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「はい、です」 鳴り響く電話に、手近にいたわたしが出る。 それはごくごく普通の、日常の1コマ。 でもただ1つだけ、いつもと違うことがあった。 「もしもし?」 それは電話の主が、ごくごく普通の人じゃなかったってこと。 だってこの人、何度問いかけても全然名乗らないし、用件も言わない。 何も言わず、終始無言。 っていうか……何か、ハアハア言ってない? もしやこれは、そのうち「何色のパンツはいてるの?」とか言い出す、危ない人? そんな未来を想像して、恐る恐る通話を切ろうとしたんだけど、でも不思議と、相手に対して、何か引っかかるものがある。 そうして、なかなか切れずにいたんだけど、でも様子を窺ってるうちに、だんだんわかってきた。 これは、危ない人が興奮気味にハアハアしてるんじゃない。 とても弱くなった息遣いだ。 「もしもし? もしもーし?」 誰かはわからないけど、電話の主に、何かの異変があったんだ。 だからわたしは、根気強く問いかけた。 そして、何度目かの問いかけの末、ようやく帰ってきた声に、わたしは心底驚いた。 「……ちゃん」 「佐伯さん!?」 いや、佐伯さんから電話があっても、別におかしいことはない。 基本交流が文通とはいえ、心の距離が縮まったわたしたちは、正直、その……手紙が届くのを、待ち切れなかったりもしたので。 せめて携帯があれば、メールとかで、もっと迅速なやりとりができるのになあ。 でも今は、そんな愚痴は別問題。 問題は、なんで佐伯さんが、こんな電話をしてきたかってことだ。 でも、その疑問が出るより先に、振り絞るかのようなか細い声が、受話器越しに響いてきた。 「ごめん。いきなりで悪いけど……助けて………………」 そしてそれだけ言うと、佐伯さんの声は聞こえなくなってしまった。 「え? ちょっ……佐伯さん!? 応答願います、佐伯さん!」 本当に、一体何が起こったの!? 夏のさなか、ついに始まった、テニス部の全国大会。 残念ながら、六角中は初戦敗退だったけど、その雪辱は、青学がきっちりと果たしてくれた。 そして全国大会のついでとはいえ、せっかく佐伯さんが東京に出て来てくれたのだから、わたしたちは、大会終了後にデートすることになったのです。 でも、デートすることが明らかな以上、またテニス部の人たちに、面白半分にちょっかい出されるのは目に見えている。 だからわたしは、今から綿密なデートコースを考えていた。 佐伯さんは今日、テニス部のみんなで反省会をするって言ってたから、その間に、今回は地の利があるわたしが、知恵を振り絞るってわけ。 でも、地の利があるのは、青学のみんなも同じこと。 前回は佐伯さんの機転で、2人きりで過ごすことができたけど、はたして今回、わたしの知恵で一切の邪魔を排除することが、可能なんだろうか。 強敵揃いだから、あまり自信はないんだけど、それでも1分1秒でも長く、ラブラブタイムを獲得するために頑張るよ! けど、わたしがそうして、素敵な明日を目指して苦悩してる現在、佐伯さんは反省会に赴いてるはず。 だというのに、このいきなりのSOS要請は何事なの? わたしは、息も絶え絶えな佐伯さんから現在地を聞き出すと、大慌てで現場に急行した。 みんなが、見るも無残な有様となった焼肉屋、肉々苑へと―― 「……本当にごめん」 やや青白い顔をして、佐伯さんは謝った。 わたしたちは今、大きな公園の木陰に座って、静かに休んでいる。 というのも、ランチを食べに入ったお店で、イチオシメニューのチキンサンドを頼んだら、その鶏肉を焼く匂いで、佐伯さんがノックアウトしたからだ。 「まさか、肉の匂いだけでこうなるとは……」 「まあ、昨日のすごさを思えば、無理もないかと」 なんでも昨日、佐伯さんたちは、我が青学も含めた他校の人たちと、焼肉大食いバトルを繰り広げたらしい。 ただ、10皿食べるごとに、乾先輩特製のアレを飲むという、特別ルールがいけなかった。 まあダメ押しは、やはり乾先輩特製の、妙な焼肉のタレだったそうだけど。 その結果、佐伯さんは肉を焼く匂いで昨夜の惨劇を思い出し、気分が悪くなるという、困った条件反射に陥ってしまったわけだ。 「でも、昨日の今日だから、しょうがないですよ。それに、乾先輩の所業に耐性がないのは、青学の人じゃなければ当然なんだから」 「ちょっと待って。青学の連中は、いつも乾に何されてるの?」 あ、佐伯さんすごい顔してる。 男前なんだから、そんな顔しちゃダメですよ。 「でも基本的に、身体にはいいはずだから。だから、今日はダメだっただけで、おいおい肉も受けつけられるはずですよ」 実際に乾汁シリーズを飲んだことはないけど、ピンピンしてるテニス部の人を見る限り、害のあるものではないと思う。 ……精神への攻撃は、ハンパなさそうだけど。 けど、昨日のヤツは、特にすごそうだったなあ。 みんな死屍累々と倒れていて、結局わたしができたことなんて、すっかり弱りきった佐伯さんに水を飲ませて背中をさするという、介抱ともいえないものだった。 そんな昨日の余波を引きずった佐伯さんは、疲れたように息を吐き、グッタリと木にもたれかかる。 こうなると、無理はさせられない。 「まだ具合悪いですか?」 「だいぶ落ち着いたけど、まだちょっと……。ごめんな、せっかくデートプラン考えてくれたのに」 もう、何度目の謝罪かわからない。 そんなこと、気にしなくてもいいのに。 確かに残念ではあるけど、わたしにとっては、佐伯さんもデートを楽しみにしてくれていたってだけで、十分嬉しいの。 「ううん。だってデートは、今日じゃなくても、またできるし」 「そう言ってくれると助かる」 ただ……いつになるかはわからないけど。 東京と千葉は、会おうと思えば会える距離だ。 でも学生のわたしたちにとって、逢瀬を重ねることは、地味ながらも確実に、金銭的なダメージを与えるもので。 もっと一緒にいたい。 そばにいて、並んで歩いて、同じ時間に同じ景色を見てみたい。 どれもこれも、近くにいれば、何気なくできることなのに、ただそれだけのことが、わたしたちには難しい。 そんなことを考えて、少し暗くなりかけた時だった。 「でも、こういうのも悪くないな」 悪くないどころか、むしろ嬉しさをたたえて、佐伯さんがしみじみと言う。 こういうのって? そう聞き返そうとした時、ふいに佐伯さんは横になった。 無防備だった、わたしの腿に頭を乗せて。 ちょっ……これって、膝枕では! 膝枕なんて、どうってことないものと思ってたけど、実際にやってみたら、えらく動揺する。 だって、下から佐伯さんの視線を感じるんだもの。 そんな角度から好きな人に見られるなんて、すごく変。 嫌じゃないけど、居心地が悪くてたまらない。 だからって、彼の頭を振り落とすわけにもいかなくて、身動きのとれないわたしは、ただただ目を泳がせた。 そんなわたしを見て、佐伯さんは笑い声を上げる。 ……こっちは、全然面白くないから! でも佐伯さんは、妙にご機嫌。 気分が悪いはずなのに、何がそんなに楽しいの? 「うん、こういうのもいい。なかなか会えないぶん、こんなふうに、ちゃんと何気なく過ごす時間って、すごく貴重なんだよな」 その言葉からは、さっきわたしが思ってたこと――もっと一緒にいたいのにとか、近くにいればできることがいっぱいあるのにとか――そんな想いが感じられて。 たまらず、胸がキュッとなった。 2人の気持ちが通じてる。 それさえわかれば、きっとわたしたちは、どこにいたって幸せでいられる。 距離になんて負けることなく、想いを育んでいけるんだ。 わたしはそっと、佐伯さんの頭に触れた。 そして、ゆっくりと髪をすく。 気持ちよさそうに目を細めた佐伯さんは、やがてわずかに上体を起こして、わたしを引き寄せる。 そのままゆっくりと、唇が近づき―― 「マジ? こんなところでヤっちゃうの!?」 「昼下がりの公園は結構人がいるのに、大胆だな、2人とも」 ……今、菊丸先輩と乾先輩の声が聞こえたような。 それを耳にして、あと少しだったわたしたちの動きは、ピタリと止まる。 「それにしても、さっきの店のチキンサンド、うまかったっスね」 「うん、見た目はパッとしないお店だから、意外だったよ。やっぱり、女の子の情報網ってすごいね」 「つーかおまえら、なんで昨日の今日で、普通に肉が食えるんだよ……」 ……やっぱりいたか、出歯亀軍団。 しかも、桃と不二先輩の会話から察するに、さっきの店からついてきてた様子。 そんなの、全然気づかなかった。 まあ、佐伯さんは不調だし、わたしもそれに気をとられてたしね。 っていうか、黒羽さんたちも、不調なら無理せず休んでて下さい。 こんな声が聞こえたら、さすがに続けるわけにはいかない。 佐伯さんは、残念そうにため息をついた。 「もとが団体行動だと、やっぱりダメだな」 「今度はお互い、1人の時に会いましょうね」 そう、今度こそ、2人だけの時間を満喫するために。 わたしたちは微笑み合うと、そっと次の約束をした。 −END−
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