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19.移動教室 新年度の始まりは、イベントがてんこもり。 クラス替えを筆頭に、役員決めや身体検査。そして、本日行われたスポーツテスト。 でもこいつのおかげで、わたしはこの時期が、毎年憂鬱でしょうがない。 だってさー、わたしが50mを何秒で走ろうが、ハンドボールを何m飛ばそうが、世界の行く末には関係ないと思わない? ……まあ、ただ単に、身体を動かす作業が、あまり好きじゃないってことなんだけど。 でも、常日頃からそういう作業に触れていないということは、結局のところ、かなり運動不足な人というわけで。 そんな人間が、いきなり身体を動かしまくればどうなるか。 答えは簡単、筋肉痛よ。 でもそんなのは、容易に想像できること。だから筋肉痛に関しては、予想の範疇の出来事として、わざわざ問題にすることもない……はずだった。 そう、予想の上では、今現在、こうなるはずじゃなかったのよ。 だって明日ならともかく、身体を動かした数時間後に、早くも筋肉痛到来って、どういうこと? 筋肉痛になるのが遅いと、歳をとった証拠という話は聞いたことあるけど、いくらわたしが若くたって、さすがにこれは早すぎでしょ!? っていうか、こんな若さの証明はいらないわ。 そのおかげで、午後以降はいつも通りの動きをするにも、一苦労な有様だった。 もー、午前中をスポーツテストにするくらいなら、何で午後を休みにしてくれないの。 しかも5時間目の日本史が、資料ビデオを見る名目で視聴覚室での授業だったもんだから、わざわざ教室を移動しなきゃならなくて。 ううっ、階段の上り下りが特にツラいってのに、何でよりにもよって、校舎のてっぺんにある視聴覚室なんかに……。 しかもそこに、ノートを忘れてきたもんだから、もう最悪。 おかげでこうして、最果ての教室に、また行かなきゃならないんだもの。 宿題に資料ビデオの感想文さえなかったら、メモ代わりにビデオ内容を走り書きしたノートなんて、堂々と忘れていくのに。 重い身体を引きずって視聴覚室まで行き、置き去りにされたノートを手にすると、それでようやく一安心。 でも家に帰るには、身体の痛みと戦いながら時間をかけて上ってきたこの階段を、上ったぶんだけ下りなきゃならないというわけで。 ……わたし、日が暮れる前に、ちゃんと家に帰れるのかな? よたよた階段を下りながら、あまりに遅いペースに、我ながら不安を抱いた、その時だった。 「ぐわっ!」 ふいに肩に受けた衝撃が、背中を伝って、全身を駆け巡る。 突然走った思いがけない痛みに、たまらず悲鳴を上げると、背後から慌てた声が聞こえてきた。 「お、おい、どうした?」 どうしたもこうしたも、あんたのせいだ! 恨みを込めて犯人に目をやると、そこにいたのは、顔なじみの大石くん。 「歩き方がぎこちなかったから、気分でも悪いのかと思って……」 そういや、大石くんの8割は優しさでできてるのよね。って、残り2割が何なのかは知らないけど。 でも、そんな彼のことだから、あまりにあんまりなわたしを見過ごせなかったんだろうな。 ふらふらでよろよろなこの足取りは、確かに病人さながらの歩き方に見えるもの。 「どうもしませんので、お気遣いなく」 「いや、明らかにどうもしなくはないだろう?」 「あー、確かに。でもただの筋肉痛なんで、ほんと気にしないで」 「筋肉痛?」 うわ、その顔から察するに、「筋肉痛程度で、ここまでツラそうにできるわけがない。本当は、どこか具合が悪いんだろう?」って考えてますね。 くっそー、世の中はね、あんたみたいに運動神経が優れて、筋肉痛というものに縁遠い人間ばかりじゃないのよ。わたしみたいに、お母さんのお腹の中に、運動神経を置き忘れてきちゃった人だっているんだからね。 でも、さすがにそんなことは言えないので、仕方なく、訝しげな大石くんに、こうなった経緯をきちんと説明した。 すると、納得した大石くんはしみじみと、 「やっぱり、日頃から、適度に身体を動かすことは大事なんだな」 「適度も何も、身体を動かすこと自体が嫌いな人だっているんですー」 「だからって、これほどの筋肉痛になるのはちょっとなあ。……ん? ちょっと前に屈みすぎじゃないか? その方が、かえって足腰に負担をかけると思うぞ」 そう言うや否や大石くんは、猫背を極めていたわたしの姿勢を正すべく、いきなり肩を掴んで、まっすぐにさせようとした。 でもその唐突な動きに、わたしの身体が即応できるはずもない。 「痛い痛い痛ーい!!」 「わ! ご、ごめん!」 たまらず悲鳴をあげたわたしに、大慌てで手を離す大石くん。 慌てたはずみで階段を踏み外しかけて、こちらもそれに驚いてしまう。 こんなことでテニス部レギュラーにケガでもさせたら、青学中の女子に恨まれちゃうわ。 「ごめん。今はちょっと、普通の姿勢がツラすぎて」 「そ、そうか。いきなり無理させて悪かったよ。こっちこそ、ごめん」 「ただ歩くぶんには、わりと平気なんだけどね。でも階段は、特に下りがきつくって……」 「じゃあ、ちゃんと下りるまで、手を貸すよ」 言って、こちらに向けて、「ほら」と手を差し出す大石くん。 え? その手を一体どうしろと? 目の前の手と大石くんの顔を、代わる代わる見てみるも、彼の爽やかな笑顔は、眩いばかりに「遠慮するなよ、ハハハ」と言っていた。 このまま固まってたら、親切でしてくれた大石くんを、かえって困らせる気がしたので、気恥ずかしいけど、ひとまずその手を取ることに。 何だか、エスコートされてるみたい。 そんなふうに、ちょっぴり胸を高鳴らせていたら、当の大石くんは、なぜかクスクス笑いながら、ふいに「これって、あれに似てるな」と口にした。 もしかして、大石くんも同じことを考えていた? そう思い、よりいっそうドキドキしながら、次の言葉を待ったのに、 「そう、お年寄りの手を引いて、一緒に横断歩道を渡っている時みたいだ」 「……ピチピチの乙女に対して、そういうこと言う?」 残念なことに、親切の塊の爽やか好青年は、実は単なる天然さんでした。 ったく……わたしのときめきを返せ。 −END− 2009.05.31 |