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その名を口にした瞬間、たちまち周りは色めき立った。 「えー、意外ー!」 「本気? 本気であの人なの?」 「でも、彼は競争率高いよー」 「ちょっと、声が大きいってば!」 口々に騒ぐ友人たちを制しながら、わたしは内心でため息をつく。 ったく、誰にも言わないって、散々念を押したんだから、せめて音量は押さえてよ。 これじゃ、秘密情報ダダ漏れじゃん。 協調性は大事だと思う。 だからわたしは、極力、周囲に合わせた行動を心がけていた。 でも、その反面でつくづく思う。 何から何まで、人に合わせればいいってもんじゃないんだなって。 今わたしは、同じクラスの友人たちと昼食を共にしながら、笑顔で不快感と戦っていた。 年頃の女の子に、恋の話は付き物。 彼氏がいたり好きな子がいたり、それは人それぞれでいいと思う。 でもね、自分たちが恋にどっぷりつかってるからって、わたしにまで、そうした話をふらないでほしいんだ。 いや、話をふるのは、別にかまわない。 ただ、特定の人がいないわたしに、しつこく「彼氏作りなよー」とか言うのは、やめてほしいのよ。 もっと言うなら、あまりにしつこく好みのタイプを聞いてくるから、何気なく、好印象な仁王の名前を出しただけなのに、 「でも、ちゃんが仁王を好きだなんて思わなかったよ」 「は? 誰もそんなこと言って――」 「いいのいいの、今さら隠さなくたって。ちゃんと秘密は守るから」 ……それで勝手に、仁王への片思い認定をするのもやめてほしい。 でも幸い、わたしが思うほど、彼女たちの声は大きくなかったようで。 突然上がった歓声に、クラス中から一度振り返られたけど、みんなすぐにまた、各々の会話や作業に戻っていった。 本当に聞かれてたら、内容が内容だけに、絶対、変なざわつき方をするはず。 それがないなら、きっと大丈夫よね。 まあ、ちょっと気になったのは、その時の仁王当人だけど。 早々と昼食を終えた彼は、眠たげに机に突っ伏していた。 そして騒ぎの際は、しばらくこちらを見ていたけど、じきにまぶたを下ろしたから、多分聞こえてないと思う。 っていうか、聞こえてたら困る。 こんなことで変に意識して、これまでの程良い距離感が壊れるなんて、ごめんだから。 けど、彼女たちのしつこかった要求には、これで一応答えたわけで。 その勘違いというか妄想には、本気で目眩がしたけれど、とりあえず、これで一安心ね。 でも残念ながら、そういうわけにはいかなかった。 なぜならこれをきっかけに、友人一同揃いも揃って、変なスイッチが入ってしまったからだ。 「ねえ、ちゃん。今そこで、仁王くんが1人でいたよ。チャンスじゃない?」 なんのだよ。 「仁王の趣味はダーツなんだってさ。ちょっと勉強して、話合わせてみたらいいかもよ」 なんでだよ。 あれ以来、みんなして、「いい情報をおしえてあげる♪」という、善意らしき行動三昧になった。 おかげで、ニヤニヤ笑いながら近づかれるたび、ひどくイライラする。 仁王がどこにいただの、仁王が何をしてただの、はっきり言ってどうでもいいの! もう、ほんっっっとーに、心底周りがうっとおしい!! うっとおしくて、しょうがない!!! でも、下手に文句を口にして、孤立するのも嫌だ。 うまくやらなきゃと思いつつも、気乗りしない話題にばかりつき合う毎日。 それは、思った以上にしんどいものだった。 そもそも、わたしが仁王に抱いてるのは、ただの憧れなんだよ。 彼は自分のペースを保ちつつ、それでいて、周りのこともちゃんと見ている。 だから1人でいるかと思えば、人の輪にも違和感なく混ざっていて、とにかく掴みどころのない人だった。 でも飄々としたその印象は、まさにわたしがなりたい人物像、そのものだったんだ。 そんな学校生活に疲れ始めたある日曜日、わたしは友人たちの、「みんなで買い物でも行かない?」という誘いを断って、1人気ままにブラブラしていた。 行ったって、どうせ仁王好みっぽい服だの、恋に有利な装いだの、そんなものを見繕っては遊ばれるのが、目に見えている。 ただでさえ、神経がささくれ立ってるのに、せっかくの休みにまでイライラしたくない。 そうしてわたしは、穏やかな1人の時間を満喫していた。 「よっ」 知らない男の人に、いきなり声をかけられるまでは。 「……は?」 いきなりなのと気軽すぎるのとで、最初は、自分に声がかけられてると思わなかった。 でもその人は、わたしの横に並んで、わたしの方をじっと見て、わたしに向かって言ったんだ。 声をかけた対象は、間違いなくわたし――なんだけど……。 ……誰ですかね、この人? これはもしかして、ナンパだったり? でもナンパなら、そこから何のアプローチもないのはおかしすぎる。 だって彼は、ただ面白そうに笑ってるだけで、そこから何も言わないんだ。 この気安い雰囲気から察するに、彼は知り合いなのかもしれない。 でもこんな知り合い、いたかどうか……。 そのくせ、声も顔も、どこか覚えがあるようで――と、ただひたすらに戸惑っていたら、 「わからんかの、。俺じゃ、俺」 どうやら無反応のわたしに、しびれをきらしたらしい。 言って彼は、わたしの方から見えなかった、襟足で括った髪を掴んで、こちらに振って見せた。 その髪型としゃべり方、ここまで揃えば、いくらなんでもピンとくる。 ちょっと待って、まさか―― 「に、仁王!?」 「大当たりー。つーか、気づくの遅すぎ」 「いや、これじゃわかんないよ!」 「わかんなくはないじゃろ。たかだか、髪の色を変えた程度で」 「いや、こんなに違ってたら、無理だって!」 わたしがすぐにわからなかった理由、それは彼の、髪の色のせいだった。 見慣れた眩い銀色が、なぜか今は真っ黒なんだ。 仁王の印象として、真っ先に浮かぶものが消えた以上、とっさにわからなくても無理ないと思う。 けれど、そこで浮かぶ、当然の疑問。 「でも、なんでいきなり黒くしたの?」 「昨日、親戚の結婚式があってな。学生が銀髪なのは体裁が悪いとかで、強制的に黒にされたんじゃ」 なるほどね。 なのでこれから、もとの銀色に戻すため、美容院へ行くらしい。 ……って、せっかく変えたのに、もう戻しちゃうの? 「別に、黒のままでもいいのに」 「嫌じゃ。なんだか落ち着かん」 「いや、落ち着いて見えて、いいと思うけど。きっとみんな、仁王に見惚れるよ」 実際、わたしも見惚れてるしね。 それに珍しさもあって、悪いと思いつつ、ついしげしげと見てしまう。 髪の色が黒だと、その人自身、落ち着いて見える。 それもあって、仁王は持ち前のミステリアスな雰囲気が、倍増してるんじゃないかな。 なんていうか……魅力が上書きされた感じ。 それにもともと、端整な顔立ちだもんね。 わたしの視線があまりに不躾だからか、さすがの仁王もわずかにたじろいだ。 でも、すぐにニヤリと笑って、いつもの調子でからかってくる。 「惚れた?」 「いや、惚れはしないけど」 それでわたしも、いつもの調子で返すけど、普段ならこの辺で終わるやりとりが、どういうわけか、さらに深く進められた。 「なら、いい機会だし、惚れてくれ」 「は? なんでよ」 意味がわかりませんよ、仁王くん。 わたしにそうしたネタをふったって、何の面白みもないでしょうに。 でもこの話は、面白いとか面白くないとか、そういう問題じゃなかったみたい。 「俺のこと、好みのタイプ言うたのに?」 「!?」 わたし自身すっかり忘れていた、いつぞやの話題が頭をよぎる。 あの時の騒ぎ、やっぱり聞かれてたんだ! でも仁王は、遊び気分でこの話を持ち出したわけじゃないと思う。 だって、さっきまでのからかい口調が、今では鳴りを潜めてたから。 「いや、それは……!」 だからといって、あの話を聞かれてた気まずさが消えるわけじゃない。 そう答えるに至った経緯を答えようとするけど、驚きが勝ちすぎて、なかなか言葉が出て来ない。 そんな慌てふためくわたしを見て、仁王は苦笑した。 「あれが本気じゃないのはわかっとる。伊達に、ずっと見とったわけじゃないからの」 「え?」 「でも、それなりに好感度はあるようだし? まあ、気長に待っとくよ」 ずっと見てたとか、気長に待つとか……何? 含みがあるその言い方に、わたしはなんて返したらいいかわからない。 言葉の出ないわたしは、そのままたっぷり時間をかけて、仁王と見つめ合った。 そんな、なんとも言えない沈黙を破ったのは、彼の方で。 「じゃあ、また明日、学校でな」 言って仁王は身を翻らせ、ひらひらと手を振りながら、この場を後にした。 彼の背中を見送りながら、わたしはちょっぴり途方に暮れる。 仁王は、わたしが彼を見ていることを知っていた。 それは仁王も、わたしのことを見ていたから……? 気になるあの人は、ただの憧れの……ある種の、目標の人だった。 自分のペースを保ちつつ、それでいて、周りのこともちゃんと見ている人。 1人でいるかと思えば、人の輪にも違和感なく混ざっている人。 とにかく掴みどころのない、飄々とした印象の人。 私がなりたい人物像、そのものの人。 わたしにとっての仁王は、そういう人だったのに―― なのに今、その感覚が崩れそう。 それはいいことなのか、悪いことなのか。 そんなおかしなことを迷うくらい、仁王から与えられた一言は衝撃的だった。 −END−
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