聞きなれた軽快なメロディが、心地よい眠りを妨げる。
 鳴り響くそれは、わたしの携帯の着信音。

 そのことを理解すると同時に、目が覚めたことも理解した。
 ただ、なかなか瞼を上げられない。
 仕方なく、手探りで鳴り続ける携帯に出た。


「……し」


 もしもしと言ったつもりが、全然声が出ていない。まあ、寝起きだからしょうがないけど。
 でも電話の主は、そんなことは気にした様子もなく、朗らかに朝の訪れを告げた。


「グッモーニン、。あと5分で、ラジオ体操の時間やで」



すべての基本は健康から



 時刻は朝の6時25分。声の主は、同じクラスの白石蔵ノ介。


「んー」
「ちゃんと起きたか? まずは顔洗って、スッキリしてこい」
「……わかった」


 貼りつく喉を開いて、なんとか声を出す。
 答えたことに満足して、再び目を閉じかけたら――


「わかったなら、はよ動く!」


 ああ、布団の中はこんなにも快適なのに……でも、わたしに二度寝は許されない。
 そんなふうに口先だけだから、携帯は通話中のまま、ハンズフリーにすることを指示される。単にモーニングコールしただけじゃ、わたしが動かないことは、今のやりとりで簡単に予測できるから。


 朝早くに携帯電話を繋げたまま、わたしたちが何をするかというと、さっき白石が言った通り、ラジオ体操なのである。
 夏休みでもない、普通に学校のある日にラジオ体操。はっきり言って、気乗りしない。

 だからって適当にやっていると、その都度白石から、注意が飛んでくる。
 見えないはずなのに、なんでいろいろわかるんだろう?


「腕はビシッと指先までのばす。適当にやってると効果あらへんから、しっかりな」


 でもそのおかげで、わずかな時間の運動でも、しっかり身体が温まった。おまけに、これだけ動けば目も覚める。
 まあ、寝ようと思えば寝れるけどね。あと30分くらいなら大丈夫そう。
 だけど、電話の向こうにいる人は、そんなことなど許さない。


「二度寝したらあかんで。朝飯もちゃんと食うんやで」
「に、二度寝しません! ちゃんと食べます!」


 その注意は、まるでお母さん。
 はきはき答えるわたしの声に、電話の向こうのお母さんからは、満足げな気配が伝わってきた。


「よっしゃ。ほな、学校でな」


 このように、ここ最近のわたしの1日は、白石とのラジオ体操で幕を開けるのです。



◇   ◆   ◇   ◆   ◇



 部活を引退してからというもの、わたしは太った。がっつり太った。謙也に「、ぽっちゃりしてきたなあ」と、何気なく言われるほど。
 そりゃ全然動かなくなってからも、全力で動いてた時と同じだけ食べてたら、カロリー消費手段がないぶん、脂肪は蓄積されるわけよ。

 このままじゃいけないとは思うけど、引退後の怠惰な生活は、心地よすぎてどうにもできない。
 できれば、朝は心行くまで寝たかったのに、朝練があるからダメだったし。
 身体を動かすのは嫌いじゃないけど、走るのは苦手で、自分がなんで運動部にいたのか、不思議なくらいだった。走り込みは、どの部も普通にあるもんね。

 そんなわたしが、「部活」という動く理由を失って、自主的に運動することがあるだろうか。
 いや、そんなことがあるわけないから、今のわたしがここにいる!
 ……胸を張って言うことじゃないけどね。


 でも、謙也からの一言は、さすがに衝撃的だった。
「ぽっちゃり」という辺りに、一応の気遣いは感じたけど、どんな言い方をしようが、結局太ったってことだもの。
 しかもあれは、茶化したり意地悪で言ったんじゃなく、「事実をそのまま言いました」って感じの、一切他意のないもの。だからこそ、重みがあるのよ。


 そこでわたしは、一念発起して、ダイエットに挑んだ。
 今の自分を打ち砕いて、かつての自分を取り戻すために。
 ウエストがきつくなりつつある制服のスカートを、卒業まできちんとはき続けるために!

 食べまくって太ったんだから、まずは食べることをやめなくちゃ。
 そんな決意のもとで、ダイエットを続けた結果――


、ちょおここ座り」
「……はい」


 白石に怒られることになったんだ。

 理由は簡単、徹底的に食事を抜くという方法を取って、思いっきり体調を崩したから。
 そして教室で、彼の目の前で、身体に力が入らなくなって、ぶっ倒れたから。

 心配を隠せなかった白石の顔が、わたしの話を聞くにつれ、見る見る厳しくなっていく。
 そう、白石は心配してくれてたんだ。だから意識が戻った後、不調を改善できるよう、きちんと問診してくれて……って、よく考えたら、それって保健の先生の仕事じゃない?

 でもここは、白石のテリトリーとして、誰もが認識している場所。
 そんな保健室のベッドの上で、わたしはおとなしく正座して、彼と相対していた。


「ダイエットで食事を抜くなんて、もってのほかや!」


 白石の移り変わる表情で、薄々察していたけれど、やっぱりむちゃくちゃ怒られた。健康を愛する彼は、健康を損なう真似を許さない。

 そうして一通り怒られた後、今度は白石先生の講義が始まる。
 何しろわたしのダイエット法が、あまりにあんまりだったから。


 簡単に言えば、ダイエットに必要な要素は全部で3つ。食事・運動・生活改善。
 いっぱい食べて、一生懸命部活で動いて、朝練に備えて早寝早起きをしていたわたしだけど、いつしかいっぱい食べて、全然動かなくて、毎日ダラダラ過ごすようになっていた。
 一連の流れを振り返ってみると、部活を引退したことがすべての鍵であるのは明白だ。


「つまりの場合、前みたいな生活に戻せばいい。運動部にいたんやから、動けるやろ。てっとり早く、走るんはどうや?」
「走るの嫌いやもん。そもそも、あまり動きたくない」


 だから、太ったわけですよ。
 はっきり本音を述べるわたしに、白石はため息をついて、


「それで痩せようってのは、虫のいい話やな」
「わかってるよ、そんなこと」
「わかってへん。ダイエットするなら、ちゃんとしいや。少なくとも、倒れるようなんは、ダイエットとは言わん」
「わかってるってば!」


 思わず大きくなった声が、白石の発言を遮った。耳に痛いほどの正論を。


 白石の言っていることはわかる。わかるけど、素直に納得なんてできなかった。
 少しでも早く、結果が欲しかった。でもそれは、手に入らないどころか、そもそも得るための道を間違えていたなんて。
 しかも、ダイエットに失敗して倒れるとか、すごくかっこ悪いじゃない。

 俯いたまま何も言わないわたしに、白石が諭すように言う。


のダイエットは、健康を損ねてまで、やらないかんことか? そもそも、美しさの源は健康にあると、俺は思うで」
「そりゃ、健康に越したことはないけど……」
「無理せんでも、はそのままでええんちゃう?」


 そのままといっても、今のわたしは、以前のわたしより重いんだよ。
 第一、変にフォローされても惨めなだけだ。
 白石だって、自分の彼女はスレンダーでスタイル抜群の方がいいでしょ?


「男の子は、痩せてる女の子の方が好きやろ?」
「すべての男がそうとは限らん。……もしかして、誰かに何か言われたんか?」
「そういうわけやないけど……」


 きっかけは、謙也のぽっちゃり発言だけど、体重増加は自覚してたし、なんとかしなきゃとも思っていた。こうしようと決めたのは、わたし自身だ。

 何か言いたげな表情の白石。でも私が話すことは、もう何もない。
 突如生まれた変な沈黙を、破ったのは白石だった。


「今の状態を改善したいなら、に必要なのは運動やろな」
「やっぱ、そうかー」


 怠け癖がついた今のわたしにはきついけど、自分できちんと節制しなきゃ、何も始まらないんだな。
 問題は、ちゃんとそれができるかどうか。
 これまで部活を頑張ってきたとはいえ、あれはみんなと一緒だったからできたことなんだ。1人であの運動量を毎日こなせと言われたら、多分、三日坊主で終わっている。仲間がいるのって、結構大きいよね。

 けど、これはわたし個人の問題だから、甘えたことは言ってられない。
 なんとかやる気を維持しつつ、ダイエットに励まなきゃ。

 でも、そう決意を固めた時、白石から思わぬ提案がもたらされた。


「もしがやる気なら、俺も協力するで」
「ほんまに!? ……でも、協力って?」
「俺を信じて、ついてこれるか?」


 あの白石に、真剣な顔でこんなことを言われるなんて――ビックリして、思わず頷いてしまっていた。

 そしてこの日から、白石監修のダイエット大作戦が始まったんだ。



◇   ◆   ◇   ◆   ◇



 運動が必要だと散々念を押されたから、さぞ苦しいものに違いない。
 そう思ってビクついてたけど、それはちゃんと、わたしにできる範囲のものだった。

 ダイエットは1日にしてならず。
 じっくり時間をかけるべきことを理解して、焦らずコツコツやっていくこと。
 それを踏まえた上で、白石に指示されたのがこの3つだ。



 その1 早寝早起き

 まずは、規則正しい生活を整えること。
 早く寝ることで遅い時間の食事を抑えて、体脂肪をためないようにするんだって。


 その2 三食バランスよく、きちんと食べること

 朝はギリギリまで寝ていたせいで、毎日朝食抜きだった。脂肪を燃焼させるのにもエネルギーがいるから、食事をとらないと、逆に脂肪が燃えないんだって。
 それに、下手に食事を抑えると、身体が飢餓状態になって、かえって脂肪をためやすくなるんだとか。わたしがしていたことは、そんなに恐ろしいことだったのか……!
 でも一番まずいのは、朝食抜きによる空腹を補うために、学校でお菓子を食べてたことかと。


 その3 運動

 これが、最も大変なこと。
 摂取カロリーより、消費カロリーを上げて、ため込んだ脂肪を燃焼させるんだ。



 わたしとしては、これが一番問題だけど、白石が提示した運動ノルマは、朝のラジオ体操と夜のヨガだった。
 まあ、これくらいなら……と始めてみたものの、朝早く起きるのは、なかなかの苦行で。
 ヨガにしても、部活ほどの運動量はないはずなのに、結構きつい。
 この時も朝同様、電話を繋いで白石と一緒にやるんだけど、なぜかあの人は、しゃべりながら普通にできるのよね。


「腰を捻ったまま静止。このまま10秒数えるで」
「このまま10秒!? 5秒にまけらんない?」
「10秒頑張ると、ウエストがくびれるんやけどな」
「いーち、にー、さーん、しー、ごー、ろーく、しーち、はーち、きゅー、じゅー」
「よっしゃ。じゃあ今度は、反対側に捻って、また10秒」
「また……!」


 派手な動きはないものの、地味にきつい運動が続く。
 でもへこたれそうになると、白石からの声援が飛んでくるんだ。


「もうちょい頑張れ。これを続けたら、グッとかわいさが増すで」
「ほんまに?」
「ほんま。はもっとかわいくなる」
「……頑張る!」


 1日の合計運動量は、30分もない。こんなので本当に痩せられるのか疑問だったけど、白石が朝晩つき合ってまで、わたしを騙す理由はない。
 そして、これを続けて3週間。その頃には、明らかな変化が生まれていた。

 まず、続けるうちに肌ツヤや血色がよくなった。
 肝心の体重は、減ったといえば減ったけど、劇的には変わらない。
 でも身体は引き締まっていて、見た目に関しては確実に痩せていた。制服のスカートももと通り。むしろ緩い!

 それに加えて、あまりにも感動することがあったので、学校帰り、我慢できずに白石に電話してしまった。


「すごいすごい! 白石のおかげで、ダイエット大成功だよ!」


 今日、久々に後輩と顔を合わせたんだけど、そこでみんなに驚かれた。
 何しろ最後に会ったのは、間違ったダイエットを始める直前で、一番太っていた頃だもんね。
 だから、どうやって痩せたのかを、根掘り葉掘りみんなに聞かれた。
 それが白石のダイエットプログラムなもんだから、もうみんな食いつきまくりよ。


「おかげさまで、今日のわたしはモテモテだったよ」
「後輩にやろ。つーか、女子やろ」
「かわい子ちゃんにモテモテだよ。すごいやん!」
「まあ、すごいといえばすごいな」
「自分にもやってほしいって子が結構いたよ。白石のべっぴん塾なら、大繁盛間違いなしやね」
「んー、大繁盛はありがたいけど、そういう面倒なんは堪忍や」


 ――面倒。


 その一言は重く響いた。

 冷水を浴びせられたというか、ようやく現実が見えたというか……。
 普通に考えたら、同じクラスなだけの女子に、朝のラジオ体操と夜のヨガにつき合うなんて、とてもめんどくさいことだ。
 それを3週間――そうだよ、白石からしたら、面倒極まりないことなんだ。


?」


 いきなり口を噤んだわたしに、不思議そうに呼びかける白石。
 その反応があまりにも鈍かったからか、少し間を置いた後、彼は自分の発言の意味に気づいたように、「あ」と小さく声を漏らした。


「ちょお待て。今のはちゃうで」
「ちゃうことはないやろ。今まで面倒かけてごめんな」
「だから待てって。これ以上、いらん誤解される前に言うとくわ。なんで俺が、のためにここまでしたと思う?」


 なんでって……あらたまって真面目に聞かれると、戸惑ってしまう。
 でも、こうして聞かれるってことは、本当に面倒だったわけじゃないんだ。
 じゃあなんで、3週間もつき合ってくれたんだろう? 今度はそんな疑問が生まれる。


「……健康番長だから?」


 うん、「健康に仇なす者は許さん!」って感じ。事実、健康に悪いからこそ、怒られたわけだし。
 でも当の白石は、「なんやねん、健康番長て」と、ため息をついていた。


「どうでもいい奴のために、ここまでするか? いくら俺でも、そこまでお人好しやないで」
「え?」
「ようわからん男のもんにはしたないけど、あのままほっといて、が不健康になるのはもっと嫌やった。間違ったダイエットって、怖いんやで」


 それを聞いて、わたしが倒れた時の会話を思い出す。

 もしかして白石は、ずっと誤解してたのかな?
 確かに、男がどうこうって内容じゃなくもなかったけど、あれはようわからん男じゃなくて、あなたの親友なんですがね。
 でも、下手に謙也の名前を口にしたら、こじれそうだから黙っておいた。

 そうしたら、どうやら黙りすぎたらしく、


「まあ、そういうことやから」
「ちょ、白石!?」


 向こうは気まずくなったようで、強引に話を打ち切り、さらには電話も切られてしまった。


「……言い逃げやん」


 わたしはため息をついた。

 困った――そう思いつつも、笑顔が隠せない。


 白石こそ、わかってない。
 わたしがここまで頑張れたのは、白石の応援があったからなのに。
 どんなにきつくても、「かわいくなるから頑張れ」って言ってくれるたびに、どんどん力が湧いてきた。
 おかげで、途切れそうだったやる気が、どれだけ補強されただろう。
 苦戦するわたしを励ましてくれる、その言葉があったから――ただの励ましじゃなく、本当にかわいいと思ってもらいたかったから、わたしはやり遂げられたんだ。


 白石は言いたいことを言ったけど、わたしはまだ、言いたいことを言えてない。
 なら、わたしの本音は、いつどこで伝えよう。

 こうなったら、今日はわたしから、ヨガの誘いをしてみるか。

−END−

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 太るのはすぐできるのに、痩せるのはすごく大変なんだよな……。

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2010.12.31

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