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世間は楽しい夏休み。 まあ、「休み」と言いながら、休ませる気はさらさらないような量の宿題があったりするんだけど、わざわざ学校に足を運んで勉強するのと家で気ままにやるのとでは、気持ちの上でだいぶ違う。 ……ただ補習組のわたしは、家で宿題をやりつつ、さらに学校に行って勉強という、悲しい身の上なのですが。 確かに、普段から余裕とは言い難い成績ではあった。それでも今まで、テストで赤点取ったりなんてしたことなかったのに。 それもこれも、すべてはあの人のせい。 あの人のことを考えてたから、他のことにまで気が回らなくなってしまった。 でも、それはわたしの一方的な考えで、あの人自身には、何の非も存在しないんだ。 ただわたしが、自分の気持ちをうまくまとめることができなくなっただけの話。 その原因となった、佐伯さんから来た手紙と、返事を書くためのまっさらな便せんを目の前にして、わたしはもはや癖になったんじゃないかと思うほど、頻繁になったため息をまたついた。 「佐伯さんとうまくいってねえの?」 補習中、ぼんやりしすぎて先生に怒られたわたしは、今日中にやれとのお達し付きで、課題のプリントをどっさりもらう羽目に陥ってしまった。おかげで、これから図書室に移動して残業です。 そして補習を終えたみんながさっさと帰る中、同じ補習仲間の桃が、なぜかそんなことを言ってきた。神妙な顔してストレートに言ってくるから、はぐらかすのも難しい。 「あんたこそ、呑気に補習なんかしてる暇あるの? 全国大会もうすぐじゃない」 「六角中もな」 ……やけに絡むな、桃。 っていうか、そもそもわたしと佐伯さんのことは、あんたに関係ないじゃない。 それが顔に出たんだろう。桃はちょっとバツが悪そうな顔をしながら、 「不二先輩と菊丸先輩も気にしてたぜ。なんでも不二先輩のとこには、佐伯さんから電話がかかってきたとかで。が元気にしてるかどうかって話も出たんだってさ」 ……それはちょっと意外な情報。 でも、それを知ったからって、今さら何かが変わるわけでも……。 「わたしにも、いろいろと思うところがあるのよ」 「……あんま思い詰めんなよ」 「……まあ、うまくいくも何も、わたしたち、つき合ってるわけじゃないし」 そう、わたしと佐伯さんは、別にそういう関係じゃない。 確かにわたしは佐伯さんが好きだけど、だからって、無理に今以上の関係を築きたいとは思わない。 でも、桃や不二先輩、菊丸先輩は、一応わたしたちが出会うきっかけになった人たちだから、やっぱり少なからず気になるんだろうな。だってわたし、自分でもわかるほど、日に日に元気がなくなってるんだもの。 それに3人は、今のわたしたちのことも知ってるし、佐伯さんから電話が入ったことで、大体の現状も掴めたんだと思う。 というか、そもそもこんなことになったのが、未だに不思議なのよね。 なんでわたしは、メール全盛のこの時代に、佐伯さんと文通なんてしてるんだろう? 1年の時、わたしはテニス部の桃と同じクラスになった。 明るいヤツだから、隣の席になったのをきっかけに、たちまちわたしたちは仲良くなり、そのうち部活の見学なんかにも、ちょくちょく顔を出すようになった。 そういうことをしていれば、テニス部の人たちとも顔見知りになるのも時間の問題で、いつしかわたしは、先輩たちとも親しくなっていったわけ。 だから試合の応援なんかにも、わたしは普通について行ったりして。 その年の青学は、残念ながら氷帝に負けてしまったけど、それでも関東ベスト4。 そうして訪れた試合会場にはギャラリーがたくさんいて、当然ながら、他校の人たちも数多くいる。 その中で真っ先に目に留まったのが、不二先輩と話してる銀髪の人――佐伯さんだった。 で、初めて佐伯さんを見た時、隣にいた桃に向かって、うっかり口にしちゃったのよ。 「あの人、かっこいいよね」 わたしはただ、そう言っただけなのに。 見たままを口にした、他意のない一言だったのに。 「へえ、ちゃんって、ああいうタイプが好みなんだ」 でもその発言を、運がいいのか悪いのか、たまたま近くにいた菊丸先輩に聞きとめられてしまった。そしてたちまち、いたずらっ子の笑みを浮かべる。うっ、なんだか嫌な予感……。 「い、いや別に、好みというよりも一般論を口にしたまでで……」 「おーい、不二ー!」 って、まだ話の途中! しかも、なんでわざわざ、ここで不二先輩を呼ぶの!? でもって、なんでわたしの腕を引っ張って、そっちへ行くの!? そんなことしたら、不二先輩だけじゃなく、一緒に話してたあの人の注目も浴びるじゃない! っていうか、もうこっち見てるし!! ちょっと桃、あんたも笑って見てないで助けなさいよ! 友達甲斐のないヤツね。 「どうしたの、2人とも」 「いや、ちゃんがさー」 「いやいやいやいや、なんでもないんです! どうぞお気になさらず、ご歓談をお続け下さい!」 「なんだよー。せっかく俺が、話すきっかけを作ってやろうと……」 「ギャ――――――ッ!!!!!」 慌てて菊丸先輩の口を押さえたけど、ここまできたら、もうバレバレだ。 わたしはかっこいい人を見つけたから、ただ「かっこいい」って思っただけなのに! ただそれだけで、アプローチをしかけようとか、そんなことは全然思ってなかったのに! 結局、そんなふうに面白半分に、わたしは佐伯さんに紹介されてしまった。 で、いろいろ話してるうちに、不二先輩までがこんなことを言い出して。 「じゃあせっかくだし、携帯の番号とかアドレスの交換してみたら?」 「で、でもわたし、携帯持ってないから」 「なら、自宅の番号でもいいよ」 「い、いや、そもそもわたし、電話って苦手で!」 「だったら住所にしよう。文通なんてのもいいんじゃない?」 「ぶっ……!?」 不二先輩に遊ばれて慌てふためくわたしを、菊丸先輩は大爆笑で、佐伯さんは苦笑しながら見ていた。 最終的には、そのままお互いの住所を交換したんだけど、だからって本当に文通なんてできるわけないじゃない。 どうせ先輩たちの悪ふざけのネタにされただけだろうし、だからせっかくおしえてもらった佐伯さんの住所は、申し訳ないけど、机の引き出しにしまい込んだままになった。 でもそれから1週間くらいして、どういうわけか来ちゃったのよね。佐伯さんからの手紙が。 てっきり、冗談だとばかり思ってたのに。だから、本当に手紙が来ちゃった時のわたしの驚きがいかなるものか、わかってもらえると思う。 この前は、自分のせいでからかわれて悪かったねって内容だったんだけど、そんな、とんでもない! どう見ても、悪いのは菊丸先輩と不二先輩なんだから。 で、こちらこそ申し訳ありませんって返事を出したら、なぜかそれにまた返事が来て。 そうこうするうちに約1年。その間わたしたちは、しっかり文通というものを成立させていた。 思いがけず始まったやりとりだったけど、やってみれば佐伯さんとの文通は、とても楽しかった。 とても楽しかったんだけど――でも、実は最近迷ってる。 このまま続けていてもいいのかなって、そう思ってる。 そんなの、今さら思ったってしょうがないことはわかってるけど、でも佐伯さんはどういうつもりでわたしと文通してくれてるのかなって考えたら、なんだか苦しいような悲しいような、そんな気持ちになってくるのよ。 今までも、漠然とそんなことを考える時があったけど、最近は結構本格的に考えてる。 この前行われた、関東大会の1回戦――手塚先輩と氷帝の跡部さんの、あの試合を見てからずっと。 ただの部活だと思ってたから、あそこまで覚悟を決めた手塚先輩を見た時には、まず驚いた。 そこまでしなくてもいいのにって、そう思った。 でも、そんな手塚先輩の覚悟を、みんなはしっかり受けとめたんだ。敵側である跡部さんさえも。 そしてあの試合を見たら、みんなただ単に「好きだから」って理由でテニスをやってるようには思えなくなってきた。 そこにはテニスに対する、とても大きな思いを秘めているような……。 それはきっと、青学のみんなだけじゃなく、佐伯さんも同じような気がする。 その後青学は、見事全国大会への出場を決めた。佐伯さんのいる、千葉の六角中も。 そうなると、熱心だった部活に、これからはいつも以上に磨きがかかる。 そして、テニス中心の日々が一段落ついても、この後3年生の佐伯さんは受験が始まるんだ。 わたしにいちいち関わっている時間なんて、これからどんどんなくなっていく。 そんなふうに、いつか疎ましく思われることを考えたら、だんだん怖くなって、何時の間にか手紙が出せなくなってしまった。 そもそも佐伯さんは、なんでわたしと文通してくれてたんだろう? 不二先輩や菊丸先輩が面白がってたのに便乗しただけ? ただの気まぐれで、手紙を書いてくれただけ? それで今までズルズルきちゃって、終わらせるタイミングが掴めないでいるのかも。 いろんな話をしてくれた。 楽しく部活をやってること。みんなで海に遊びに行ったこと。わたしが友達とケンカして、ヘコみながら手紙を書いた時は、文章で優しく励ましてくれた。 直接会ったのは、試合の応援とかでの数少ない機会だけど、でも佐伯さんの手紙――少しクセがあるけど読みやすい字で綴られている優しい文章は、佐伯さんそのものを物語っているようで、わたしは外見だけじゃなく、あの人の内面も好きなんだなと思わせられたんだ。 本当は、このまま終わりにしたくない。 でも、あの人に邪魔に思われるのは、もっと嫌。 そんなことを考えて、手紙を出せないまま、どんどん時間は過ぎていった。 その後、桃は部活に行き、わたしは追加課題を片づけるために、図書室へ向かった。 カバンの中からプリントの束を取り出そうとしたけど、真っ先に見えたのは、佐伯さんから来た一番新しい手紙と、返事を書くために使ってたいつもの便せん。 いつでもどこでも書けるよう、持ち歩いてはいるんだけど、悲しいかな、一切役に立ってない。 結局、いろいろ考え出してから、一度も書けずにいる手紙。 今までは思ったことをそのまま書いてたのに、今じゃ何を書いたらいいか、わからなくなってしまった。 このまま書けずにいたら、わたしたちのささやかなやりとりは、自然消滅の道を辿るのかなあ。 そんなことをぼんやりと思いつつ、便せんを1枚紙飛行機にして、図書室の窓から飛ばしてみる。 けどそれは、一瞬宙に浮いただけで、あっさり地面に落ちてしまった。 なんで、紙飛行機のくせに飛ばないのよ。……って、作り方が悪かったのかな? そんなわけで、もう一度挑戦。 今度はさっきよりマシだったけど、それでもお世辞にも、「飛ぶ」とは形容できなかった。 ここまで見事に飛んでもらえないと、結構頭に来るわね。 うーん……何がダメなんだろう? フワフワ漂って、後は地面に落ちるだけって、なんだか今の自分を表してるみたいで、すごく嫌なんだけど。 こうなったら、飛ぶまでやってやる! そんなふうに、意地になって紙飛行機を作ってたら、いつしか手元に、フッと影が差し込んだ。 誰かがそばに立ったせいだとわかったけど、そのせいで手元が暗くなったことにムッとして、そちらを見上げてみたら、 「……え?」 一瞬、信じられなかった。 だってそこにいたのは、まぎれもなく、佐伯虎次郎氏その人だったから。 何度も瞬きして、繰り返し眺めてみても、それは佐伯さん以外の何者にも見えなかった。 でもなんで? なんでここに佐伯さんがいるの? だって、青学の図書室よ。夏休みで人が少ないから、見咎められたりはしないけど、でも他校生が、堂々と歩くような場所じゃないでしょ? そんなことを思いつつ、ポカンと口を開けて見上げてたら、なぜかいきなり、右の頬をグイッとつねられた。 なんでなんでなんで!?!?!? 「ちょっ……痛い、痛いって!」 「だって、信じられないって顔してたから。でもこれで、夢じゃないってわかったろ?」 「わ、わかったけど! でもなんで佐伯さん、ここにいるの?」 「ん? 最近、音信不通になった子が、どうやら補習を受けてるらしくてさ。それで様子を見に来たんだけど、何か問題でも?」 ありますあります、いろいろと。 何がって、まず、心の準備が必要な辺り。 「ついでにテニス部に顔出してきたら、そこで桃城くんから図書室にいるって情報をもらえたんで、それでやって来た次第です」 「はあ、そうですか……」 言って佐伯さんは、わたしの前の席に座る。 その手の中には、わたしが作った、不格好な紙飛行機の姿が。 「見覚えのある便せんだったから」 図書室の窓から、一直線に落ちた紙飛行機。多分、ここに来る途中で見つけたんだろう。 その紙飛行機をいじりながら、佐伯さんは少し間を置いて言った。 「……最近、忙しかったりする?」 「あー……まあ、補習なので、忙しいと言えば忙しいですが」 あんまりいばれた内容じゃないので、つい俯きがちに答えてしまう。 佐伯さんの顔も見れなくて、彼がどんな表情をしているかはわからない。 「そっか。……いや、手紙が来なくなっちゃったから、ちょっと心配で」 律義な人だなあ。わたしからの手紙が途絶えたことを気にして、わざわざ来てくれるなんて。 ここまで気にさせてしまったなんて、なんだか申し訳ない。 それならいっそ、ここでスパッと終わらせた方が、お互いにとっていい思い出になるんじゃないだろうか。 終わってしまうのは寂しいけど、いつかまた会えた時、「そんなこともあったね」って笑い合えるなら、その方がいいかもしれない。 そんなことを、思い始めた時だった。 「あのさ、面と向かって話ができないぶん、いろいろ気づかないことがあったかもしれないけど」 なんとなく様子が変わった気がしたので、恐る恐る佐伯さんの方を見てみる。 いつも笑顔をたたえている彼の表情が、その時だけは違っていた。 「もしそうなら、これからちゃんと気をつけるから。だからまた、俺に手紙出してくれない?」 「………………へ?」 真剣な顔で、真剣な声音で、佐伯さんはそう言った。 でも、最後通告のようなものを想像してたわたしは、そのせいで、彼の言葉の意味の理解が遅れて。 あんまり間の抜けた顔で、佐伯さんをじっと見てたから、そのうち彼も動揺し始めてしまった。 「あの、ちゃん。俺の言ってる意味、わかる?」 「あー……はい」 「ほんとに? えーっと、だからね……ん?」 なんだかバツが悪そうに、視線を彷徨わせた佐伯さんだったけど、それがふいに、わたしの手元で止められた。 そこにあるのは、佐伯さんから来た手紙と、返事を書くためのまっさらな便せん。 書くための準備をしながら、ずっと書けずにいた手紙。 いろいろ思うことはあったけど、だからって、佐伯さんに不快な思いをさせるために、手紙を書かなかったわけじゃない。それだけは、きちんと伝えなきゃいけないと思った。 「あ、あのですね、なんていうか、その……うまく書けなくて」 「スランプ?」 スランプで書けないって、そんな小説家みたいな……。 でも、それを聞いた佐伯さんは、ホッとした様子で、 「そっか。俺、別に嫌われたわけじゃないんだ」 「き、嫌うなんて、そんな!」 力強くそう言ったわたしに、いろいろ難しい顔をしてた佐伯さんは、ようやく微笑んでくれた。 「俺さ、ちゃんから手紙が届くの、結構楽しみだったんだよ。だから、よかったら、このまま文通続けてほしいんだけど」 「わ、わたしでよかったら!」 「ちゃんだからいいんだよ。文章って、結構人柄が表れるからさ。俺、ちゃんの字も文章も大好きだな」 「え?」 それって、つまりはわたしのことも――って言ってるようなものじゃ……? そんなことを思ったりしたけど、佐伯さんはそれ以上何も言わなくて、だからわたしも何も聞けなかった。それでもわたしは、なんだか胸につっかえていたものが取れたような、すっきりした気持ちになれたけど。 その後は、課題のプリントを手伝ってもらったり、遠くまで飛ぶ紙飛行機の作り方をおしえてもらったり、最終的には騒ぎすぎて、図書室を追い出されてしまった。 司書の先生には怒られたけど、わたしの心はとても爽快で、大満足の1日になった。 それからすぐに、わたしは佐伯さんに手紙を書いた。 佐伯さんは自分の気持ちをはっきり言ってくれたんだから、わたしも今まで迷ってたことを全部、彼に伝えることにした。 そして、さっそくやって来た手紙の返事は、1枚のハガキ。 それには大きく、「俺とつき合ってくれませんか?」とだけ書かれていた。 前回の返事はあれだけ迷走したというのに、今回は目にした瞬間、返事が思い浮かんだ。 これはもう、「喜んで」と、返事を書かせてもらわなきゃダメでしょう! ……でも、連日猛暑のくそ暑い中、わざわざあぶり出しでのハガキをよこしたあの人は、相当いい根性をしてると思う。 −END−
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