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明日は乙女の聖戦バレンタインデー。 その前日ともなれば、男子も女子もそわそわして、どこかむずむずした緊張感が漂い始める。 本番とは異なる独特の空気で、それもまた味わい深いものといえた。 でも、今年の2月13日は違った。突如、四天宝寺に激震が走ったのだ。 「みんなに話がある」 神妙な顔で口を開く担任を、3年2組一同は、これまた神妙な顔で見守った。 何か事件のにおいがする。そして担任が次に告げた言葉で、教室は大きなどよめきに包まれた。 「校長が……やられた」 驚きのあまり、イスを蹴倒して謙也くんが立ち上がる。 ガタン、と大きな音が響き、 「何やて!?」 「あのムアンギが……」 どんな人物か知るだけに、白石くんもこの事実には、厳しい表情を見せた。 担任は、ざわめくわたしたちを静まらせると、 「校長だけやない。あちこちで被害が確認されとるし、うちのクラスも見ての通り、かなりの人数がやられとる。事態は深刻や」 言われてみんな、教室内を見回す。 所々に見られる、主のいない座席。確かに今日の欠席者は多い。未だかつてない人数だ。 四天宝寺は独特の校風、それゆえに、他にはない最強の守護があった。 けれど、それすら破られるとは……。しかも、強靭なムアンギ校長まで敗北した。あらためて敵の脅威を突きつけられ、わたしの心は嫌な予感でいっぱいになる。 確か、クラスの欠席率が20%に達した時……って話を聞いたことがあるんだけど、今の状況ってこれに当てはまるんじゃない? そして嫌な予感というものは、残念ながら当たるもの。 担任のさらなる言葉は、とても無情なものだった。 「そこで協議の結果、本日は2時間目以降の授業はなし。明後日の15日まで学級閉鎖が決定した」 「ええーっ!?」 教室中から上がる絶叫。それはほとんどが女子のもので、かく言うわたしも含まれていた。 あんまりだ。ひどすぎる。何してくれんのよ、インフルエンザ! 確かに今年のインフルエンザは、いつになく猛威を奮っていた。でも笑いに溢れる我が四天宝寺は、それによって免疫細胞のエース、ナチュラルキラー細胞を日々育んでいる。だからこそ、ちょっとした病気なんて蹴散らす強さを、この学校の教師も生徒も持っているはずだったんだ。 けれど冬が深まるにつれ、じわじわと欠席者は増えていき、ついにこの事態を招き寄せてしまった。 よりによって、2月14日が学級閉鎖だなんて。 土日祝日でもないのに、学校がいきなり休みになるなんて。 学校という場所は、とてもとても重要だ。だってここがなければ、好きな人と会うことすら叶わない。 わたしみたいに同級生に片思いしていると、好きな人とは、好きな時に連絡して好きな時に会えるような関係じゃないから。 そして恋する乙女はわたし以外にもいるわけで、バレンタインが休みになったことで、教室はお通夜状態になった。 同じクラスの男子にしろ、それ以外の男子にしろ、学校でチョコを渡すつもりでいた女子たちは、その手段を断たれてしまったわけだから。 これが義理チョコなら、後日仕切り直しもできるけど、さすがに本命となるとなあ……。 みんなしばらく呆然としていたけど、やがて現実を受け入れて、1人また1人と、とぼとぼ教室を後にしていった。 でも、わたしはまだダメ。机に突っ伏して撃沈中。 「ー、大丈夫かー?」 コンコンと机を叩くのは、優しき隣人。わたしは突っ伏したまま、力なく首を横に振った。 白石くんとは隣の席になったのを機に、ようやく仲良くなれた。 この勢いのまま、バレンタインに告白するつもりで勇気を蓄えていたのに、まさかわたしの決意が、こんな形で妨害されるなんて。 あの後、クラス一丸となって学級閉鎖に反対したけど、結局それが覆ることはなかった。何しろこれは、担任個人の判断じゃないから。 白石くんは言う。 「せめてムアンギがいてくれたらな」 「うん。あの人ならきっと、イベントを優先させてくれたよね」 「けど、受験生の俺らにインフルエンザが大敵なのもわかるしな。笑いをとるか健康をとるか、学校としても苦渋の決断やったろ」 「その迷い方も、うちの学校らしいよね」 わたしは深く深くため息をついた。 「深刻そうやな」と苦笑する白石くんに、さらなるため息をつきながら、「深刻だとも」と返答する。 そんなわたしに、彼はちょっと意外そうな顔をして、かと思えば、ふいに真面目な顔になり、 「もバレンタイン大事やった?」 「……チョコレートケーキ作ろうと思ってん」 言ってもしょうがないことを、もごもごと口にする。 「土日にめっちゃ練習したのに、肝心の本番がなくなるなんてな。事前準備バッチリやったのに、せっかくの材料も無駄になったわ」 「作ればええやん。無駄にすることあらへんて」 「……モチベーション上がらへん」 「材料あるなら、いつかは作るんやろ? なら、予定通り作ればええやん」 白石くんは、なんでこんなにケーキ作りを推すんだろう? そんな疑問が浮かんだけど、それより今は、苛立ちの方が大きかった。 簡単に、作ればなんて言わないでほしい。 作ったって渡せないんだから。 当日に呼び出すなり、明日会えるように今お願いするなり、方法があることはわかっている。 でも、勇気を奮い起こすために一生懸命立てたプランが、根っこから崩れてしまったんだ。そんなわたしに、今から新たな行動に向かう力を生み出すのは、不可能に等しい。そもそも休日に呼び出したりできるなら、学校で渡すことにこだわらない。 「作ったってしゃーないやん! わたしも家族も嫌ってほど練習ケーキ食べたから、そんなんもう食べたないねん!」 目の前にいるのは、バレンタインにチョコレートを渡したい人。 チョコレートを渡して、想いを告げたい大好きな人。 そんな人なのに、今はすごく腹立たしい。 でも、吐き捨てるようにそう言って、すごく後悔した。 こんなこと、白石くんに言っていいことじゃないのに。彼はただ、落ち込むわたしを元気づけてくれようとしただけなのに。 せっかく仲良くなれたのに、きっとこれで嫌われる。 なんかもう悲しくて、ただただ俯いていたら―― 「俺にくれたらええ」 それは大きくない声だったけど、わたしの耳にはまっすぐ届いた。 顔を上げると、真剣な表情の白石くんと目が合う。 何を言ってるんだろうと、きっとわたしは、そんな顔をしてたと思う。 「作ってくれるなら、俺がもらうから」 さらに言われて、そこでようやく意味を理解できた気がする。 でも、言葉の意味はわかっても、それを言う白石くんの真意がわからない。第一、作ったとしても、問題は渡すことにあるんだよ。 「でも……明日、学校休みやん」 「ん家まで取りに行くし」 それは思わぬ申し出だった。予想外すぎて固まるくらい。 「すまん、あつかましすぎた」 それを見て白石くんは、悪い方にとったらしい。悔やむような顔を見せられ、慌てて首を横に振る。 違うの。嫌な思いをしたわけじゃない。ただただ驚いて、驚きすぎて、他に何もなくなっちゃって。 せっかくのチャンスを失いたくなくて、「作る。頑張る」と、とにかくそれだけを必死で口にした。 白石くんがホッとした笑顔になったことで、ようやくわたしたちの間で、1つの約束が成立した。 でも、作るのが決まったなら、もう1つ決めなきゃならないことがある。 「なら、ケーキ渡すのに、どこで待ち合せようか?」 「あかん。学級閉鎖中は自宅待機や。下手に外出して、インフルエンザ拾ったらどうすんねん」 わたしの何気ない提案は、けれど白石くんに、スパッと断ち切られた。 「? じゃあ、どこで渡すん?」 「せやから、俺がん家行くて」 「あれ、自宅待機は?」 「俺はインフルなんぞに負けん」 確かに、普段から健康にうるさい白石くんとわたしじゃ、免疫力の強さは違うよね。 けど、わざわざ自分から、インフルエンザにかかりやすい状況に行くのはどうなの? 納得できるようなできないような言い分に、微妙な顔をしていたら、 「は明日、俺が来るのを待っとってくれたらええ。外に出るのは御法度や」 「でも」 「ええから」 「だって」 「バレンタインのチョコ欲しがったせいで、好きな子がインフルエンザになったら、後悔してもしきれんやろ」 それは渋るわたしを納得させる、最大最強の理由。 明日は白石くん命令で、わたしは外出禁止らしい。 でもそれは、わたしがインフルエンザにかからないようにとの、とても優しい制約なんだ。 −END−
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