夏。
 それは我が水泳部が、華々しく活動する大切な季節。
 そして大自然がもたらす暑さによって、活動場所のプールが魅力的になる季節。

 それゆえ水泳部は、部活とは違う部分で、毎年特殊な戦いを繰り広げている。
 けれど今年は、今までにない苦戦を強いられていた。

 なぜならその相手が、1年の遠山金太郎くんだから。
 噂には聞いていたけど、彼は本当に手強かった。
 そのためわたしは、彼を抑える力を持つ貴重な人物に、助力を仰ぐことにしたんだ。


「なあ、白石。遠山くんのことで、ちょっと話があるんやけど」
「ちょうどよかった。俺もに話があるんや」



水際の攻防戦



「邪魔するでー。そいやっ!」
「え? ちょっ……!」


 止める間もないとは、まさにこのこと。
 突然やって来て、わたしたちの間をすり抜けていったチビっ子は、そのままプールに飛び込んで、豪快な水しぶきを上げた。

 それは、そろそろ練習を切り上げるべく整理体操を始めた、ある種まったりしていた時。
 そんな空気をぶち壊すかのように、「またあいつか」という怒りとため息が、プールサイドに充満した。

 とりあえず、息継ぎをするべく浮上してきたところを狙って、遠山くんを捕獲する。


「こんにちは、遠山くん」
「おっ、水泳部のねーちゃん。こんちわっ!」
「君は今日も元気やね。ところで遠山くん、こうしてお話するのは、これで何回目かわかるかな?」
「8回目! ちゃーんとわかっとるで!」


 元気に答えてくれるのはいいけど、ようするに、かれこれ8回は怒られてるってことなのよね。
 どうせなら、その事実もしっかり覚えていただきたい。

 そして気楽な遠山くんに、険しい顔をした副部長のが、一気に詰め寄った。


「全っ然わかってへん!」
「うおっ、何や!?」


 勢いよく襟首を掴まれ、さすがの彼も驚きを見せる。


「何べん言ったらわかるんや! 服のままでプールに飛び込むな!」


 全身から怒りをみなぎらせるは、全身から水を滴らせる遠山くんに、強く激しくそう告げた。


 テニス部1年の遠山金太郎くん。
 これが現在の、水泳部の悩みの種。
 部活終了後、汗をかいた身体をクールダウンさせるため、服を着たままプールに飛び込む彼に、わたしたちは大いに頭を抱えていた。



 これは、夏場の運動部によくあること。
 そして歴代水泳部は、そんな人たちと戦ってきた。

 部活を頑張って、汗をかいて、その後涼みたい気持ちはわかる。
 そんな彼らが、ついついプールにやって来るのもよくわかる。
 問題なのは、ジャージを着たまま、なんだったら靴をはいたままで、直にプールに飛び込む輩がいることなんだ。

 汗まみれ泥まみれの状態で入ったら、プールの水はどうなるか。
 そのプールで活動している、水泳部はどうなるか。
 わたしたちはベストの状態で活動するべく、水質管理も自分たちできちんとやっている。
 それを台無しにされるわけだから、当然こっちは腹が立つのだ。


 暑い中、プールに入ることの何が悪いと食い下がる連中もいるけど、ルールを守って入るなら、こっちだって文句はない。
 だから大抵は、そうした説明で引き下がってくれるんだけど……いやはや、遠山くんは手強かった。
 何しろ本能で生きている子だから、暑いと思ったら即水辺へって感じなのよね。

 そして水泳部では、そんな彼を、「懲りないな」と呆れ気味に見ているわたしみたいなのがいれば、「いいかげん覚えろよ」と、みたいに怒りまくってるのもいた。


「なあ、遠山。汗まみれ泥まみれの服でプールに飛び込んだら、プールの水はどうなるかわかるか?」
「……汚れるな?」
「そう。あんたは、うちらの活動場所を汚してるんや! こっちはな、泳ぐのに適したように、きちんと水質管理してんやで。それを汚い格好で入られたら、その水質が思っきし乱れるんや!」


 わたしの前では無邪気に笑っていた遠山くんだけど、の前では表情が固い。
 さすがに怒られてることがわかるんだろうな……って、これまでわたしにも、いろいろ注意されてたよね?

 やっぱりこれくらい、はっきりやらなきゃダメなのか。そういうの、苦手なんだけどな。
 なのでついつい、わたしの言い方は緩くなる。


「せやから遠山くん、プールに入りたいんなら、せめて水着に着替えておいで」
「えー! ドロドロやからこそ、そのまま入るんが気持ちええのにー!」


 殊勝に話を聞いていたから、いけると思ったのに。
 もしや、わたしが介入したから、わがまま言い出した?
 それなら変なことせずに、にまかせておくんだった。

 でもわたしの自己反省は、わずかに遅かった。
 それより早く、ついにがぶちキレたのだ。


「それをやめろって話をしてんのがわからんのか! この耳は飾りか? 聞いたことが脳に伝達されんのなら、そんなものは切り落とせ!!」
「痛い痛い! 耳ちぎれるー!」
「ちょっと、落ち着いて! 暴力反対!」


 力の限り耳を引っ張られ、さすがの遠山くんも悲鳴を上げる。
 実力行使に走るを、慌ててみんなで止め、わたしたちは懸命に状況の鎮静化を図った。
 でも当のは、落ち着くどころか、今度はその鋭いまなざしを、突き刺さんばかりにわたしに向けてきた。


「そんなに言うなら、部長のあんたがなんとかしいや!」


 うっ!
 そ、それを言われると心苦しい……。

 そりゃ、わたしだってなんとかしたいよ。
 けど、そんな反論、激高するの前では、何の意味もない。

 ただ、部内の不満も増大したし、本当になんとかしようとはしたんだよ。
 それで白石に直談判したし――いや、しようとしたし……――


「そういや、。いっぺん白石に、相談してみる言うてたな。あの話、どうなったん?」


 突如、白石の名前が出て、遠山くんの肩がビクッと揺れる。
 わたしも、今まさに考えていた人のことを言われ、彼に負けないくらいドキッとした。


「ああ、うん、白石にね。そうやったね」


 けど、どれだけ言葉を濁そうとも、今のが見逃してくれるはずもない。
 だってわたしは、見るからに挙動不審だ。


「言うてへんの?」
「いや、言いに行ったよ。……うん、行ったとも」
「で、ちゃんと言うたんか? 遠山をなんとかしてくれって」


 言おうとしたよ。言おうとしたけど……。

 でも、言えるわけないじゃん!
 だって、こっちが本題を切り出すより先に、向こうからとんでもない話が出たんだから。





 あの時の光景が蘇る。

 毒手という奇想天外な手段ながらも、遠山くんを抑えられる白石に、彼の制御を頼みに行って。
 部長という仕事柄、顔見知りではあったけど、「まさかそんな」って気持ちの方が大きかった。


「俺な、のこと、ずっと好きやってん」


 何気なさを装いつつも、緊張しているのが窺えて、白石の本気度がビシバシ伝わって。
 そんなことをそんなふうに言われた後で、一体どう話を繋げたらいいっていうの?





 突然のことに動揺して、わたしは何も言えなかった。本来の用件も、彼への返事も。
 だから状況は、結局、何も変わってない。


 の視線が、どことなく冷たい。
 部員のみんなも、わたしの様子をじっと見ている。

 部長の自分が、なんとかしなきゃいけないのはわかっていたし、なんとかしようと思ってはいた。
 けど今のままじゃ、何もできそうにない。

 遠山くんには厳しくできないし、あれ以降、白石のことが頭から離れない。
 嬉しいけど、なんでわたしなんだろうって、そのことばかり考えて。


 ……みんなに失望されてもしょうがない。


 そう思った矢先――ふいに響いた、涼しげな声。


「金太郎」


 そして現れた人物に、後輩たちから抑えきれない歓声が上がった。
 彼の人気と知名度は、こんなとこにも溢れている。
 でも、なんで彼がここにいるの?


「……白石?」


 何の前触れもなく現れた白石は、そんな後輩たちに軽く手を振って応えると、濡れ鼠な遠山くんとそれを捕獲するを見て、大まかに状況を悟ったようだった。
 わざとらしく大きなため息をついて、


「ダッシュで消えたと思ったら、こんなとこにおったんか。あんまりよそ様に迷惑かけるんやないで。もしそないなことになったら……」


 言って白石が、包帯に包まれた左手を上げようとした瞬間、


「め、迷惑なんかかけへんで! せやから毒手はなしや!」


 恐怖の象徴を見せつけられた遠山くんは、大慌てでの手を振りほどく。
 そしてこれまでにない俊敏さで、「さいならー!」と、瞬く間にこの場を走り去ってしまった。

 これまでさんざん手こずった相手が、こんなにもあっさり……。
 思いもよらぬ毒手の威力に、わたしたちは呆気にとられて、去り行く彼を見送った。

 そんな遠山くんを、やれやれと見届けて、


「すまんな。うちの1年が迷惑かけたみたいで」
「まったくや!」


 そしては白石に対して、これまでため込んだ諸々を、遠慮なくぶちまける。
 でも、「すまん」とか「堪忍な」なんて、ちゃんと聞いているのか適当なのか判別しづらい体で対応する白石を見て、やはりわたしは不思議に思った。


「なんで?」


 そもそも彼は、なんでここに来たんだろう?
 何気なく出た疑問の声に、白石の視線がこちらに向けられる。


「なんでって、こないだ金ちゃんの話、しとったやん」
「ああ……そういや、したね」


 したといっても、遠山くんのことで話があるってだけで、それが何かまでは言ってなかったけど。
 なんで言ってなかったか――当人の前でその出来事が鮮明に思い出され、途端に居心地が悪くなる。


「困ったことがあれば、いつでも助けるで」
「お、おおきに」


 でも白石は、とても普通。
 ああいうことがあった後なだけに、こっちは水着姿で彼の前にいることが、無性に恥ずかしいってのに。

 とはいえ、変に恥ずかしがるのもおかしな話で。
 とりあえず、白石の視界から外れるべく、距離をとろうとした。


「俺との仲やしな」


 ……そうしたら、なんだか、変な念押しをされたよ。

 仲も何も、わたしと白石は、ただの部長仲間で――


 でも、彼と目が合った瞬間、そんな建前は吹き飛んだ。


 ううん。きっともう、ただの部活仲間じゃいられない。
 だって、彼はそれを望んでない。
 わたしへの想いを口にした時点で、それは明らかだ。
 そしてわたしは、これまでの関係が変わることを恐れつつも、彼の気持ちを確かに嬉しく思っている。


「ったく、ちゃんと白石に言うてたんなら、はよ言いや」


 の言葉が、妙に響く。
 それは遠山くんの件だとわかっているけど、今のわたしには、全く別の意味に聞こえた。


 言ってない。
 わたしはまだ、何も言ってない。


「せや、はよ言うて」


 わけもなく乗っかった感じで、の発言に続く白石。
 適当に言っているようなこの一言に、どれだけの重みがあるか。
 みんなは笑っているけど、それはわたしと白石にしかわからない。


 わたしにしか届かない、白石の本音。
 そしてひたすら向けられる、どこか切実な彼のまなざしに――わたしの覚悟は固まった。

−END−

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 水泳部だった知人から聞いた、夏の部活動の話がもとになってます。
 今は学校側できちんと管理してるのかもしれないけど(着衣水泳とか、服を着てることが前提の活動もあるし)、当時は水泳部でいろいろやっていて、主に野球部と戦っていたそうな。

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2010.08.31

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