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「お、お久しぶりです」 「うん、久しぶり。今日は来てくれてありがとう」 久々の再会に、はにかみながらも挨拶を終えると、わたしたちはさっそく佐伯家に向かって歩き始めた。 待ち合わせして彼氏の家へって、つき合ってるっぽくていいよねー。 ――って、いけないいけない! 今回の目的はテスト勉強! 浮かれすぎて、本来の目的がおろそかになることだけは許されない。これからの快適スマホ生活のために、やるべきことはきちんとやっておかないと! ……とはいえ、まだしばらくは気合い入れなくてもいいよね。だって家に着かないと、テスト勉強は始められないし。 だからその前に、ほんの少しだけ、学業から離れたことをしてみたい。 具体的に言えば、手を……繋いだりなんかしてみたい! わたしはチャンスを窺うべく、そっと隣の佐伯さんに視線を送る――や否や、いきなりバチーンと目が合った! え、なんで!? 突然の出来事に驚いたら、なぜか佐伯さんもわたしに負けないくらい驚いていた。 そして少しだけ目を逸らすと、バツが悪そうにこう言ったのだ。 「もしかして、ちゃんも同じこと考えてた? っていうか、考えてたらいいなー、なんて……」 わたしの右隣でたゆたう、佐伯さんの左手。 どこか居心地悪そうなそれが、すぐそばにあるわたしの右手と全く同じ状態だと、目を逸らす彼は気づいていない。 「同じですよ」 わたしは勇気を出して、そっと佐伯さんの手に触れる。 その途端、すごい勢いでこちらを向いたので、今度はわたしが恥ずかしさに負けて顔を伏せた。 おかげでしっかり見えてしまった。彼の手を控えめに指でつまんでいただけだったわたしの手が、瞬く間に力強く包まれるところを。 今日の目的はテスト勉強。それはちゃんとわかっている。 だからそれが始まるまで、ほんのちょっとの間だけは、恋人どうしでできることを味わいたい。 そう思って、わたしたちはただただ静かに、手を繋いで歩みを進めた。 「お邪魔しまーす」 「今日は家族がいないから、気兼ねしないでどうぞ」 佐伯家に到着するなり、電撃報告をされてしまった。 それはホッとするような、かえって緊張するような……。 あらためて考えると、佐伯さんの家に来るのって初めてなんだよね。初めて千葉でデートした時は、なぜか黒羽さん家に行ったし。 つまり、黒羽さん以来の男子の部屋。そして同じ男子であっても、当然ながら趣きが違う。 「取り立てて面白いものはないよ。だからベッドの下を探っても、何も出ないからね」 「さ、探しませんよ! でも佐伯さんがそういうのを隠すとしたら、同じ古典的手法でもおそらく……」 「ちょっと待って。なんで本格的に、俺の秘蔵物を探ろうとしてるの?」 いや、「探すなよ。絶対探すなよ!」みたいに言うから、ネタ振りなのかと。まさか本気で焦られるとは思わなかった。しかも焦るってことは、何かしらあるんですね。 わたしの行動に意表を突かれた佐伯さんが、若干挙動不審になったので、今後のためにもここはおとなしくしておこう。 あまりキョロキョロしてもいけないと思い、窓の辺りで何気なく視線をとどめる。 でもそこから見える外の景色から、知らないお宅の庭を横切っての夏の大冒険が心に蘇り、思わず笑みが零れ落ちた。 「外に何かあるの?」 「いえ、みんなの尾行を振り切るのに、よその家の庭に入ったことを思い出して」 ふいに笑顔を見せたわたしに、不思議そうに問いかける佐伯さんは、それを聞いて苦笑い。 「さすがに今はしないけど、昔はみんな近道重視で、変なとこを通りたがったんだよ。うちみたいに部屋が庭に面してると、窓から入る方が早いとか言って玄関から来なかったりね」 うん、黒羽さん辺りが容易に想像できるな。 風を通すため、少しだけ窓を開けると、「懐かしいな」と佐伯さんが呟いた。 そして落ち着いたところで、ついにテスト勉強開始なのです! 閑静な住宅街だからか、窓が開いていても、集中を乱す騒音は聞こえない。静かな環境は、まさに勉強向きですな。 何しろ家族の皆さんが留守で、佐伯さんとわたしの2人しかいないんだから。 せっかくだからお姉さんに会いたかったけど、おかげで佐伯さんと2人きりというわけなのであります。 そう、本日我々は2人きり。 2人きり―― …………………………。 でもまあ、デートも2回したことだし、さっきは手も繋いだし、もう佐伯さんと2人きりの空間を無闇に怖がったりはしませんとも。わたしは成長したのです。 ――いえ、嘘です嘘です! わたしの心臓は、まだまだ佐伯シールドが未完成のまま! さっきからバクバク鳴り響いていて、いつぶっ壊れてもおかしくないの!! 密室で2人きりだなんて、そんな!!! いつだってどこだって、この人の魅力の前に、わたしは無力なんだ。 でも始まったばかりで、この状態はいかがなものか。 ひとまず軽く雑談でもして、少し気分をほぐすとしよう。 「そ、そういえば佐伯さんを待ってる時に、偶然ヒカルくんに会いましたよ」 「ダビデに?」 あれっ? 心なしか佐伯さんの表情が固まったような……。まずは共通の人物の話題で、朗らかに話そうと思ったのに。 思わぬ空気に軽く焦りつつも、ひとまずこのまま話を続ける。 「佐伯さんからモテオーラが会得できるCDを借りたって聞きました」 「ああ、あれか。剣太郎にせがまれてね」 一変して、あの子には困ったものですと言いたげな表情が、何だか面白い。 お、いいぞいいぞ。ちょっと挽回できてきた。 「モテオーラが会得できる曲ってどんなのですかね。なんか気になります」 わたしはさらに会話を続けた――つもりだったが、どういうわけか続かなかった。 なぜか佐伯さんが、いきなり黙り込んでしまったのだ。 不自然な沈黙に首を傾げると、やがて彼は重々しく口を開く。 「……ちゃんも気になるの? モテオーラってやつ」 モテオーラが気になるというより、モテオーラを会得できるCDが……って、なぜゆえ、そんなにわたしをじっと見つめるのですか? え、もしかしてモテオーラって言葉は、軽々しく口にしちゃいけないものなの? モテオーラって何だよって思ってたけど、実はすごいものなの? 謎の動揺に襲われるわたしに、けれど佐伯さんはそのまま問いかける。 「もてるようになってどうしたいの?」 「いや、もてたいとかそういうわけじゃ……。ただ、魅力がアップするなら、それにこしたことはないかなーと」 「魅力をアップさせてどうしたいの?」 「どうって……」 いつの間にかにじり寄られて、結構な至近距離に。 何だろう。怖い顔も怖い声もしてないのに、佐伯さんから変な迫力というか、圧力を感じる。 おまえごときが簡単に会得できると思うなよ、って言いたいのかな? そりゃわたしはロミオ役に選ばれるほどの佐伯さんと違って、しがない通行人Aみたいな役柄しか来ないモブだけど。 今でもふとのしかかる、暗い感情がある。 わたしはこの人に釣り合っているのかなって。 だからこそ、強く強く思うのは―― 「そうしたら、もっと好きになってもらえると思って……」 多くの人から愛されるこの人に。 モブな自分との差が際立つのが嫌で、今この場では、はっきり誰からとは言わなかった。 でもそれは、あまり意味がなかったみたい。 目の前で赤く染まっていく顔を見たら、わたしが求めたかったものが思いのほかあっさり、さらにはしっかり伝わったとわかったから。 大きな大きなため息をついた佐伯さんは、そのまま身体の力を抜いて、わたしの肩に頭を乗せた。 「他の男の好感度を上げたいのかと思って焦った……」 おかしなことを言うもんだな。 こんなに素敵な彼氏がいるのに、なぜそんな無意味なことをする必要があるのだろう? 思わずわたしは、クスリと笑う。 「わたしが好感度を上げたいのは佐伯さんだけですよ」 「……これ以上上げて、ちゃんは俺をどうしたいの?」 わたしの肩に頭を乗せたまま、こちらに顔を向ける佐伯さん。 見つめ合い、しばらくわたしたちの時間が止まる。 そして佐伯さんが身じろぎしたことで、近かった距離がさらに縮まる気配を感じた。 彼の掌がわたしの頬を包む。その力強い手が髪を、耳を撫でながらわたしの後頭部に回されると、もう片方の手は肩へと回された。その手がゆっくりと、わたしの顔を佐伯さんへと近づけさせる。 吐息の熱さが届く距離。でもその距離さえ、もうすぐなくなる。そしてきっと、吐息以上の熱さを感じられるだろう。 そんな未来の訪れを予感し、わたしたちはそっと目を閉じて―― その瞬間、勢いよく開けられる部屋の窓。 「ちーっす、サエさ――」 そこから唐突に、まさかのヒカルくんが参上した。 わたしの、そして佐伯さんの双眸が、カッと見開かれたことは言うまでもない。 不自然なほど超至近距離のまま、ヒカルくんを見やるわたしたち。 そんなわたしたちを見て、固まるヒカルくん。 恐ろしく重い沈黙だった。 それに耐えきれなかったのは、悪気のない闖入者。 「……あの、借りてたCD返しに来ました。ちゃんが気になってたみたいだから、その……ここから来た方が早く渡せるし、それにすぐ帰れるし……」 ようやく絞り出したヒカルくんの言葉は、なぜか敬語になって、長々と紡がれた。 そしておもむろに立ち上がり、窓へと歩み寄る佐伯さん。 「ダビデ、窓から来るな、玄関から来いって、何度も言ったよね」 「いや、あの……」 「何 度 も 言 っ た よ ね」 一語ずつ区切るように、ゆっくりはっきりと告げる佐伯さん。 その丁寧さが、逆にすごく怖いんだろう。ヒカルくんが震え上がるのが気配でわかった。 恥ずかしさに顔を手で覆っていたわたしは、2人の方を見られなかったけど、ヒカルくんの「ごめん、サエさん。マジでごめん。本当に邪魔するつもりはなかったんだ」と言う必死の訴えに、両者がどんな表情をしているかが何となく窺い知れる。 そしてCDを手渡すと、ヒカルくんは大慌てで退散した。 それを見届けると、窓を閉め、鍵をかける佐伯さん。 佐伯さんは静かに、最初の位置に座り直した。 わたしもなんとなく居住まいを正して、彼と向かい合う。 かくしてわたしたちは、再び2人きりの時間を取り戻した。 しかし、このままさっきまでの空気を取り戻せるはずもなく、かといってきちんとテスト勉強に集中できるはずもない。 結局わたしたちは、互いにはにかみながら、残りの時間を過ごすことになった。 そして肝心のテストの結果はというと―― 「前回と、まったく同じ順位でした」 まさか、こんな結果を告げることになるなんて。 「つまり、良くも悪くもなかったと」 「はい」 「じゃあ、その場合ってどうなるの?」 「スマホを買う条件は、あくまで順位アップだったから……。なので当然、今回はダメってことに」 もちろん、必死で食い下がったんですよ。順位が落ちてないとこを評価してくれって。 でも残念ながら、うちの親は甘い判断を下してはくれませんでした。 電話の向こうで、佐伯さんのため息が聞こえてきた。いやもうほんと、申し訳ない。 「で、でも、下がりはしなかったから、約束は次回に持ち越すことができました! 次こそは頑張ります!」 「そ、そうだね! 次があるよね!」 わたしと佐伯さんの快適スマホ生活は消えたわけじゃない。 ほんのちょっと、未来の出来事になっただけの話である。 そう、わたしたちの戦いはこれからだ! −END−
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