|
01.貸して? ペキ。 「あり?」 軽い音に、素っ頓狂な声。 さらにその後、シャーペンをカチカチとノックする音が教室に響く。 ……これは来るな。 案の定、わたしの方を向いた菊丸は、にへっと笑いながら、いつものセリフを口にした。 「悪い、シャー芯貸して」 そしてわたしも、いつも通りにため息をつき、 「あんたね、貸してって言うわりに、一度も返したことないじゃないの」 別にシャー芯の1本や2本、どうってことないんだけどさ。 でもこの人、もうずいぶん前から、事あるごとにわたしにシャー芯たかってるのよ。 切らしたんなら、いいかげん新しいのを買うべきだと思わない? けど当の本人は、そりゃもう涼しい顔をして、 「ごめんごめん。じゃあ、シャー芯ちょうだい?」 「……そもそも遠慮する気がないわけね」 「んなこと言ったって、ないもんはないし、他に貸してくれる人だっていないんだから、しょーがないじゃんか」 そして中3男子とは思えないかわいらしさで、ほっぺをふくらませて不満をアピールする。 確かに彼の言う通り、今教室には、わたしと菊丸の2人しかいないけど。 でも、菊丸がこういう状態になったのは、はっきり言って、自業自得以外の何物でもない。 今日日直のわたしは、細々とした雑用なんかもあって、みんなが帰った後も、最後の仕事である日誌を書くために、教室に居残っていた。 そこへ重い足取りで現れたのが、クラスメイトの菊丸英二。 でも彼は、テニス部レギュラーのジャージを着て、なぜか苦虫を噛み潰したような顔をしている。 どうやら、今まさに部活を始めようとしていたらしいんだけど……でもそれなら、何で今頃、わざわざ教室に戻ってきたのか? そして、見るからに顔中に疑問符を浮かべていたわたしに、菊丸はがっくりと肩を落としながら、こうなったいきさつを述べたのだった。 「英語の山田せんせーがさー、提出期限過ぎても宿題のプリント出してないの、俺だけだから、何としても今日中に出しなさいっつって、わざわざテニスコートまで来ちゃったんだよー」 ……なるほど。 勤勉実直な部長のもとでは逃げることも叶わず、やり忘れていた宿題のために、部活を追い出されたってわけね。 そんなわけで、机の中に入れっぱなしになっていた宿題を片づけるために、渋々戻ってきた菊丸。 でも、提出しないのはできないからだと思っていたら、菊丸は時折手を止めて考えつつも、それなりにスイスイ解いていくじゃない。 日誌を書き終えたわたしは、その作業を隣で見ながら、 「何だ。できるんなら、さっさとやればよかったのに」 「うるさいなあ。何だか提出しなくてもよさそうな空気だったから、このままうやむやにできると思ったんだよ」 それは一体どんな空気だ。 けど、横から口を出したわたしに文句を言った瞬間、ペキ、と音を立てて彼の――というより、わたしのあげた芯が折れた。ええ、結局あげましたとも。 「あっ、くそっ」 軽く舌打ちして、シャーペンをノックする菊丸。 どうやら菊丸は、意外と筆圧が高いらしい。そのせいで芯を折る音が、結構頻繁に聞こえてくるから。 わたしは軟らかくて書きやすいからBの芯を愛用してるけど、どうやら菊丸にはわたし好みの芯は合わないみたいね。 「菊丸は、いつもどの芯使ってるの? やっぱ普通にHB?」 「あー、特に気にしてないけど」 「気にしなよ。だって、ものすごく芯折ってるじゃない」 「そういやそうだな。でも、書けりゃそれでいいじゃん。こだわることないない♪」 いや、こんなにボキボキ折りまくってるんだから、こだわろうよ。 そもそもこんなにしょっちゅう折ってたら、かえって書きづらいんじゃないの? さっきだって、舌打ちしてたし。 ここはお互いのためにも、ぜひ菊丸には自分に合った芯を、自分で用意してもらいたいところだわ。 だってさ、菊丸に芯を貸す(と言うかあげる)ようになってから、今までにない早さで、芯がなくなるようになっちゃったのよ。それって明らかに、菊丸がわたしの芯を消費するペースが早いからよね。 でも、そんなわたしの心情を知るよしもない菊丸は、プリントを進めながらさらに芯を折り続ける。 そうして、再度新たな芯を要求されたんだけど、その時には、さすがにちょっと納得いかないって顔をしてしまった。 するとそれを見た菊丸は、しばらく何か考えて、 「んー、言われてみれば、確かに俺って、しょっちゅう芯借りてるよな。じゃあ、今度お礼に何かおごるよ」 「ほんとにー?」 それって、文句を言われたから仕方なくって気がしなくもない。 けど菊丸は、うさんくさげに言葉を返すわたしにグッと近づいて、 「ほんとほんと。で、ついでに映画なんかも、一緒に観に行ったりしない?」 「え?」 冗談っぽい物言いのわりに、菊丸はとても緊張した面持ちで。 とても「ついで」という、気楽な単語を使った発言とは思えなかった。 だから驚いたわたしが、そのままじっと菊丸を凝視してしまったのは仕方ないと思う。 けど当の菊丸は、あまりに見つめるわたしの視線に耐えられなくなったようで、「早く芯!」と言いながら、真っ赤になった顔を背けてしまった。 その行動は、明らかに照れ隠し。 ……ヤバい、見ているこっちまで照れてくる。と、とりあえず新しい芯を渡しとこう。 でも、そんな微妙な空気の中で、ふいに聞こえてきた彼の言葉。 「……実を言うと、わざとだったんだよね」 芯を渡す時に一瞬触れる、お互いの手と手。本当に芯を忘れて、わたしから借りた時に起きた、そんな些細な出来事に、菊丸はすごくドキドキしたんだとか。 だからそれ以降も、その機会の到来を望んで、彼はしょっちゅうわたしから芯をもらってたんだって。 「うわー……」 「あっ、こら、引くなって! 言っとくけど、他の女子にはそんなふうにならないんだからな。おまえだけってことを忘れんな!」 まさかそんな真相だったとは……。っていうか、それって逆ギレしながら言うこと? そんなことを知っちゃったら、こっちだって意識して、今まで通りに渡せないじゃない。 そこで、使うぶんだけ自分で取れという意味を込めて、芯の入ったケースを菊丸に放ろうとしたら、いち早く動いた彼に、その手をガッチリ捕まれてしまった。 「え、えーと……菊丸?」 「悪いけど、ここまで来たら離す気ないから」 「あの、悪いと思うなら、離――」 「だから離さないって。もともと欲しかったのは、シャー芯なんかじゃないんだから」 さっき、あれだけ真っ赤になって、目を逸らした人だとは思えない。 それくらい真剣なまなざしで、菊丸は静かにわたしを見つめていた。 結局、そのまま離してもらえず、わたしは見事に彼に捕まってしまったのでした。 −END− 2004.09.25 |