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楽しくにぎわうテニスコート。楽しくじゃれ合う仲間たち。 見飽きるくらい見慣れたはずのこの光景が、今はただただ懐かしく、そしてひたすら名残惜しい。 わたしは今日、山吹中を卒業した。 だから、そこで出会った仲間たちとも、本日をもって、必然的に別れることになる。 ほとんどはそのまま山吹高に上がるけど、でも外部に行くことを選んだ数人とは、これでお別れに。 つまり、このメンバーで集まってテニスをするのは、ただいま開催中の追い出し会で、最後ということになるんだ。 「どした? 元気ないじゃん」 「千石……」 ベンチに座って、ボーッとみんなの試合を見ていたら、ふいに千石に声をかけられた。 「久々のマネージャー業で疲れちゃったのかなー? だったら、俺が全身くまなくマッサージして、その疲れをほぐしてあげるよん♪」 そう言うと、爽やかな笑顔に反したいやらしい手つきで、こちらに詰め寄ってくる。 わたしは、そんな千石をじっと見つめて―― 「………………」 「あ、あれっ?」 突如、うろたえた声を漏らす千石。 それはわたしの頬を、涙が一筋、静かに伝い落ちたから。 すると、そんなわたしたちを目敏く見つけた壇くんが、思わず絶叫する。 「ああっ! 千石先輩が、セクハラ行為で先輩を泣かせてますっ!」 「ちょっ!? 壇くん、それは誤解だ!」 セクハラ行為に関しては、誤解じゃないけど。 とはいえ、千石のそれは、今に始まったことじゃない。 あいつの場合、それこそ挨拶のようなものだし、そのことは一緒に過ごした3年間で、嫌というほど心得ていた。その中で、いつしか自然に彼のあしらい方を身につけていたわたしを、千石だってよく知っている。 だからこそ、突然泣き始めたわたしに、千石は珍しく動揺していた。 っていうか、ここまでうろたえるのって、初めて見たかも。 でも、目の前で何の前触れもなくいきなり泣かれたら、千石じゃなくても驚くよね。 そして、壇くんのよく透る声を受け、たちまちみんなが集まってくる。 「どうした、? 一体、千石に何をされたんだ?」 「な、何にもしてないって。ほんとだよ!」 ポロポロ涙を零すわたしに、南がタオルを差し出してくれた。 でも、受け取ったタオルをさらに奪い取った千石が、それでわたしの涙を、強引に拭い始める。 ……ちょっと痛い。 「なあなあ、どうしたんだよ。説明してくんないと、俺が悪者になっちゃうじゃんかー。それともほんとに、俺、何かした?」 千石を悪者にするのも、それはそれで面白そうだけど。 でも、その誘惑を断ち切って、わたしは素直に、首を横に振った。 それを見て少しホッとした千石は、視線で再度、「どうした?」と訊ねてくる。 涙のせいでうまくしゃべれないけど、それでも途切れ途切れな声で、なんとかわたしは説明した。 「あのさ……ここでこうして、テニスしてるみんなを見るのは最後なんだなーと思ったら……何か ちょっと……ダメだったみたい……」 笑い声の絶えない、楽しい練習風景だった。 そして、苦労の絶えない南の、注意を促す声もよく聞こえた。 もちろん楽しいことばかりじゃなかったけど、今思えば、それらの経験だって、すべてがわたしの大切な財産だ。 「テニスは楽しく」がモットーのとこだから、何か面倒が起きたとしても、それをズルズル引きずるようなことはなかった。 でも、あまり評判の芳しくない亜久津が入部した時には、お気楽なテニス部にも緊張が走ったっけ。まあ、確かに亜久津はおっかなかったけど、それでも世間の評判ほど、悪い奴じゃなかった。それを知ることができたのは、このテニス部のおかげ。 結局、亜久津は都大会の後でテニス部を辞めてしまったけど、千石がまとわりついて引っぱってくるせいで、今でも時々、部活に顔を出してたりする。すっごく嫌そうだけどね。 必要事項の連絡をしてるうちに、そこそこ亜久津と仲良くなったわたしは、そのたびに愚痴を聞かされるんだけど、彼が心底嫌がってるわけじゃないことだって、ちゃんと知ってるんだ。 テニス部のマネージャーとして送ってきた、今までの日々――それは、本当に楽しいものだった。 でも、引退してからはすっかり遠のいてしまった、このテニスコート。 今日久しぶりにやって来て、わたしは懐かしさと同時に、言い様のない寂しさを感じたんだ。 しかも、蘇ってくる数々の思い出がわたしの涙腺を刺激して、ここにいるだけで泣けてきそうになる始末。 だから、そんな弱い自分と必死で戦ってたのに、千石との懐かしいやりとりで、あっさりとどめを刺されてしまったってわけ。 懐かしさと涙が、いちどきに溢れてきて、もうわたしには止められない。 涙のせいで、つっかえつっかえ話すわたしの言葉を、みんなは辛抱強く聞いてくれた。 そうして出た結論は、 「じゃあ、が泣いたのは、ある意味、千石のせいなんだ」 「やっぱりおまえが悪いんじゃん」 「なんでだよーっ!?」 南と東方にそう言われ、心外だと言わんばかりに叫ぶ千石。 そして、理不尽な罪状を述べられた不機嫌さを露骨に表したまま、わたしに向き直り、 「大体、今日ですべてが終わりだと思うから、悲しくなるんだよ」 「……でも実際、今日で終わりだもん」 「いーや、終わらないね。終わらせないね。そういうわけで、これから俺たちの、永遠の絆を誓う儀式を行いたいと思います」 「はあ?」 その突然の申し出に、当然ながら、不思議顔で千石を見る一同。 でも千石は、物言いたげなみんなの視線に臆することなく、ラケットを持った手を高く掲げた。 「何ボサッとしてんだよ。ほら、みんなもさっさとする!」 そう言われ、みんなは首を傾げつつも、とりあえず千石にならう。 でもさ、マネージャーのわたしは、ラケットないんですけど……? 「ほら、ちゃんも」 そうしてちょっと考え込んでたら、千石に手招きされたので、とりあえず彼のもとへ。 みんなは掲げたラケットを中心にして、円陣を組むような形になっていた。 遅れてその円陣の中に加わったわたしに、千石は自分のラケットを持たせてくれる。 そしてラケットを握るわたしの手を、さらに千石が握り込み、そのままわたしの腕ごと、ラケットを高く持ち上げた。 「では皆様、ご唱和願います」 千石清純という男は、普段から何を考えてるのかよくわからないけど、今以上にわからなかったことはない。わたしもみんなも、一体何をする気かと、ただただ訝しんで千石を見ていた。 でも、そんな周囲のことなどおかまいなしな千石は、すうっと息を吸い込むと、高らかに声を張り上げる。 「1人はみんなのために! みんなは1人のために!」 「お、千石にしてはいいこと言うじゃないか」 「黙って、南。無駄口禁止! はい、みんなも後に続く! ちゃんも、恥ずかしがらずに声出すんだよ」 えっと、恥ずかしがる前に、趣旨がよくわからないんだけど……? でもまあ、とりあえず、言うだけ言ってみようかな。 「ひ、1人はみんなのために? みんなは1人のために?」 「なんで疑問系なの!」 「だって、疑問なんだもん!」 「まあまあ、。で、千石、次は?」 「えーっと……その志のもと、病める時も健やかなる時も、俺たちの友情が不滅であることを、ここに誓います!」 「何か、結婚式みたいなのが混じってるぞ」 「いいから、みんなで一緒に言うの!」 「ああもう、わかったわかった」 困ったように笑いつつ、さすがにみんなも、千石の本当に言いたいことがわかってきたようで。 もう、南も東方も、誰も彼を茶化さない。 わたしたちは声を揃えて、盛大に千石の後に続いた。 1人はみんなのために。みんなは1人のために。 その志のもと、病める時も健やかなる時も、私たちの友情が不滅であることを、ここに誓います。 「つまりは、みんなこれからも、ずっとずーっとよろしくねということで」 つまりは、卒業したからって、今までみんなと培ってきたものが、消えてなくなるわけじゃないということで。 おかげで、わたしの涙は、さらに止まらなくなった。 すると、ラケットを持つのとは逆の大きな手が、わたしの頭を優しく撫でる。 「ちゃんが、こんなに涙もろいとは思わなかった」 「うるさい! あんたのせいよ、バカ千石」 「うわ、ひどっ! ……でもまあ、1人で泣かれるよりは、ずっといいか」 「え、何?」 「ん、こっちの話。それより、高校行っても仲良くしようねー」 春からは、同じ高校に通うわたしたち。 千石は、きっとまた、テニス部で。 そしてわたしも、きっとまた、テニス部のマネージャーで。 わたしたちを取り巻く景色は、ほんの少しだけ変わるけど、でもその中に立っているわたしたち自身は、別に何も変わらない。 だって千石が言う通り、わたしたちがここで育んだ思い出の数々は、たとえここを離れたって、いつまでも変わることはないんだから。 −END−
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