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本日行われる家庭科の授業は、3・4時間目を利用しての調理実習。 4〜5人での班に分かれて、炊き込みごはんとすまし汁を作るのです。 そしてその班分けで、わたしは跡部と同じ班になりました。 跡部景吾。この氷帝学園内では、知らない人のない超有名人。 どこか偉そうで、威圧的な印象を与えがちな人だけど、同じクラスになって時間を共にする機会が増えたら、少しずつだけど、彼の人となりが見えてきた。 決して愛想のいいヤツじゃないけど、だからといって、冷たいってわけでもない。 少なくとも、つき合いにくい相手じゃなかった。うん、結構いいヤツだと思う。 そんな跡部と同じ班。 本来なら、それは何も問題はないはず……なんだけど――でも今回に限っては、困ったことにあるのだった。 ポイントは、「調理実習」ってとこ。 だってさー、跡部って、見るからに料理しなさそうじゃない。 いや、下手したら、包丁も持ったことないんじゃないかな。 料理できない人と調理実習で同じ班って、こんなに大変なことはないと思う。 だって、調理実習って時間制限のある作業だから、メニューにもよるけど、比較的迅速な作業が要求されるものでしょ? しかも炊き込みごはんの今回は、ごはんを炊く時間も取られるから、なおのこと、てきぱき動かなきゃならないわけで。 つまり、てきぱき動けないと、ちょっと困ってしまうわけで……。 「どうした、? ずいぶんとしけた面して」 「あー……うん」 跡部にそう声をかけられるけど、あんたのせいだとも言えず、曖昧な返事を返すわたし。 とはいえ、それはわたしの中での、勝手な想像。 そうよ、成績優秀な跡部だもの。きっと手先も器用なはず。料理なんてちょちょいのちょいって、簡単に作れるに違いないわ。 ……まあ、それだって、わたしの勝手な想像なんだけどさ。 そんなことを思いつつ、跡部の様子をこっそり窺ってみると、彼は鍋やら調味料やらを、しげしげと観察している最中だった。 ただ単に、使用道具の確認をしてるだけかもしれないけど、わたしの目には、普段見慣れない物珍しいものを見てるだけのような、そんな気がして仕方ない。 ってことは、やっぱり跡部は料理と無縁? ……うーん、しょうがない。 とりあえず彼には、簡単で無難な仕事をやってもらうとしよう。 それは、同じ班になった他2人のメンバーも、同意見なようだった。 「じゃあ、跡部はお米とぐのをお願い」 簡単極まりない作業だけど、ごはんが重要な割合を占めることを思えば、跡部の心証も悪くないはず。実際跡部は、「任せとけ」と、文句も言わずに引き受けてくれた。 でも、実はこれがまずかった。 跡部が料理に不慣れなことを見抜いたのなら、わたしは彼の作業を、きちんと見届けるべきだったのだ。 けれど、さっきも言ったように、調理実習は時間制限のある作業。 当然ながら、跡部にお米を託した後、わたしは全体の作業を進めるためにも、自分の仕事に移らなきゃならないわけで。 そんなわけで、この後何気なく目にした跡部の思わぬ行動に、わたしは心底、度肝を抜かされたのだった。 「ぎゃあああああっ!!」 そして家庭科室に、わたしの絶叫がこだまする。 普通にしてれば、当然ながら、こんな悲鳴を上げるはずもない。 ということはつまり、こんな悲鳴を上げるような事態が起きちゃったというわけで。 とんでもない悲鳴を上げたわたしは、現在、クラス中の注目の的だった。 そして、わたしに視線を注ぐことで保たれていた沈黙が、目の前の人物によって破られる。 「……っせーな。人の耳元で叫ぶんじゃねーよ」 耳を押さえて、こちらを睨みつける跡部。 確かに、耳のすぐ近くで叫んだのは悪かった。 けどね、叫ばずにはいられなかったんだよ。 むしろ、わたしが叫んだ理由がわからないあんたに、もっともっと叫びたいくらいなのよ! 「ど、どうしたの! 今の悲鳴は何!?」 いきなりの出来事にしばし呆然としてた先生は、我に返ると、慌ててこちらにすっ飛んできた。 でも、「こいつのせいで迷惑してんだ」と言いたげな跡部とわたしを見比べて、まるでわたしが何かしたかのような目で、先生は「さん?」と、こちらに説明を求めてくる。 冤罪です、先生。しかも、こんなことを説明しなきゃいけないのも、正直しんどいです。 「せんせー……」 でも、事実はきちんと伝えなきゃならない。 がっくりと肩を落として、わたしは言った。 「跡部くんが、洗剤でお米洗いましたー……」 「………………は?」 思わず聞き返す先生。 その気持ちはよくわかる。むしろそれは、クラスみんなの心の声でもあるだろう。 ほんとにね、現実にこんなことするヤツがいるなんて思わなかった。 しかもそれを、生で目にすることになるなんて。 でも、「跡部ならそういうこともあり得る」と思えてしまうことが、一番信じられないかも。 泡にまみれた米を見ながら、わたしはそんなことを考えていた。 これには先生も大変困ったようで、しばらく「あー」とか「うー」とか短い声をもらしていた。 そうして先生は、しばし考えた結果、 「えっと……じゃあ、よーく水で洗って、気をつけて使ってね」 ――って、このまま使うの!? 跡部にもびっくりだけど、先生にもびっくりだよ! けど事の張本人跡部は、どうもイマイチわかってないようで、「よく洗えばいいのか?」と言って再び洗剤を手にしたので、班のみんなと本気で止めた。 世間で常識とされていることは、必ずしも万人共通の認識ではない。 そんなとても大切なことを、計らずもわたしはここで学んだのでした。 突飛な事件に翻弄されつつも、気を取り直して作業に戻る。 まあ、その後は跡部もおかしな真似をしでかさなかったので、比較的順調に料理は進んだ。 でも、その矢先、 「つっ……!」 「跡部?」 耳に届いた小さな声に振り向けば、包丁を手放して、眉間に皺を寄せている跡部の姿。 先程の米の一件で、彼がいかに料理というものを知らないかよくわかったんだけど、だからといって、何もさせないわけにはいかない。 そこで今度は、すまし汁に入れる三つ葉を適当な大きさに切ってもらってたんだけど、どうやら包丁で指を切ってしまったようだった。やはり、慣れないことはさせたのはまずかったか。 「どこ切ったの? 見せて」 「別に大したことねえよ」 「いいから見せるの!」 そして、跡部が少し引っ込めてた手を取って調べる。 切ったのはほんの少しのようだけど、それでも人差し指の先から血が流れていた。 こんなこともあろうかと、先生の方であらかじめ用意されていたバンドエイドを1枚もらって、それを貼ろうとしたんだけど……そこでふと感じる、謎の違和感。 「……?」 「なんだ? 変な顔しやがって」 首を傾げるわたしに、跡部の疑問の声が飛ぶ。 でもわたしは、なおも首を傾げたまま、 「跡部って、利き手どっちだっけ?」 「あ? 右だが、それがどうした」 「ってことは、包丁持ってたの右手だよね」 「そうなるな」 「……じゃあ、右で包丁持ってるのに、なんで右手の指切ってるの?」 そう、右手で包丁を持ってるってことは、普通、左手で野菜などの切るものを押さえるわけで。 そうなると、当然ミスした時に切ってしまうのは左手でしょ? なのに跡部は、なぜか切れるはずのない右手を切ってるのよ。 これってば、どういうこと? それまで、「何言ってんだ、こいつ?」って、むちゃくちゃバカにした顔でわたしを見ていた跡部も、言われて初めて気がついたみたい。心底不思議そうに、血が流れる自分の指先を見つめていた。 うーん、さすがは跡部様。ミラクル炸裂ね。 「……ま、いっか」 本当は、とことん突き詰めてみたい問題だけど、結論が出るとも思えないし。 しょうがないから、おとなしく跡部の指にバンドエイドを貼ると、わたしは早々に、この件を終わらせたのだった。 「料理ってのはめんどくさいもんだな」 貼られたバンドエイドのせいで動きにくくなった指を眺めながら、しみじみと跡部が言う。 そりゃ確かにめんどくさいけど、だからって普通、ここまでおかしなことにはならないものよ。 ――とは言わないでおくけど。 「でも、できる方ができないよりいいじゃない」 「俺は別に、料理ができなくたって困りゃしねえよ」 確かに跡部には、作ってくれそうな人がゴロゴロいそうだ。 でも、世の中そんなに甘くはないんだぞ。 「いやいや、そう言ってるヤツこそが、将来困る事態に陥るのよ」 「困らねえよ」 「困るって」 「困らねえ」 「困る」 なぜか始まった、おかしな議論。 口を動かす暇があるなら手を動かせと、横で同じ班の子たちの厳しい表情が物語っている。 ごめん、さっきから仕事してないね、わたしたち。 でも、跡部はそんなことおかまいなしで、さらに続けてくる。 それどころか、平然とこんなことを言い放ってくれました。 「まあ、仮に困ったとしても、その時は、 が俺の飯を作ればいいだけの話だろ?」 あんまり普通に言うから思わず聞き流しそうになったけど……これってば さん的に、聞き流すには問題のある発言じゃない? 「どういう理屈よ、それは」 「理屈も何も、そのままの意味だが?」 そのままの意味? わざわざあんたの飯を作るって、それはつまり、家政婦ってことよね。 洗剤でお米といだり、包丁持った方の手を切ったり、おかしなことをいろいろしといて、さらにわたしを家政婦扱いするわけなの、この男は! 「あんた、わたしをなんだと思ってんの!」 さすがに腹が立って声を荒げたら、意外にも跡部がそれに驚いた。 でも、彼のその驚きは、いきなり大声を出したことに対してじゃなかったみたい。 しかも跡部は、なぜか動揺してるようだった。 動揺って……あの跡部が? なんで??? それで妙に冷静になったんで、落ち着いて考えてみたんだけど、跡部にごはんを作る人って、必ずしも家政婦ってわけじゃないのよね。 まあ、その……奥さんっていうか、主婦な場合もあるわけで。 我ながら現金なもので、もしそうだったら、えっと……結構嬉しいかも、なーんて思うんだけど。 でも違ってたら、これ以上に恥ずかしいことってない。 だってわたし、たった今、跡部に対してキレたばかりだもの。 けど跡部は、時々こっちの様子を窺ったりしながら、今の発言の意味を、どう説明しようか考えてるようにも見える。 ってことは、やっぱり家政婦は間違いなのね。 そうは言っても、跡部からちゃんとした説明がないことには、その辺りのことは、わたしには正確に伝わらないわけで。 なら、はっきり言ってくれるまで、もうちょっとだけ、怒ったふりしてようっと。 −END−
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