毎日を送ってたの。


 けれど、それが一変したのは、2年生の5月。


 わたしは交通事故に遭い、左足をかなりひどく骨折した。
 骨だけじゃなく、靱帯とかにも影響があったので、手術をして長期入院の必要に迫られたし、根気よくリハビリにも通わなきゃならなくなった。
 日常生活に復帰するためにも、まずそれが第一で、そちらに専念するために、やむなくわたしは、テニス部を辞めることになったのだ。あの、大好きだったテニス部を――

 胸の奥がチクリと痛む。そしてちょっぴり自分で驚く。
 あの時のことを思い出すたび、涙が止まらなかったから、わたしは意識的に、テニス部のことを考えないようにしていた。
 だから今、とても久しぶりにテニス部のことを、あの時のことを思い出してみたのに、やっぱり今でも、悲しさは消えていないんだ。


 結局わたしは、出席日数ギリギリで、なんとか復活。
 まあ、リハビリは学校帰りに何度も通って、そのおかげで、今は難なく歩いてられるんだけどさ。

 わたしは、大好きだったテニス部にまつわる、すべてのものを見るのがつらくて、部員のみんなも避けて回った。
 とはいえ、同級生の跡部たちは気持ちをわかってくれてたみたいで、あえてそっとしておいてくれたけど。1年の時から、ずっと一緒だったもの。テニス部に対するお互いの気持ちは、なんとなくわかるんだよね。


 でも、後輩たちはそうはいかない。
 たまに顔を合わせて挨拶されても、とにかく無視。
 遠くから姿を見つけた時は、わざわざ遠回りして、彼らとの接近をとことん避けた。

 つまりわたしは、かなり感じ悪い態度の先輩だったの。
 にも関わらず、そんなわたしに、2ヶ月程度しか一緒にいなかったあの時の後輩たちが、こうして言葉を寄せてくれている。



 ――練習についていけず悩んでた時、励ましてくれてありがとうございました。
  今もテニス部で頑張っていられるのは、先輩のおかげです。 ……西川

 ――先輩が辞めた時は、すごく寂しかったです。
  お世話になった先輩に、なんの手助けもできずすみません。 ……山口

 ――先輩の作ったビミョーな味のドリンクは、未だに忘れられません。
  あれで誰1人、一度として腹を壊さなかったのは、テニス部七不思議の一つです。 ……日吉



 たくさんの後輩たちの言葉が、わたしの中に飛び込んでくる。


 ありがとうね、西川、山口。でも、あんたたちが誰なのか思い出せないや。
 だって部員の数多すぎるし、全員を覚える前に辞めちゃったんだもん。
 だから、半分近くのメンバーはわかんないよ、ごめん。

 っていうか、日吉、あれってそんなにビミョーだった?
 確かに、独自のアレンジはしたけど、味見は欠かしてなかったよ。わたし的にOKだったから配ってたのに。その前に、テニス部七不思議って何さ。あとの6つを言ってみろ。

 ああ、でも、そんなことなんてどうでもいいや。みんな、本当にありがとう。
 わたしのこと、覚えててくれてありがとう。
 忘れないでいてくれて、ありがとう。
 本当はみんなのこと、大好きだったよ。


 それぞれの個性に満ちた文字を目で追っていたら、だんだん目頭が熱くなってきた。

 そうしてざっと見渡して――そこでふと、わたしはあることに気がついた。
 そこで、背の高い後輩を見上げて言う。


「ねえ、鳳。あんたはこれに書いてくれた?」


 人数が多いからよくわかんないけど、でも鳳の名前は、この中に見当たらないように思う。
 ……それって、ちょっと悲しいよ。

 すると、鳳はにっこり笑って、


「いえ、まだです。これから書かせてもらおうと思って」


 言って鳳は、胸ポケットからペンを取り出すと、わたしの目の前で、色紙の中にしっかりと一言書き加える。

 他の誰が書いたものより、鮮烈に飛び込んでくる、鳳からわたしへのメッセージ。
 それは――





 ――好きです。 鳳長太郎





 …………………………えーっと。


 ちょっと困って、わたしは鳳の顔を見上げる。
 今まで笑顔だった鳳は、気がつくと、とても真剣なまなざしで、静かにわたしを見つめていた。
 少なくとも……冗談って感じじゃない。


「……ほんと?」
「ほんとです」


 おどおど訊ねるわたしに、淀むことなくきっぱり答える。


「お願いですから、もう俺のこと避けないで下さい」


 唯一会える場所だったテニス部からその意味が消え、たまに会っても、目を合わせることさえしない。それどころか、徹底的に避けられる。そうやって、離れていく先輩を遠くから見てるの、すごく悲しかったんですよ、と鳳はそう言った。


 そっか――テニス部を離れて、わたしは1人で悲しんでたけど、そんなわたしを思って、あんたもずっと悲しんでたのね。


 それってなんだかとっても複雑。
 だってあんたがそうやって、遠ざかるわたしを見てすごく悲しんでたってことが、どういうわけだか、わたしすっごく嬉しいんだもの。

 そう――たまらなく嬉しいの。


 そう思ったら、もうダメだった。
 涙が溢れて止まらない。溢れて溢れて、こぼれ落ちる。

 鳳はいつもの笑顔で、優しく涙を拭ってくれた。


「部室に行きましょう? 跡部先輩たちも、みんな集まってるんです」
「……うん」
「それから……先輩のこと、名前で呼んでもいいですか?」
「……うん」
「できれば俺のことも、鳳って言うんじゃなくて、名前で呼んでほしいです」
「……うん」


 同じ言葉を、何度も何度も繰り返す。
 涙はなかなか止まらなくて、そして鳳――ううん、長太郎は「」って呼んで、優しくわたしを抱き締めてくれた。


「卒業式」と呼ばれるだけの、いつもと何も変わらない日――そう思ってた1日が、この瞬間、わたしの中で、かけがえのない日へと変化を遂げた。


−END−


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 長太郎には、犬のようでありながら、男らしくあってほしいと思う。
 無邪気に近づいておきながら、こういきなり……って感じで(笑)

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2003.03.21

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