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本日は、定期的に回ってくる日直の日。 その役目は、みんなが等しく通る道だし、心底嫌ってわけでもない。 だから、別にいいんだけどさ。 ……でも、やっぱりめんどくさい。 「つくづく思うんだけど、日直って、体のいい丁稚だよね」 「今時、丁稚はないだろ」 日直に付き物の雑用の数々に、ついうんざりとボヤいたら、相方のバネに苦笑されてしまった。 っていうか、つっこむとこって、そこなんだ。 それにしても、日直って、忙しい時と暇な時の差が激しいと思う。 そう思うのは、今日が心底忙しいから。 配布用のプリント運び、授業用の教材運び、そして提出用のノート運びと、なぜか運搬の仕事だらけ。 どうやら、今日の時間割りと各教科の授業内容が、絶妙な合わせ技を発揮してしまったようだ。 「あーあ、今日は委員会もあるし、結局1日バタバタしそう」 なので、職員室の先生のところまでノートを運んだ帰り道には、さすがに疲労のため息が落ちた。 だって3時間目が終わった段階で、教室のある北舎から、職員室や資料室のある南舎まで、すでに3往復してるのよ。 休み時間に全然休めなきゃ、そりゃ愚痴の1つも言いたくなるでしょ。 でも、普段からきびきび動いてるバネは、こうした行動も、別段苦にはならなかったみたい。 「じゃあ、日誌は俺が書いて、帰りに出しとくよ」 「マジで? ありがとー! でも、バネはいいの?」 委員会に行かなくて……そう思った時に、ふとよぎった、ありがちなフレーズ。 そしてつい出来心で、「委員会に行かなくていいんかい?」なんて言ってしまった。 その瞬間、ずっと笑顔だったバネの瞳から、笑いが消える。 顔だけ笑って、目だけマジ。 こ、怖いっスよ、バネさん……。 「ああ、俺は委員会入ってねえから。つーか、あんまりつまんねえこと言うなよ。ダビデと間違えて、つっこみそうになる」 「いや、さすがにそれは勘弁!」 つっこみ自体はかまわないけど、あんなに激しいつっこみは、さすがにノーサンキューだ。 っていうか、あれだけのつっこみを受けても、日夜ボケ続けるダビデって、本当にすごいよね。 まあ、見習おうとは思わないけど。 そんなことを話しながら、南舎から北舎へ渡り、教室へ向けて階段を上る。 すると踊り場に上がったところで、後ろから「バネさん、さん」と、耳慣れた声がかけられた。 おお、噂をすればダビデ。 「よお、ダビデ」 「2人が連れ立って歩くなんて珍しいね。もしかして、俺お邪魔?」 「馬鹿なこと言わないの。今日はわたしたち、日直だから」 「ふーん。そういえば、サエさんも今日、日直だって言ってたな。さっきまで、この辺走り回ってたよ」 「走り回ってたって、なんで?」 「なんか、資料室の鍵を先生が持ち歩いてて、次の授業の教材が運べないって」 それで、先生を探してたのか。なんて迷惑な教師だ。 「つーかさ、おまえも走ってたんじゃねえ?」 言ってバネは、しげしげとダビデの顔を見る。 確かに。上気したみたいに、頬が赤くなってるよね。 「うん。教科書忘れたから、借りに行ってた」 そしてダビデは、右手に持つ、数学の教科書を掲げてみせた。 かと思えば、次の瞬間、いつものアレが。 「教科書を強化しよう」 言った本人がプッと吹き出した時には、すでにバネは動いていた。 「毎度毎度、わけわかんねえんだよ!」 切れ味鈍いダビデのボケに、切れ味鋭いバネのつっこみ。 前者が起これば、後者は必然的に発生する。それは、もはや自然な光景。 だから、つまんないダビデのボケに、バネが激しいつっこみを炸裂させるのは、別にかまわないんだ。 問題は、つっこみを受けて吹っ飛んだダビデの先に、わたしがいたこと。 そして勢いよくぶつかられ、バランスを崩してよろめいたわたしの先に、下りの階段があったことだ。 その瞬間は、わたしの中でスローモーションだった。 バランスが崩れて、体勢を戻せないまま、階段にかけられた足。 でも、変に勢いがついてたことで、踏み止どまれなかったわたしは、そのまま階段を踏み外して、すぐさま足場をなくしてしまう。 普通なら、そのまま落ちていたはず。 でも、そうはならなかった。 なぜなら、先程のダビデよろしく、わたしたちに声をかけようとした態勢で、噂したばかりのサエがそこにいたからだ。 それを確認したところで、スローモーションは終了。 勢いが乗ったわたしは、彼に受け止められるかのように、激しくぶつかった。 そう。 激しく。 ぶつかった。 「いたた……。こんなとこで暴れるなよ。危ないだろ」 「わりい! 2人とも、大丈夫か?」 「俺は平気。は?」 バネとダビデが駆け寄る中、図らずも抱きしめ合う形になっていたサエが、こちらの顔を覗き込む。 わたしは慌てて身体を離すと、俯きながらも、全力で頷いた。 でもサエは、そんなわたしの顔を、強引に上向かせる。 そこから逃れようとしても、離してくれない。 「暴れるなって」と言われても、落ち着く方が難しいよ。 だって、下唇に感じる熱さが、今の出来事を嫌というほど感じさせるから。 そして、そんなわたしを見た2人は、揃って息を呑んだ。 「ごめん、さん!」 「おい、血が出てんぞ。大丈夫か?」 言われて、咄嗟に口元を覆う。 そこで感じる、ぬるりとした感触。 熱さの源である傷からは、結構、勢いよく血が流れていた。 「あー、口の中切ったんじゃない? 念のため、保健室行った方がいいよ」 「う、うん」 本当は、口の中じゃないんだけど……。 それがわかるだけに、サエに背中を押されて促された時は、つい身体が逃げてしまった。 ヤバい、今の不自然だったかな? でも今は、この場を離れることに専念しよう。 「バネ、保健室行くから、次の授業は少し遅れるって、先生に伝えて」 「あ、ああ」 「それじゃあ!」 そしてわたしは口を押さえたまま、そそくさと階段を下りて、一路保健室を目指した。 来た道を戻り、再び北舎から南舎へ。 でも、そんなわたしの背後から、なぜか声がかけられる。 「大丈夫?」 「え!? あっ、うん」 なんでついてくるの、サエ!? 騒がしい教室から離れ、静かな保健室へと向かう中、どんどん人気はなくなって、いつの間にか2人きりに。よりにもよって、2人きりに。 わたしが変に緊張してるからか、しばらく妙な沈黙が下りる。 でもサエは、そんなものに屈することなく、おもむろに口を開いて、こう言った。 「ぶつかった時、結構痛かったんだけど」 「ご、ごめん」 「そうじゃなくて。俺が痛かったなら、はもっと痛かったんじゃない?」 確かに痛い。でも、サエが心配するほど痛くないんだ。 っていうか、痛さがよくわからない。 痛みを把握するよりも、恥ずかしさとかいたたまれなさの方が、ずっとずっと上回ってたから。 なぜなら、わたしが切ったのは、口の中じゃなくて下唇。 サエにぶつかった時、彼の歯がそこに当たったことで、できた傷。 つまりわたしたちは、結果的にキス……みたいなことをしてしまったわけで。 いわば、不慮の事故。 でも、他意がないからこそ、どんなふうにサエと接したらいいかわからないんだ。 けどそれは、わたし1人の悩みだったみたい。 「まあ、役得ではあるんだけど」 ふいに聞こえた、サエの呟き。 そして腕を掴まれ、引き寄せられる。 「でも、とは、ちゃんとしときたいからさ」 その言葉の意味を考えようとした時には、もうサエの顔は目の前だった。 柔らかな感触と同時に覚えたのは、独特の鉄の味。 初めてのキスが血の味って……考えてみたらすごいかも。 そんなことを思いながら固まるわたしを、サエは「事故扱いは不本意だからね」と、痛いくらいに抱きしめた。 −END−
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