左から2列目の、前から4番目。
 そこがわたしの席。
 いろんな席に座ったけれど、ここが中学生活最後のわたしの席。


 一番左の列の、前から4番目。
 そこが彼の席。
 中学生活最後のお隣りさんの席。
 わたしのことを好きだと言った彼――跡部景吾の席。



卒業



 卒業式を終え、次第に喧騒の遠ざかっていく静かな校舎内。
 クラスメートたちは順々に学び舎を後にし、そうしていつしか無人になった教室で、わたしは自分の席に座って、ただじっと跡部の席を見つめていた。


 跡部とは3年で初めて同じクラスになった。
 1年の時は宍戸と、2年の時は忍足と同じクラスで仲良くなった縁で、彼らと同じテニス部の跡部とも顔を合わせる機会はわりと多かった。だから同じクラスになったと知った時も、「これからよろしく」って気軽に挨拶できるくらい仲良くなってたっけ。

 実際、女子の中で、一番彼と仲が良かったのはわたしだと思う。
 同じクラスなだけあって、話す機会も一緒にいる機会も以前より格段に増えたし、わたしへの呼び方も、気がつけば「」から「」に変わっていた。
 そして、そのうち試合の応援にも行くようになったし、休みの日も一緒に遊びに行ったりするほどになった。


 そこまでしてるんだから、2人の距離が着実に縮まってるって自覚はもちろんあったの。
 ……でも、忍足たちに言わせると、そこまでわかってるくせに肝心なことをわからずにいた、わたしの方がわからないんだそうで……。


 わたしは跡部を友達だと思ってた。
 だから跡部も、わたしのことを友達だと思ってるに違いないと思ってた。
 でも、現実は違ってたんだ。


 ある日、唐突に跡部は言った。
 わたしのことが好きだって。だからつき合ってほしいって。


 ――ショックだった。
 だって、わたしにとって跡部は友達だったから。
 跡部のことは好きだけど、それはあくまで友情で、跡部がわたしに感じる気持ちとは全く違うものだったから。


 そもそも恋愛感情っていうのは、なんだか苦手で。
 だから跡部を異性として見るのも、異性として見られるのも、どこか嫌で――どこか怖くて。


 自分とは無縁だと思ってた感情と真正面から向き合わされて、今まで普通だったものがいっぺんに普通じゃなくなって、とにかくわたしは混乱した。だから跡部がわたしを好きだっていうことも、さっぱり理解不能だった。

 何も言わないわたしに跡部は、自分のことが好きか嫌いか、まずそれで答えてみろって言った。
 でも、わたしにとってはそういう問題じゃなくて。
 だって、好きか嫌いで答えるなら、間違いなく跡部のことは好きだもの。
 けれど明らかに、2人の「好き」は種類が違う。


 告白の答えなんて、YESかNOのどちらか1つ。
 でもそんなだから、わたしの答えはどちらかといえばNOだった。


 けど混乱してたわたしは、どうして跡部を受け入れられないのかをうまく説明することができなくて、跡部の方もそんなわたしにちょっと苛ついてるように見えた。
 そりゃ、好きだけどつき合えないなんて言われたら、跡部じゃなくても納得できないよね。

 それでも跡部が無理にわたしを問い詰めなかったのは、きっとわたしがかなり情けない顔をしてたせいなんだと思う。わたしがすごく戸惑ってたことだけは、ありがたいことに彼に伝わってたから。


 そして跡部は、わたしに猶予をくれた。


「とりあえず、俺がを好きだってことを理解しろ。他のことを考えるのはそれからだ。考えた上で俺を受け入れられないって言うなら、それは仕方ねえと納得する。だが、単にややこしい考えから逃げたいってだけで断るなら、いくらおまえでも許さねえからな」


 試合の時と同じ、真剣勝負に挑む顔を跡部は見せた。
 そう、真剣な顔。跡部がわたしに対して真剣な証拠。


 でも、まっすぐぶつけられた気持ちは、とてもじゃないけどわたしには大きすぎて。
 そしてとても重くて、支えきれなくて。


 逃げるなと言われたにも関わらず、わたしはそのまま、逃げるように教室を飛び出した。
 結局、それ以来跡部とは満足に口もきいていない。


 そのまま二学期が終わり、冬休みが終わり、そして今日、中学生活が終わろうとしている。


 わたしの返事に対して、跡部は特に期限を設けなかったし、今まで何も言わなかったからずるずると今日まで来てしまった。けど、このままうやむやにする跡部じゃないだろう。
 それに――うぬぼれるわけじゃないけど、きっと跡部は、今もわたしのことが好きだから……。
 距離を取っているわたしをいつも視線で追ってたこと、ちゃんと気づいてるんだから。


 跡部に好きだと言われてからずっと、わたしなりに跡部のことを考えた。
 いっぱいいっぱい考えた。

 答えは今もはっきり出ない。
 だからこうしてぼんやりしていても、心に浮かぶのは跡部のことばかりなんだ。

 その上、そんなふうに跡部のことを考えてる自分自身のことも、よくわからない。
 最初はただ、跡部が納得できるだけの説得力のある答えを、必死で考えてただけだったんだけど……。


 そんな時、ふいに教室のドアが開けられた。
 そしてこちらへ近づいてくる足音。
 見なくても誰だかわかるその人は、ゆっくりとこちらにやって来て、隣の席に腰を下ろした。


 緊張する。
 そういえば隣の席になってから、わたしは跡部を意識しすぎて、彼がいる左側をほとんど見なかったように思う。
 今もそれとまったく同じ。
 でも――もう見ないふりはできない。


 わたしは跡部を見た。
 跡部はわたしを見ていた。


 どこか張りつめたその表情から、さすがの彼からも緊張と不安がうかがえる。
 そして久々に向き合ったわたしを見て、跡部は少しホッとしたようだった。それだけ長い間、わたしは彼を避け続けていたんだ。


 そしてしばらく沈黙が続く。


 言うべきことは間違いなくあるのに、どんなふうに言えばいいのかわからない。
 どう切り出すか、まとまらない考えに戸惑いながら、机の上で組み合わせてた手をせわしなく組み替える。





 すると何度目かの組み替えの後に、跡部の手がわたしの手の上に重なった。
 しばし泳いでいた視線も、それで彼のもとに引き戻される。


「好きだ」


 手から伝わる温かな温度と共に、あらためてわたしの中に染み入る言葉。
 それはずっと変わらないままの、わたしへ対する跡部の気持ち。

 おまえは? ――そして視線がそう訊ねる。


「……わかんない」


 思わず出たのは素直な感想。
 途端、跡部の目に失望の色がよぎったように見えた。だからわたしは、慌てて後を続ける。


「け、けど」


 跡部を正面からしっかりと見つめる。本当に懐かしい、正面から見る跡部の姿。
 彼と向き合うのに、こんなに懐かしさを感じるなんて思ってもみなかった。


 わたしはやっぱり、わたしに対する跡部みたいな気持ちがよくわからない。
 あれからずっと考えたけど、考えれば考えるほどますますわからなくなった。
 恋人どうしになったとしても、基本的に一緒にいることが多かったわたしたちは、きっと大して友達時代と変わらないと思う。
 今と変わらないのなら、今のままでいればいいのにって、わたしは思うけど……。


 好きだと言ってもらえたことは、とても嬉しかった。
 でも、事はそんなに単純にはいかないんだよね。
 だってこうなった以上、わたしたちは前みたいな友達関係にはもう戻れないから……。
 けど、友達に戻れないからって、このまま跡部と離れてしまうのは嫌だった。
 それだけがわたしの中で変わらない、ただ1つの跡部への気持ちなんだ。


「跡部とは、これからも一緒にいたいと思うよ」


 言葉はきちんと足りてるだろうか。
 ちゃんとわかってもらえるだろうか。

 友達という視点に跡部が立てないなら、わたしが何とか、恋人という視点に立ってみる。
 うまく立てるかわからないけど、せめて跡部の気持ちを、できる限りわかってみたいと思うから。

 跡部はしばらく考えて、言った。


「……友達なんてまっぴらだぞ」
「……うん」
「それがわかった上で、俺のそばにいるってのがどういうことか、本当にちゃんとわかってるか?」
「わかってる……つもり」



「俺を受け入れるってことは、こういうことをされても許すってことだぞ」



 言って跡部は立ち上がり、わたしのより近くまで来ると手をのばした。

 わたしの手とは造りから違う、大きな手が頬に触れる。
 瞳を覗き込まれ、跡部の端整な顔がゆっくりわたしに近づいてくる。

 どうしていいかわからなくて思わずぎゅっと目をつむったら、笑う気配を感じると同時に、コツンと額どうしを当てられた。
 恐る恐る目を開ければ、そこにあるのは跡部のキレイな優しい瞳。


「まあ、今はこれくらいで勘弁してやるよ」


 そしてそのまま、跡部はわたしを抱きしめた。
 跡部の感触、跡部の体温――密着したことで、跡部のすべてが直接的に伝わってくる。


 どうしよう――ドキドキする。
 心臓が壊れそう。だって、男の子とここまでくっつくのって初めてのことだ。

 確かに……これ以上の展開は、友達どうしの間では生まれない。
 でも、跡部はそういういろんなことをわたしにしたいのかと思ったら、ますますもって、どうしたらいいかわからなくなった。それらはまだ、わたしの許容範囲にない。

 腕の中で真っ赤になって慌ててるわたしを見て、跡部は笑ってた。
 余裕っぽいところが、なんだかムカつく。わたしはこんなに、いっぱいいっぱいなのに。


「……手加減してよね」
「わかってる」


 我ながらぎこちない手つきで、跡部の背中に手をのばす。
 すると抱き締める力が強くなり、居心地のよかった腕の中がいきなり苦しくなる。
 正直、ここから抜け出したくなったんだけど、本当に嬉しそうに「……ありがとな、」と口にする跡部の声を聞いたら、もう少しおとなしくしてるのも悪くないと思った。


 恋愛感情はまだ苦手で、正直それがどんなものなのか、今はよくわからないけど。
 でも、わたしの存在をここまで喜んでくれる人がいるのは、本当に本当に――心から嬉しいと、そう思った。

−END−

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 氷帝学園卒業式への投稿作。

 跡部はストリートテニス場での杏ちゃんとの一見から、どうしても女の子に手を出すのが早そうなイメージが持たれがちだけど(実を言うと、私の脳内跡部もそのイメージが濃厚/笑)、そうじゃない彼も見てみたかったんです。

 こんなふうに、気持ちが落ち着くまで静かに待っていてくれる彼の姿も、なかなかいいものじゃないかと。

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2004.03.09

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