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わたしの住む街と彼の住む街、両者の違いを堪能するべく、胸いっぱいに空気を吸い込む。 匂いも温度も、肌に触れる何もかもが異なるけれど、だからこそわかる懐かしさがあった。 わたしは今、夏休みの合宿以来の、思い出深い場所に立っている。 そして胸躍らせながら、大好きな彼を待っていた。 そんな時に聞こえる、「あれっ?」という覚えのある声。 振り向けば、驚きのあまり愉快な顔になっている、天根ヒカルくんがいた。 待ち焦がれる人はまだ来ないけど、代わりに別の懐かしい人に出会いました。 「わ、久しぶりー!」 「え、ちゃん? どうしたの?」 久々に出会ったヒカルくんは、なぜかえらく動揺していた。 そりゃ会うと思ってなかった人に突然会ったら驚くけど、さすがに驚きすぎじゃない? 「佐伯さんを待ってるとこだよ」 そう、わたしは今、千葉の某駅前で、迎えに来てくれる佐伯さんを待っているところ。今日はそこから、佐伯さん家へ行く流れなの。 理由を聞いたヒカルくんはすぐさま納得したものの、「そうだった。2人はつき合ってたんだった」と、わたしたちが待ち合わせする可能性に思い至らなかったことに、なぜか恥ずかしそうにしていた。 な、なんかあらためて言われると、かえって照れるな――って、向かい合わせの男女が互いに照れてたら、いらぬ誤解を招くじゃないか! 佐伯さんの地元で、そんなことになっては非常に困る。わたしはこの空気を打ち消すべく、慌てて話を続けた。 「青学も六角も、テストの時期が近いからね。だから一緒にテスト勉強するんだ」 なんたって、学生の本分は勉強ですから! ……なーんて偉そうに言うものの、正直、そこまで真面目に思ってない。 でも、勉強の成果が今後の行方を左右する以上、真面目にやるのは当然のことだ。 そう、今後の佐伯さんとわたしの繋がりを強める上で、次のテストで負けるわけにはいかないのです。 わたしはテストへの意欲を高めつつ、本日に至る過程を振り返っていた。 「もしもしちゃん? 久しぶりー!」 「え、あれ?」 「虎次郎はさっき帰ってきたばかりで、今着替えてるの。もう少し待っててね」 びっくりした。佐伯さんの携帯にかけたら、いきなり女の人が出た。 しかしその正体はすでに知っている。佐伯さんのお姉さんだ。佐伯さんが携帯から離れたタイミングで着信があると、時々勝手に出てしまう、困ったお茶目さんである。 今もきっと、佐伯さんは荷物を残して、先に着替えに行ったんだろうな。 電話の向こうのさらに遠くから、「今日のご飯何ー?」と聞こえるものだから、思わずクスッと笑ってしまう。 その声がこちらに届いたことがわかったのか、お姉さんは会話を続けた。 「うちは今日、ロールキャベツなんだ」 「いいなー。うちなんて煮魚ですよ」 「煮魚もおいしいじゃない」 「おいしいけど、わたしは魚より肉の方が好きなんです」 「そんなこと言われたら、からあげ食べたくなってきた」 「ちょ、肉テロはやめてください!」 「肉テロって! あ、虎次郎に電話だよ。ちゃんから」 和やかな夕飯談義を打ち消すように、けたたましい足音が近づいてくる。 「なんで姉さんが普通にしゃべってんだよ! あと、勝手に出るなって!」 こうして着替えを終えた佐伯さんに携帯を奪われ、わたしとお姉さんとの会話は幕を下ろしたのでした。 「普通に会話してるから、自分の携帯でしゃべってると思った。ちゃんも、もっと強く代われって言ってよ」 「いや、着替えてるって言われたので。それくらい、普通に待ちますよ」 その方が佐伯さんは落ち着いた態勢で、ゆっくり話せるだろうし。 でも当の本人は、何やら不満げに声を上げている。 「ちゃんと話ができるのはいいけど、電話だと姉さんに時間を盗まれるな」 「あの、時間を盗まれるというのは?」 「姉さんと仲良いのは嬉しいけど、そのぶん俺がちゃんと話す時間が減っちゃうだろ? それを思うと1対1のやりとりで邪魔が入らないぶん、手紙の方がいいかもしれないな」 すごくすごく不満そうな口調は、明確にある感情を表していて。 これはつまり……わたしと仲がいいお姉さんに妬いている? え、やだ、すっごく嬉しいんですけど! 今この目で佐伯さんを見られないのが、とても残念だ――って、いや、やっぱりそれは困る。 そんな姿を見せられたら、嬉しいけれど恥ずかしい。現に今、そう言われただけで顔がすごく熱いもの。 向こうに見えないのをいいことに、心ゆくまで顔を真っ赤にさせていると、突然黙り込んだのを訝しむように、「ちゃん?」と声がかかる。 いけない、時間がもったいない。まずは今日の本題を言わないと。 「佐伯さんは、電話より手紙の方がいいですか?」 「どちらも一長一短あるから、何とも言えないけど。どうして?」 「実は親と交渉した結果、今度のテストで順位アップしたら、スマホを買ってもらえることになりました」 電話より手紙がいいと言われたらどうしよう――そんなことを考えて、緊張しつつ告げてみる。 けれどそんな心配は無用とばかりに、「本当!?」と弾んだ声が返ってきた。 スマホもガラケーも持たないわたしが彼の声を聞くためには、自宅の電話にかけるしか手段がない。 以前は携帯に興味なくて、周りの子たちが持っていても、特に気にならなかった。 でも、今は違う。佐伯さんとの連絡ツールが欲しい。切実に欲しい! とはいえ、彼氏と頻繁にやりとりしたいからスマホ持たせて♪ なんて理由で、買ってもらえるはずがない。 今時珍しく自宅の電話にかけてきて、きちんと挨拶する佐伯さんはうちの親には好印象だけど、それとこれとは別問題だ。 わたしとしても、佐伯さんのお姉さんと仲良くなれたりいいこともあったけど、やはり家族を気にせずやりとりしたい。 その問題も、わたしがスマホを持てばすべて解決だ。だって佐伯さんと直通になるんだもの。 まあ、佐伯さんのお姉さんは時々介入しそうだけど、そこは佐伯さんに携帯を肌身離さず持つなど、頑張ってもらうとして。 今回はそんな決意表明を聞いてほしくて電話したんだけど、その反面、頑張る過程でどうしようもない問題も抱えてしまったのだ。 「でも、気合い入れて勉強頑張っても、歴史はイマイチ自信がなくて……」 数字と相性が良くないのか、年号がなかなか頭に入らない。 全体の平均点を上げるか、得意科目を頑張って不得意科目を切り捨てるか、作戦の選択で結果も変わってくるだろう。 全体が上がるに越したことはないけれど、それができれば、こちとら苦労はないわけよ。 頑張ると言ったそばからため息をつくわたしに、けれど佐伯さんは救いの手を差しのべてくれた。 「なら、俺がおしえてあげようか? 語呂合わせ考えるの得意だから、頭に入りやすいと思うよ」 「本当ですか!?」 「もちろん。それでちゃんがスマホ持ってくれたら、俺としてもすごく嬉しいしね」 佐伯さんが応援してくれるなら、もうスマホはゲットしたも同然よ! これでメールもラインも思いのまま。わたしたちの新たな時代の幕開けはすぐそこだ。 「――というわけで、ここまで来たの」 今日に至る流れをざっと説明し終えると、ヒカルくんの納得顔はさらに深まった。 「そりゃサエさんも気合い入れて勉強したがるわけだ。……って、そういえば」 「どうしたの?」 「サエさんで思い出した。借りてたCD、早く返さなきゃ」 この2人がCDの貸し借り? いや、別におかしくないけど、あまり同じ曲を聞くイメージが湧いてこない。 でもそもそものきっかけは、剣太郎くんが「サエさんが普段聞いてる音楽を聞いて、モテオーラを会得するんだ」とか言い出したことにあるようで。それにヒカルくんも巻き込まれて、一緒に佐伯さんのCDを借りたらしい。 「モテオーラが会得できそうなCDってどういうの?」 「せっかくだから、勉強してる時にかけてもらえば?」 「でもそれって、今ヒカルくんが持ってるんでしょ?」 「あ、そうか。でも、CDなら他にもまだあるはずだし。サエさんのCDなら、他のヤツでも条件は同じじゃない?」 適当だなー。まあ、モテオーラCDを真面目に語られても困るけど。 そのまましばらく話してたけど、そのうち「一緒にいるとこ見られて、サエさんに睨まれたくないから」と言って、ヒカルくんは帰っていった。 佐伯さんがやって来たのは、それからすぐのこと。 立ち去るタイミングも登場するタイミングも、怖いくらいに完璧だった。 ヒカルくんの立ち去った方を見ながら、思わず呟いてしまうほどに。 「もしかして、佐伯センサーが搭載されている……!?」 「何の話?」 ついさっきまでここにいた後輩を知らない佐伯さんは、不思議そうに首を傾げるのだった。 −NEXT−
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