あれから2年。

 景吾の言葉は本当だった。
 恐る恐る始まったつき合いだけど、その間景吾がわたしを不安にさせることなんて、一度としてなかった。それどころか、しっかり彼に惚れさせられた。


 でも皮肉なことに、好きになったからこそ、生まれる不安もあって。


 だって、景吾はすごくもてる。
 しかも、3年になってから一気に忙しくなって、前みたいに、あまり会うことができなくなってしまった。
 その上わたし自身も、就職活動を視野に入れ始めたから、なかなか時間がとれなくなって。

 顔が見たいとか、声が聞きたいとか……そういうことを言ったら、うっとおしくないかな?
 そんなことばかり考えて、景吾不足が募る日々。
 あれだけ年上ぶっといて、こうなんだから、情けない。


 そんなふうに、なかなか予定が合わなかったわたしたち。
 だけど今日、久しぶりに、互いの休みが合致した。
 これでようやく、景吾に会えるんだ!


 最近はお互いバタバタしてるから、あえて出かけるのはやめて、わたしの家でまったり過ごすことにした。
 成人したのを機に1人暮らしを始めたから、お茶を手にしたお母さんが、何気なさを装って、興味津々に乱入……なんてこともない。
 ゆっくり2人で過ごそうと、過ごせると、そう思っていた。


 なのに――





発 展





 カチャン、カチャン―― 一定のテンポを刻むその音は、景吾の手元から聞こえてくる。
 そして同様に、わたしの手元からも聞こえていたりする。

 今日は久しぶりの、お家でまったりデート……のはずだったのに。
 なぜかわたしたちは、プリントをまとめてホッチキスで綴じるという、地味な内職に勤しんでいた。


 実は今、氷帝テニス部の、年間予定表作りの真っ最中。
 事前に決まっている試合や、合宿といった特別練習の旨を記したプリントを、せっせとまとめているとこなの。

 ……っていうか、何で景吾が、こんな仕事を抱えているわけ?


「こういうのは、マネージャーに手伝ってもらえばいいのに……」


 素朴な疑問と愚痴をない混ぜにして、わたしは言った。

 だって事前確認では、一緒にDVD見ようねーとか、一緒にご飯作ろうねーとか言って、お互い何気なく過ごす気満々だったのに。
 なのに当日、いきなり紙の束とホッチキスを携えてやって来るって、どういうこと?

 それに氷帝テニス部は、部員が多いぶん、それを補佐するマネージャーも多いと聞いた。
 なら、これってマネージャーの仕事じゃない?

 でも、そう言われた景吾はすごく悔しそうに、そして言いにくそうに、「……ストライキを起こされた」とだけ呟いて、黙り込んでしまった。


 ストライキ……?
 あんた普段、仲間であるマネージャーたちに、どのような扱いを……。


 その辺りの事情がすごく気になったけど、質問しようと口を開きかけたら、「それ以上何も聞くな」とばかりに、睨まれてしまった。

 そのまま黙々と、ホッチキスでプリントを綴じる景吾。
 しょうがないので、わたしもおしゃべりをやめて、作業に戻る。

 でも、それから間もなく、ずっと一定のリズムを保っていた景吾のホッチキスが、突然気の抜けた音を立てた。ああ、針が切れたのか。


「わりい、針あるか?」
「うん。ちょっと待ってて」


 わたしは立ち上がり、文具類のしまってある、棚の引き出しを探る。

 探る。
 ……探る。
 ………………ない。


「あ、あれっ?」
「おまえまた、使ったまま、どこかに出しっ放しにしたんだろ?」


 本格的にガサゴソやり出したわたしに、呆れたように言う景吾。


「そんなことないよ。だってホッチキス自体、しばらく触ってなかったもん」


 だから、一緒にしまっていた針も、同じところにあるはず。
 ……でも、以前使った時に、変な場所へしまい込んだ可能性も否めない。


「ねえちょっとー、一体どこに行っちゃったのー?」


 苦しまぎれに、行方不明のホッチキスの針に呼びかけてみる。
 そんなわたしを、やっぱり呆れたように眺める景吾。

 そして、いろんなところを開けたり出したり、大捜索をしていると、


「あ」


 何と、思わぬものを発見してしまった。

 それは、手作りの小さな袋。
 その中にある小さな堅い感触が、懐かしくて、思わず笑みがこぼれてしまう。

 手に入れた時はすごく嬉しくて、一時期は、肌身離さず持ち歩いてたっけ。
 わざわざ、こんな袋を作ってまで。

 そして目敏い景吾は、「どうした?」と訊ねながら、いつの間にか、わたしの後ろから、それをのぞき込んでいた。


「何だそれ?」
さんの、淡き青春の思い出ですよ」


 でも、そんなんじゃわからないと、怪訝な顔が言っている。
 そこで、中身を取り出し、彼に見せた。


 それは何の変哲もない、ただのボタンだった。
 ただし、わたしの母校の学生服の。


「これは高校時代、憧れの先輩からもらった、第二ボタンなの」


 1年の時に好きだった、3年の先輩。
 委員会で一緒なだけで、たまにしか会えなかったけど、すごく好きだったんだよなー。
 結局、告白はできなかったけど、それでも精一杯の勇気を振り絞って、卒業式にボタンをもらいに行ったんだ。


チッ ……で、今でも、後生大事に持ってるわけか」


 ……聞き逃しかけたけど、あなた今、彼女の思い出話に舌打ちしましたね。
 うわ、面白くなさそうな顔。機嫌悪ーい。


 そりゃ、現役彼氏の景吾には、面白くない話だと思う。
 でもこのボタンは、やっぱり大切なものなの。

 別に今でも、あの先輩に想いを寄せてるわけじゃない。
 ただ、あの頃好きで好きで、話すこともままならないほど恋い焦がれた人に、勇気を出してそれを告げた、わたし自身の思い出。
 そう、これは、わたしの勇気の証なんだ。だから、できる限り大事にしたいんだよ。


 今にも、「捨てろ」と言いそうな景吾。
 そんな彼に、わたしは当時と今の思いを、素直に告げた。
 下手に隠したって、どうせ景吾には、すぐバレるしね。


「ふん、そうかよ」


 顔は面白くないままだけど、とりあえず納得はしてくれたみたい。


「そうなの。わたしは、思い出を大事にする人なんだから」


 でも、今の恋人の前で、昔の恋にまつわるものを大事に取っとくのは、ちょっと……いや、かなり感じ悪いよね。それは、わたしだってわかってる。

 だから、これ以上この話題に触れないこと――ボタンを大事にしてた理由は、一応納得してくれたんだし、それさえ守れば何も問題ないんだと、そう思った。


「……なら、いい思い出のない相手は、すぐに忘れられるってか」


 でも、そんなに単純な問題じゃなかったんだ。
 少なくとも、景吾にとっては。


「景吾?」
「もし俺と別れても、はそのまま、何事もなかったように過ごすんだろうな」


 冷たく言い放たれた言葉に、わたしは絶句する。
 そりゃ、景吾とつき合い始めたきっかけを思えば、無理強いだったあれは、決していい思い出とは言い難い。言い難いけど……。

 嫌な想像が胸を突く。


「……別れたいの?」


 景吾に背を向けて、わたしは再び、ホッチキスの針を探し始めた。
 だって、何かに気を向けてないと、涙出てきそう。


「なっ……!? 何でそうなるんだ!」
「だって……別れ話するから……」
「してねえだろ!」
「してるよ。仮定の上でだけど」


 景吾こそ、勢いに身をまかせた罪悪感があるから、わたしを無視できずにいるだけなのかも。
 あーあ、年下だの何だの抵抗しつつも、好きになっちゃったのに……報われないなあ、わたし。

 でも、ため息をつきかけた時、ふと肩に軽い重みを感じた。


「俺と……」


 まるで縋るような趣で、景吾が頭を寄せていた。
 そして、垂れこめる重い空気の中、恐る恐る口を開く。


「俺とつき合って、得るものはちゃんとあるのか?」


 毅然とした態度を貫こうと頑張りつつも、その口調には、はっきりと不安が感じられて。


「俺が無理やり、つき合わせてるだけなんじゃないか?」


 つまり、本当は忘れたいんじゃないかって言いたいの?


「忘れたいほど嫌だったら、今こうして、景吾と一緒にいないよ」


 肩にかかる景吾の頭を、そっと撫でる。
 柔らかな髪の感触が心地好い。


「まあ……あれも1つの思い出だしね」


 そんなことを話しつつ、ようやく見つかった、ホッチキスの針。
 そしてわたしたちは、どこか微妙な空気の中、中断していた資料作りを再開した。

 でも、こちらの様子が気になるらしい景吾は、なかなか作業がはかどらない。
 かわいいなー……なんて、本人に言ったら機嫌を損ねるから、絶対に言えないけど。

 そこで、ホッチキスで軽快な音を奏でながら、わたしは言った。


「わたしたちには、まだまだたくさん時間があるよ。だから、これからゆっくり、思い出作りをしていけばいいじゃない」


 あの時のことは許していること。
 そしてこれからも、一緒にやっていきたいこと。
 そんなわたしの思いは、ちゃんと景吾に伝わったかな?

 気になって、彼の方をチラッと見ると、


「ああ、全く同感だ」


 ……あれっ?

 何で、そんなにいい笑顔なの?
 しかも、何でわたしの腕を掴んでるの?

 まさか――


「ちょっ、プリント……!」
「後でいい」


 そのまま一気に引き寄せられ、わたしは景吾に、強く強く抱きしめられた。
 苦しくて身を捩ると、ますます力が込められる。
 さっきまでのおとなしさは何だったのってくらい、彼はあっさり、強気な態度を取り戻していた。



 景吾も不安だったんだ。
 そりゃ、そうだよね。わたしが景吾の周りの女の子を気にするように、景吾だって、わたしの周りの男の人は気になるんだ。

 そんな心配しなくていいのに。
 だって、景吾以外の男なんて、全く眼中にないんだから。

 でもそう言ったら、「そんなの、こっちだって同じだ。おまえこそ、いいかげん俺の本気を理解しろ」と、力の限り愛を注がれた。



 きっと景吾とは、これからも思い出が増えていく。
 物による思い出もできるけど、一番強烈なのは、彼のこの気持ち。
 声に出さずとも、全力で訴えかけるこの想いを、わたしは決して忘れない。
 きっと景吾も、忘れる暇なんて与えてくれないだろうから。












〜 かけがえのない人になるために 〜


2008.03.15


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